惑-冬講日記(22)

論語に曰く「四十ニシテ惑ハズ」。小生十年以上も前に「不惑」の境地に達したはずですが、まだまだ修行が足らないようで、あいかわらず気移りいたしております。

しかしながら、惑いまくりの小生からしましても、最近の受験生の皆様には、「そんなに惑いなさんな!」とアドバイスさしあげたくなるくらいに「惑惑」状態を感じざるをえません。

幼くして将来の目標を見据え、まっしぐらに勉学に励む受験生が多くなってきました。

将来の目標は無いまでも、「勉強しないことの恐ろしさ」にほだされ、まっすぐに前だけを見据えて邁進する皆さんもたくさんいらっしゃいます。

ところがそのような皆さんこそが、受験直前の「ブレ」や「ゆがみ」の主人公でもあります。何故なのでしょう。

種明かししますと、まっしぐらに邁進する皆さんが、往々にして「馬車馬」になってしまっていることが原因なのです。

可能な限り「前進力」を高めようとしますと、できるだけ「外野」を見えない状態に囲い込まれます。

「もしかすると、今のところ見えていない外野にこそ、真の人生目標があるかもしれない」とか、「強迫観念以外に、もっとバラ色のモチベーションがあるかもしれない」など、冷静に外野を見てこそ判別できることを、考えないままに持ちきたすことになるのです。

受験が終わってから、「ちょっと、見てみよう」なら、実害が少ないのですが、はからずも受験直前ですと、目も当てられなくなるのです。親子関係が崩壊する原因にもなりかねません。

これを「大惑い」と申すのでしたら、惑わなくて済む対策もただひとつ。できるだけ早い段階で、「正しく惑って」おくのです。

「少し早いかな」と思われても、勇気を出して考えてみること、「不惑」意外にも、多くの局面で、重要な対処薬になるでしょう。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

営-冬講日記(21)

ある朝、突然に、学校教育が完全民営化されていたら…。

満六才から、大人になって仕事を始めるまでに、勉強しておかなくてはならないことが決まっています。「基本教育」を行うことを、法令的に認められた「基本学校」が講じる、「読み・書き・計算」です。

いわゆる基本的リテラシーですね。いずれも国家試験に合格しておかなくてはなりません。合格証明書がないと、就職することもできませんし、アルバイトすらできません。

…ですが「基本教育」は無学年制ですから、六歳で修了して証明書を取得することも、理論上可能です。

「基本教育」の費用は全額、地方自治体と国家が負担します。義務教育は、これだけです。

これに対して、「応用教育」を行う「応用学校」は、設置主体の創意工夫によって開拓されていきます。

受験勉強だけに特化した「受験応用教育」をしてもいいですし、体力増進のみを目的とした「身体鍛錬応用教育」をやってもいいです。「任侠道」に依拠した「特別道徳応用教育」をしてもかまいません。

こちらの費用は、全額生徒負担です。応用教育を受けなくても構いませんが、就職するときなど、雇用者から「出願条件は、石川数学塾大阪小・中・高等学校が提供する高度受験応用教育修了を必須要件とする」などと、細かく指定されますので、勉強せざるを得なくなることが多いようです。

「応用教育」は、完全に市場原理に基づいて運営されます。人々に無用なものは消えていきますし、人々が必要とするものが生き残るのです。

さてさて、「近世の寺子屋教育ですか?」と、聞かれることがあります。「そのとおりです」と答えます。

明治維新以来の近代日本は、公教育に「教育」を抱え込ませすぎて、身動き取れなくなっています。「受験地獄」だとか、「校内暴力」だとか、「いじめ」だとか、弊害ばかりが目立つこの巨象に、もはや存在意義を見出せなくなっています。

ここあたりでひとつ、ちいさな小包にバラケて、包み直そうじゃないですか。

…なお現状、特別支援教育と言われているものや、定時制教育、夜間教育など、誰もがそのリスクを負いながらも、切り捨てられやすい領域には、特に配慮が必要になります。

教育民営化は、教育システムをめぐる甘えの構造を粉砕しますが、本当に支援を必要とする人々に、冷たくあたることを目的とはしません。

人々にとって、ほんとうに血の通ったシステムと信ずるに足るものを、人々の手に取り戻したいだけなのです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

受験生の方必読!

奈良・高の原教室の飯尾です。

連日の冬期講習へのご参加誠にありがとうございます。

この時期になると、高校3年生の中には推薦入学が内定し、
早々と進路が確定した方もいらっしゃいます。
(うらやましいですね~!(^^)!)

しかし、ほとんどの受験生はこれからが正念場、頑張っていきましょう!
高3、高卒、中3、小6受験生は、入試が目前に迫っているこの時期、
過去問をどんどん解いて行きましょう。

問題慣れすることはもちろん、必ず時間を計って時間配分を気に掛けて取り組んで下さい。
わかならい問題はいったん飛ばして、わかる問題から手を付けたり、
最後の問題まで目を通した後、1周回って飛ばしていた問題に再び取り組んだり、
制限時間内で最大の効果が出せる様、十分に戦略を練って下さいね。

対象の方には授業中に個別にアドバイス差し上げています。

民-冬講日記(20)

「学校教育完全民営化」が、悲願であります。

公教育を、なし崩し的に「実質民営化」するに、何ら難しいことは無く、むしろ今日に至るまで、さまざまに実現されてきたと思います。

今日において、私立学校がその存在感を益々大きくしつつあることに、何人たりとも異存はないでしょう。

小生の理想は、この傾向を究極まで推し進め、国鉄→郵政→公教育と、競争原理から隔絶された最後の聖域に挑むことです。

およそ資本主義経済体制下において、競争無きところに進歩なし。無制限に膨れ続ける教育行政を、大風呂敷行政から最小限の許認可行政に縮小し、教育者も含めた教育官僚を、大胆に削減します。大黒様のエンギモン袋みたいに膨張した教育財政を、スパッとスモールパッケージに収めます。

そして何よりも、学校設置主体の制約をほとんど撤廃し、およそまともな組織体であるなら、すべからく誰でも学校を設立し運営できるようにします。

被教育者には、受益者負担を徹底します。ふところの痛むことですから、学校を十分に吟味し、適切に選択することが当たり前になります。

当然のことですが、経営不振から倒産する学校も出てくるわけです。

こうなったら、小生も「石川数学塾大阪小・中・高等学校」を設立し、僭越ながら理事長として辣腕を振るう予定です。

小生の学校では受験勉強を、人格形成や基礎陶冶の根本に据え、これと対峙したり、観念的に否定したりするのではなく、これと積極的に闘うことから、実践的教育を構築します。

いずれも政治が決断すれば、できることです。

小生は「学校教育完全民営化を目指す全国期成同盟」を結成し、衆参両院の現役議員および将来の議員に踏み絵を踏ませます。

賛同者には党派を問わず、熱烈支援を与えます。

…何のこっちゃ?と思われた方、そのまま次回のブログもお読みください。

「今日から教育民営化」、数年前、季節講習会のスタートイベントとして物議をかもした「講演会」がよみがえります。

お楽しみになさってください。

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学園前教室・杉浦

邪-冬講日記(19)

「じゃ」と読みます。「よこしまなこと」です。

古来人々は、「邪」を避けてきました。「僻邪」と申します。

吉備の墳丘墓に起源する直弧文は、僻邪するためにあったそうです。なにか「よこしま」なモノがやってきても、直弧文を見ると退散する…と。

土器や埴輪に刻まれた幾何学模様にも、ちゃんと意味があったのですね。

古墳の埋葬施設の一部が、真っ赤っ赤に塗られているのも、同じなんだとか。僻邪の朱といって、水銀朱なんだそうです。

外から「よこしま」なモノが入ってこないように、さらには、埋葬されたモノが「よこしま」化して迷い出ないように、そういった意味があったそうです。

『魏志倭人伝』に曰く、玄界灘を往来する倭船には「持衰」(「じさい」と読むそうです)が乗り、航海の「邪」を一身に背負い、食べず、飲まず、沐浴せず、航海が無事に終われば金銀財宝を与えられ、逆に失敗すれば、殺されたと言います。

何を考えているかと言いますと、憎しみとテロルが連鎖する現代において、古代人が「邪を避ける」と考えた知恵は、ずいぶん役に立つのではないかと思うのです。

やられたらやり返す前に、ほんのちょっと立ち止まり、我々当事者は「よこしま」に魂を奪われていないか。もしも奪われているのなら、少しだけ冷静になって、「邪」を払ってから喧嘩しても遅くないのじゃないか。そう考えるところにこそ、「僻邪」が成立して、無駄な血が流されることもなくなろうと、最近その思いを強くしています。

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爽-冬講日記(18)

あまり何事にも、こだわらなくなりました。明鏡止水の境地と言ったら、格好良すぎますでしょうか。

若い皆さんの方が、あれこれ悩み尽きないようです。特に「将来の不安」を聞くにつけ、胸中お察し申すことが多いです。

とは言うものの、所詮ほんの少し早めに人生を終える小生として、見果てぬ未来のことなど、語るべくもありません。

それにも拘らず、人生相談、しばしばであります。

小生、いつも申しております。至極まじめで、本気であります。

勉強?せんでええよ。

この豊かな国ニッポンに生まれたんやろ?なんなりと、食っていけるで。

多少不自由かもしれんけど、餓死すること、まあ、あれへん。

先生といっしょに、畑、やろやん。大根つくるんに、方程式、いらへん。

え?なんや、ええ生活したいって?

じゃあ、我慢して勉強しぃ。

勉強嫌いが我慢したぶん、世間様が評価してくれんねん。

先生は、好きなことしかしてこんかったから、我慢できるん、ホンマに偉いと思うわ。

志や、良し。言うたからには、実行せんかい!

一生懸命生きてんの、先生、応援したるからな。

なになに、わしのことか?何を一生懸命…やて?

はるか三、四世紀、この国にあったパラダイスを、先生は描きたい。

女王や大王が、人々のために祈り、人々は、女王や大王を尊び…。

君民、神となって共治し、平和と繁栄を享受したんじゃ。

老いたオッサンが、果てしない夢を見とる。

若いもんが、できんこと、あるかいな。

……。

(後略)

何度でも、くりかえし、語り続けたいと思っています。

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学園前教室・杉浦

冬期講習のお申込はお早めに。

1215()より石川数学塾大阪の冬期講習が始まっています。

お陰さまを持ちまして、早々に満席の回も出てきています。

2学期の復習や新学期の予習、学校の課題や自分の目標に向けた学習など、冬休みは夏休みに比べますと確かに短いですが、日頃できていないことにチャレンジするにはもってこいの時期だと思います。

是非、お早目のお申込をお願いいたします。

石川数学塾大阪の冬期講習は通常授業と同じく、生徒一人ひとりの習熟度やスケジュールに合わせて、カリキュラムの内容や受講の日時・回数が決められるので何かと忙しい君にもピッタリです。

みなさんのご参加をお待ちしています

上本町本部教室 中土井

冬期講習のご案内

逢-冬講日記(17)

ほとんど誰にも会わないスポットで、バッタリと出くわしました。

一昨日の日曜日、山辺道をてくてくと。三輪から天理の逆コース、萱生に入りかけたところで、衾田陵に裏から登ります。

拝所を左手の尻目に、後円部周遊コース(勝手に名づけました)を選びます。湿地の谷を隔てて、右手に東殿塚古墳の後円部あたり、初老の男性に出会いました。

数年に一度しか人に会わない地点ですから、もしかして狐狸かな…?とか、モノノ怪…など、失礼千万な偏見タップリにあいさつをかましましたところ、男性は来訪目的を告げられました。

西殿塚古墳(衾田陵)には、邪馬台国の女王様が…、イヨでしたっけ、トヨでしたっけ、眠っていらっしゃると…。いやはや、ロマンですねぇ。懐かしさ倍増しまして、また来てしまいました…と。

はい、そうでうね。継体妃・手白香皇女(宮内庁治定)は、論外ですね。採りたてホヤホヤの壷片と埴輪片をお見せして、「4世紀前半でしょうね」と、ご説明申し上げました。

男性は、大きな大きな西殿塚を、もう一周して帰りますと、歩き出されました。

ポカポカ陽気の師走に、なかなか巡りあえない方に出会えた気分です。

ちなみに壷片や土器片ですが、雨が降った翌日など、墳丘から破片が流れ出してきています。宮内庁の「keep out」に入り込まなくても、けっこう拾えます。

と言いましても、あまりに地味すぎて、皆さん無関心なご様子。

小生佐紀路で拾った奈良時代のカワラケを、ある畝に、これ見よがしに飾ってあるのですが、誰も取って行かれません(笑)。

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時-冬講日記(16)

時計の針を逆回りさせることができたら…と、思うことがあります。

老人が尚古趣味に浸ると、どうにもジメジメしていけません。

「ああしたら良かった、こうしたら良かった」と、宿命を呪うことに没入してしまいます。

しかしながら、第二第三の道行きなるものが、仮にあったとしても、晩年にその道行を悔やまない保証もありません。

むしろ、「文句言い」は何度でも、ウジウジ言っていそうな気がします。

さて、そんな老境とは対照的に、スパッと唐竹割り…な野郎もいます。ロシア赤軍を組織し、ヴェイ・レーニンと共にロシア革命を成し遂げた、レオン・トロツキーであります。

「私は、自分の意識的生涯の43年間というもの革命家でありつづけたし、そのうちの42年間はマルクス主義の旗のもとで闘った。たとえはじめからやり直すことになったとしても、もちろん、私はあれこれの過ちを避けるように努めるだろうが、私の生涯の全般的な方向性は変わらないだろう。私は、プロレタリア革命家、マルクス主義者、弁証法論的唯物論者、したがってまた非和解的な無神論者として死ぬだろう。人類の共産主義的未来に対する私の信念は現在、青年のころに劣らず熱烈であり、その時よりも強固でさえある。」(『遺書』西島栄訳)

トロツキーは、亡命先で政敵・スターリンの刺客に襲撃され、瀕死の重傷を負い、それが原因になって死亡します。

上記『遺書』は、その人生を予見するかの如くに書かれたものです。

さりながら、トロツキー、全く曇りがないですね。こんなふうに割り切れたら、人はきっと幸せなのかもしれません。

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冬講日記、書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

冬講日記、書いています。

先週一週間は、HPトップの窓に、サブジェクトが表示されませんでしたね。

学園前教室のページには、表示されていました。

地下に潜っていたようなものですね。

ブログに直接飛ぶ場合、以下のリンクからたどってみてください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

先週の記事です。

学-冬講日記(10)
聴-冬講日記(11)
巡-冬講日記(12)
隔-冬講日記(13)
智-冬講日記(14)
忘-冬講日記(15)

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学園前教室長・杉浦