春講日記、まだまだ書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

春講日記、書いています。

第二週を終ってみまして、弁舌さわやか…には、ほど遠いかもしれません(笑)。

以下のリンクから、たどってみてください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

春講第二週の記事です。

てくてく-春講日記(7)
泰然自若-春講日記(8)
禁断の問い-春講日記(9)
造る喜び-春講日記(10)
人間関係-春講日記(11)
桃源郷(前編)-春講日記(12)

石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦

春講日記、まだまだ書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

春講日記、書いています。

第二週を終ってみまして、弁舌さわやか…には、ほど遠いかもしれません(笑)。

以下のリンクから、たどってみてください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

春講第二週の記事です。

てくてく-春講日記(7)
泰然自若-春講日記(8)
禁断の問い-春講日記(9)
造る喜び-春講日記(10)
人間関係-春講日記(11)
桃源郷(前編)-春講日記(12)

石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦

桃源郷(前編)-春講日記(12)

陶淵明(とうえんめい)の『桃花源記』(とうかげんのき)に書かれたユートピアです。「とうげんきょう」と読みます。

—————————————-
冒頭です。

晋太元中、武陵人捕魚為業。縁溪行、忘路之遠近。

こんなふうに書き下します。

晋の太元中、武陵の人、魚を捕らふるを業と為す。溪に縁りて行き、路之遠近を忘る。

こんな意味です。

谷川に沿って山中に進み、深山幽谷に入り込んでしまった漁師がいた。
—————————————-

隠れ里神話というそうです。世界中にバリエーションがあるそうです。

人里離れた理想郷、現実逃避のプチトリップに、もってこいかもしれません。

かつて「桃源郷」と言われた塾がありました。N盆地の西を南北に縦断する、Y丘陵の山中にありました。

きっちり年三回ばらまくチラシと、塾長が忘れなければ掲載された電話帳広告が、数少ないPRでした。

チラシといっても塾名と、電話番号と、前年度卒業生の在籍番号と合格校が書かれただけのものでした。

塾長は講師の授業を、黒板横で見ているだけでした。授業をかみ砕いたり、チャチャをいれたり、ボケッと聞いている生徒を叱りつけたり、そんなことばかりしていました。

授業がエクセレントなわけではありませんでした。普通の授業でした。

テキストも然り。普通の塾用教材でした。

カリキュラムはありませんでした。「どんどん進む」というだけでした。

テストも出来合いのものでした。○○進学教室××特訓コース・専従チーム特製△△合否判定・実力錬成テスト…などではありませんでした(笑)。

それでも不思議なことに、たま~に退塾者が出て、追加募集がかかると、競争率100倍の入塾希望者が殺到しました。

不思議のあまり「進学塾・桃源郷」と呼ばれたのです。

さてさて、少なからぬ数の業界人が、この秘密に気づいていました。

「桃源郷」が、人々に支持された理由です。

(後編に続く)

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

桃源郷(前編)-春講日記(12)

陶淵明(とうえんめい)の『桃花源記』(とうかげんのき)に書かれたユートピアです。「とうげんきょう」と読みます。

—————————————-
冒頭です。

晋太元中、武陵人捕魚為業。縁溪行、忘路之遠近。

こんなふうに書き下します。

晋の太元中、武陵の人、魚を捕らふるを業と為す。溪に縁りて行き、路之遠近を忘る。

こんな意味です。

谷川に沿って山中に進み、深山幽谷に入り込んでしまった漁師がいた。
—————————————-

隠れ里神話というそうです。世界中にバリエーションがあるそうです。

人里離れた理想郷、現実逃避のプチトリップに、もってこいかもしれません。

かつて「桃源郷」と言われた塾がありました。N盆地の西を南北に縦断する、Y丘陵の山中にありました。

きっちり年三回ばらまくチラシと、塾長が忘れなければ掲載された電話帳広告が、数少ないPRでした。

チラシといっても塾名と、電話番号と、前年度卒業生の在籍番号と合格校が書かれただけのものでした。

塾長は講師の授業を、黒板横で見ているだけでした。授業をかみ砕いたり、チャチャをいれたり、ボケッと聞いている生徒を叱りつけたり、そんなことばかりしていました。

授業がエクセレントなわけではありませんでした。普通の授業でした。

テキストも然り。普通の塾用教材でした。

カリキュラムはありませんでした。「どんどん進む」というだけでした。

テストも出来合いのものでした。○○進学教室××特訓コース・専従チーム特製△△合否判定・実力錬成テスト…などではありませんでした(笑)。

それでも不思議なことに、たま~に退塾者が出て、追加募集がかかると、競争率100倍の入塾希望者が殺到しました。

不思議のあまり「進学塾・桃源郷」と呼ばれたのです。

さてさて、少なからぬ数の業界人が、この秘密に気づいていました。

「桃源郷」が、人々に支持された理由です。

(後編に続く)

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

人間関係-春講日記(11)

いろんな人たちと、仲良くやっていきたい…と、思わない人は珍しいでしょう。

しかしながら、実際に仲良くできるとは限らない…と、煩悶する人もたくさんいらっしゃるでしょう。

小生も、若かりし頃、ずいぶんと悩みました。

意外に思われるかもしれません。破顔一笑、豪放磊落な先生が、そんなふうには全然見えません…と。

三十路を少々過ぎたころ、片手間に畑をしていたことがあります。

ナスときゅうり、定番作物から始めて、ししとう、ピーマン、枝豆、トマト、とうもろこし…と開拓し、ついにメロンやスイカを作るようになりました。

耕して、植えて、下草を刈って、ネットを張って、水やりして、クモの巣を払って、収穫したら一気に調理…べらぼうにおいしいです。

そのうちに、その場で土を取って、バリバリ食べるようになりました。これもおいしいです。何故か、しょうゆを持って収穫に…(笑)。

三年後くらいに悟りました。

ひとりぼっちになっても、大地と共に生きてゆけばよい…と。

面倒な人間関係にしがみつかずとも、大地は足元に転がっている…と。

長くとらわれた妄執に、決別した瞬間でした。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

人間関係-春講日記(11)

いろんな人たちと、仲良くやっていきたい…と、思わない人は珍しいでしょう。

しかしながら、実際に仲良くできるとは限らない…と、煩悶する人もたくさんいらっしゃるでしょう。

小生も、若かりし頃、ずいぶんと悩みました。

意外に思われるかもしれません。破顔一笑、豪放磊落な先生が、そんなふうには全然見えません…と。

三十路を少々過ぎたころ、片手間に畑をしていたことがあります。

ナスときゅうり、定番作物から始めて、ししとう、ピーマン、枝豆、トマト、とうもろこし…と開拓し、ついにメロンやスイカを作るようになりました。

耕して、植えて、下草を刈って、ネットを張って、水やりして、クモの巣を払って、収穫したら一気に調理…べらぼうにおいしいです。

そのうちに、その場で土を取って、バリバリ食べるようになりました。これもおいしいです。何故か、しょうゆを持って収穫に…(笑)。

三年後くらいに悟りました。

ひとりぼっちになっても、大地と共に生きてゆけばよい…と。

面倒な人間関係にしがみつかずとも、大地は足元に転がっている…と。

長くとらわれた妄執に、決別した瞬間でした。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

造る喜び-春講日記(10)

日々、造っております。

全世界的規模で、破壊活動かまびすしい昨今、時流に反しております。

小さなものから、大きなものまで、差別も区別もなく、造っております。

ところで、必要なものが目の前に無いとき、人はどうするのでしょうか。

1)自分で造る

2)誰かに造らせる、あるいは誰かが造ったものを持ってくる

3)あきらめる

つべこべ言わんと、自分で造るんが速い…、小生、そう思う類です。

教材が無ければ、自分で造ります。

カリキュラムが無くても、造出します。

解説ノートも自分で造ります。

理想の勉強生活も、自分で造り出します。

お仕事だけではありません。

てくてくコースを微妙に変えて、気になる古墳も微妙に変わって、不変でないからおもしろいです。

そういえば4世紀末以降、前方後円墳にも「造出」(つくりだし)が備わります。

墳墓としての後円部と、祭祀エリアとしての前方部が、機能区画を分けて成立した前方後円墳。

いつしか前方部にも埋葬施設を備えはじめ、祭祀はくびれ部にはみ出した造出で行うようになりました。

盾列古墳群のウワナベ古墳(陵墓参考地)は、5世紀半ばの巨大前方後円墳ですが、周濠水位が低下した時に、まるで白砂を敷きつめような造出が見えてきます。

葺石を葺かれた墳丘とは、まるで違う空間です。

古代、古墳造営を担った土師たちも、造る喜びを、きっと満身に感じていたことでしょう。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

造る喜び-春講日記(10)

日々、造っております。

全世界的規模で、破壊活動かまびすしい昨今、時流に反しております。

小さなものから、大きなものまで、差別も区別もなく、造っております。

ところで、必要なものが目の前に無いとき、人はどうするのでしょうか。

1)自分で造る

2)誰かに造らせる、あるいは誰かが造ったものを持ってくる

3)あきらめる

つべこべ言わんと、自分で造るんが速い…、小生、そう思う類です。

教材が無ければ、自分で造ります。

カリキュラムが無くても、造出します。

解説ノートも自分で造ります。

理想の勉強生活も、自分で造り出します。

お仕事だけではありません。

てくてくコースを微妙に変えて、気になる古墳も微妙に変わって、不変でないからおもしろいです。

そういえば4世紀末以降、前方後円墳にも「造出」(つくりだし)が備わります。

墳墓としての後円部と、祭祀エリアとしての前方部が、機能区画を分けて成立した前方後円墳。

いつしか前方部にも埋葬施設を備えはじめ、祭祀はくびれ部にはみ出した造出で行うようになりました。

盾列古墳群のウワナベ古墳(陵墓参考地)は、5世紀半ばの巨大前方後円墳ですが、周濠水位が低下した時に、まるで白砂を敷きつめような造出が見えてきます。

葺石を葺かれた墳丘とは、まるで違う空間です。

古代、古墳造営を担った土師たちも、造る喜びを、きっと満身に感じていたことでしょう。

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学園前教室・杉浦

禁断の問い-春講日記(9)

安易に口に出すことを憚るべき問い…が、あります。

「憚るべき」であるにもかかわらず、憚られてないばかりか、そんなことは一顧だにされていないのが、現状かもしれません。

どんな問いでしょうか。

「どうすれば、できるようになりますか?」

これです。

一見奇異に感じられるかもしれません。日常的に発問しています、と。

勘違いなさらないでください。あくまでも「安易」な発問を戒めています。

炎のような熱意と、尽きることのない努力、しかるに万策尽きて、先達に問うのは、大いに結構。勉強とは、そうありたいものです。

しかしながら、この前提が無いままに、いたずらに煩を避け、それこそ安易に陥ろうとするなら、単に無益でありましょう。

まして、本質論をないがしろにし、方法論に矮小化しようなど、怠惰以外の何物でもないでしょう。

あらゆる問いに、問うている主体が見え隠れします。

愚直なまでにまっすぐな主体にこそ、問うべき権利があるのです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

禁断の問い-春講日記(9)

安易に口に出すことを憚るべき問い…が、あります。

「憚るべき」であるにもかかわらず、憚られてないばかりか、そんなことは一顧だにされていないのが、現状かもしれません。

どんな問いでしょうか。

「どうすれば、できるようになりますか?」

これです。

一見奇異に感じられるかもしれません。日常的に発問しています、と。

勘違いなさらないでください。あくまでも「安易」な発問を戒めています。

炎のような熱意と、尽きることのない努力、しかるに万策尽きて、先達に問うのは、大いに結構。勉強とは、そうありたいものです。

しかしながら、この前提が無いままに、いたずらに煩を避け、それこそ安易に陥ろうとするなら、単に無益でありましょう。

まして、本質論をないがしろにし、方法論に矮小化しようなど、怠惰以外の何物でもないでしょう。

あらゆる問いに、問うている主体が見え隠れします。

愚直なまでにまっすぐな主体にこそ、問うべき権利があるのです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦