智-冬講日記(14)

はい、そろそろ、これで終了にします。講演会「国家誕生の地、桜井を語る~マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道~」、最後の記事です。

講演&シンポジウムされた先生方に負けず劣らず、聴衆も名だたる猛者であったようです。

誰しも然るものですが、歳を取るとちょっとした人名や地名が浮かびづらくなります。

「え~と、塚口義信先生がおっしゃったように、桜井茶臼山古墳がオオビコ、メスリ山古墳が…、誰でしたっけ…、四道将軍の…」なんて、壇上でしどろもどろになられましても、客席そこら中から大きな声で、「タケヌナカワ!」「タケヌナカワ!」「ワケまで付けよか、タケヌナカワワケ!」と、何とも心強い聴衆であります。

とある考古学者先生にお話をお伺いいたしました際、こんなことをお聞きしました。

「ぼくたちの仕事は、在野に監視されていましてね、はい、常にですね」。

「掘るまでは良しとしても、エエカゲンな考察かましますと、松本清張さんなんて、ボロカスいわはって、そりゃ怖かったです」。

朝野、良き緊張関係とでも申しましょうか。熱心な関心層が広く拡がっていること、学問にとって大事なことでしょう。

小生も在野の末席にお加えいただきたいものです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

隔-冬講日記(13)

申し訳ありません。講演会「国家誕生の地、桜井を語る~マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道~」、引きずっております。

「よほど、おもしろかったんですね。良かったですね」と、喜んでもらえます。はい、そのとおり、強烈におもしろかったです。

どんな学問にも師弟関係はあろうかと思いますが、考古学の世界を見渡しますと、笑ってしまうくらいに深くて強いきずなを感じてしまいます。

畝傍山のふもとの考古学研究所が、関西大学考古学研究室系で、名伯楽でもいらっしゃったS先生流であり、平城宮跡内の文化財研究所が、京都大学考古学研究室系で、三角縁神獣鏡と王権の考察をはじめられたK先生とか、堅調な学問業績とは裏腹に、何かと人間関係に波風を立てられたU先生流であると、小生のような浅学非才の輩もなんとなく心得ているわけです。

今回の講演でも「S先生の子分」を自称される老師が、「S先生の授業をさぼって、U先生の現場を見に行ったら、ムチャクチャ叱られた」などとボヤかれるにつけ、会場に失笑が漏れていましたのも、なんともアジのある瞬間でした。

ただし、そうは言うものの、古い世代の遺恨とか怨念とか、そういうオドロオドロしいものは、できるだけ見て見ぬふりをして、学問の本分に立ち返ろうとする若い世代の本音も見え隠れします。

「ヤマト国は近畿にあって、国王は帥升だったのか。帥升は近畿にいたのか?」などと、ネチネチと攻撃をかます老師を尻目に、「歴博の炭素14年代法は、全然ダメ。庄内式開始時期を上げ過ぎ、弥生Ⅴ式はこんなに狭くない。聖俗二元論は焼き直し、執政王が将軍であってはならない理由がない」と、ザクザク切り刻まれた寺澤薫先生の言説が、「では、ここからは和気あいあいと…(笑)」を本音とするものであると読み解けば、これまたアジのある一言と存じました。

小生、個人的には、学問の背後にドロドロした人間関係があっても、悪くないどころか、かえって面白いと達観しているほうですが、時代を世代が変えていく、そんなものも強く感じざるをえません。

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巡-冬講日記(12)

講演会を、もう一席。「国家誕生の地、桜井を語る~マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道~」です。

考古学を勉強する時に、おそらく一番慎重にならざるを得ないことがあります。それは「編年」の問題です。

遺跡・遺物はあっても、文献史料がほとんどない、あってもあてにならない時代を扱いますから、要するに実年代いつごろの話なんですか?と問われることが、始まりであり終わりであるのです。

いきなりさっさとわかることでもありませんので、典型的な遺物であるところの土器を歴順に並べ、共伴遺物なども参考にして実年代を推定していく、これを「土器編年」と言います。

研究成果が長年蓄積され、たとえば箸墓古墳といったら、庄内Ⅲ式土器から布留0式土器に、劇的に変わる時代の遺跡だとわかってきました。

ところがこの劇的変化が、実際にいつ起きたのか?となると、ほぼ3世紀の真ん中あたり、西暦250年から260年、ここらあたりに落ち着きつつありますが、280年に下るとか、三世紀前半にさかのぼるとか、諸説入り乱れるわけです。

こうなると、ほぼ三世紀の真ん中くらいにお亡くなりになった邪馬台国の女王・卑弥呼の墓と考えて妥当だろうという説から、いや次の女王・台与の墓かな…とか、間を挟んで「男弟」はないのか…など、これまた紛々とします。

小生が勉強させていただいて、おもしろいな…と思いましたのは、偉い先生方、お若い頃はずいぶん過激な言説に傾かれ、編年を上げ気味に考えられることが多いですが、歳を取られると落ち着かれ、下げ下げに語られることが多いということです。

「古墳の発生は1世紀まで上がって良い」と、通説を200年近く遡らせておられた先生が、箸墓の編年が上がりすぎた、卑弥呼では無理だ、台与に治定すべきだと、ずいぶんおとなしくなられるを聞くにつけ、老境に至った慎重さを感じざるをえません。

また若い先生が、庄内式は2世紀がメインと、上げ上げに編年されるとき、若いエネルギーのすばらしさを感じざるをえませんし、老先生もかつて若かりし頃は…とやられて、若気の至りとも言い逃れできずに困っている老先生にも、同情致します。

歴史は繰り返す、きっとそうなのだろうとも思いました。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

今週より冬期講習が始まります。

早いもので今年もあと2週間と少し。

石川数学塾大阪でも、今週より冬期講習がスタートします。

受験間近に最後の追い込みをかける人、確実に得点するための最終確認をする人、2学期の遅れを取り戻そうと頑張っている人、将来の栄冠を目指してコツコツ積み上げている人など石川数学塾大阪では様々な人が頑張っています。

石川数学塾大阪の冬期講習は通常授業と同じく、生徒一人ひとりの習熟度やスケジュールに合わせて、カリキュラムの内容や受講の日時・回数が決められるので何かと忙しい君にもピッタリです。

まだ席に余裕がありますので、お早めにお申込下さい。

昔から「善は急げ」っています。最近では「いつやるの?今でしょう!」()。思い立ったら即行動。

みなさんのご参加をお待ちしています。

上本町本部教室 中土井

冬期講習のご案内

 

 

聴-冬講日記(11)

講演会&シンポジウムに行って、勉強してきました。去る11日、桜井市民会館にて、「国家誕生の地、桜井を語る~マキムクからイワレへ、大王の歩んだ道~」です。

毎年、奈良マラソンの応援に行く日ですが、この日は失敬して勉強してきました。

各先生方60分ほど、ご講演をなされまして、最後にシンポジウムでした。先生方が書かれました著書・論文の類と、おそらく講演時間の数十倍つき合って参りましたので、おおよそ既にご教示賜ったことがらが多かったですが、「桜井市制六十周年記念」の講演会にお呼びいただける幸せ…を満喫されていらっしゃる先生方、心なしか嬉しそうで、小生も嬉しくなってしまった次第です。

文字面だけからはわからないことも、聞いてみると感じ取れることもあります。

およそ作文にあらざる「論文」なるもの、断定調(~である)の連続でありますが、同じく断定調であっても「~である、まちがいない、命を賭けてもよい」というものから、「~である…と信じたい、俺様、がんばったし…」、「~である…と言えたら、どんなに幸せだろう、論証はいつかするからね」と怪しげなものまで、「誤魔化しきってやろう」という確信犯から、「指摘されちゃいましたね、はい、ごめんなさい」まで、さまざまに変移することを感じ取れます。

書物とばかり仲良くならずに、人が語る瞬間を堪能することも、また宜しかろう、そんな思いを懐いて帰ってきました。

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学園前教室・杉浦

学-冬講日記(10)

どうしたら、やる気が出るのでしょうか?って、不思議な質問ですね。

おそらく現状、やる気がおありではないのでしょう。不本意なことを、やらされているのですか?

やらされることが大嫌いだった私には、およそ耐えられませんね。それでも少しだけ我慢して、考えてみましょうか。

例えるならば、こういうことですか。

ぼくはコーヒーが嫌いであるが、どうやら飲まなければならないらしい。

砂糖を入れてみたら、飲みやすくなるだろうか。練乳を入れてみたら、どうだろう。

どちらも五十歩百歩かな。それでは一気に、鼻をつまんで飲み干してはどうだろう。

なんだか戻してしまいそうだ。戻さないためには…?。

しかたないから、よく寝られる薬と一緒に飲み込もう。

…はい、少し待ってください。そもそも何で、コーヒーを飲まなきゃいけないんでしたっけ?

賭けに負けたから?…潔く頭を丸めて、許しを乞うてみてはどうですか。

根性試し?…ロシアンルーレットでもなさいませ。

カフェインで覚せい作用?…薬物依存、論外です。

やる気の有無や、その方法論をめぐる議論は、このコーヒー話と同じだと、お分かりいただけましたか。

どうしていいかわからなくなって、堂々巡りに苦しんでいるかた、ご連絡ください。

もつれた糸を、解きほぐして進ぜましょう。

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冬休みに向けて

奈良・高の原教室の飯尾です。

石川数学塾大阪のホームページをご覧いただきありがとうございます。
学生の皆さんは、期末テストや模試の結果などが返却され、
新たなる課題が明らかになって来た頃ではないでしょうか?

この時期、塾生の方々とは懇談させて頂いておりますが、
必要とされるならば塾外生の方へも無料で致します。

その際、この冬休みの過ごし方、今後に向けて出来ること等
ご提案・ご相談させて頂きます。
まずはお気軽にお問い合わせください。

怪-冬講日記(9)

「アヤカシ」に出逢ってしまうことがあります。

那羅山を北へ北へとウォーキング、国道24号、JR関西本線、平城山大通りが交差するあたり、高架下を超えて佐紀丘陵に登ります。

ヒシャゲ古墳(磐之媛陵)を左手に、ちょっとした小道を山奥へ、釣り人たちが憩う小さな池のほとりに出ます。

ある朝、少し変わったいでたちの釣り人に出会いました。

大きなドテラのようなものを着込んだ後姿、ムーミン谷のスナフキンかと錯覚するほど大きなつば帽子、何に腰かけているのだろうと思ったら、大きくて、たわわで、真っ白な尻尾でした。

ここまでおよそ12000歩くらい歩き通していますから、少々息が上がっていまして、どうやらまともな判断能力を失いかけていたようです。

「釣れてるのかな?釣り糸も尻尾も、ピ~ンと張って、元気そうだし釣れてんのやろ。」

「何は無くとも、元気が一番!尻尾の張りが、元気な証拠!」

「ん?なんか変やな…。尻尾…、なんでやねん?」

ようやく気づいて振り返りましたら、尻尾の釣り人はドロロンパ。

代りに大きなキツネが、小生の頭上を跳ね超えて、佐紀の田畑に踊っておりました。

しまった!だまされた!と悔やみましたが、やられてみてなんだか爽快でしたから、これまた不思議なものです。

キツネが一瞬立ちどまり、小生にニコッと笑いかけました。

小生は苦笑いを返すのが、精一杯でありました。

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風-冬講日記(8)

風の季節です。風は風邪を運んでくるのでしょうか、風の季節と思う頃に、風邪が流行りだします。

学園前教室の12月、マスク強制着用の日々が始まります。風邪の飛沫感染をシャットアウト、感染源を撲滅します。

2月までのおよそ三か月間、マスク越しにボソボソと授業します。息苦しかったり、メガネが曇ったり、何かと不評ですが、暖かい春になると、冬の猛威を乗り切ったうれしさにつつまれます。

「酸性雨や大気汚染の原因物質は、国境を越えて飛んでくるんだよね。大陸からかな?北西季節風に乗って?…じゃあ、冬だけかな?」と、するどくつぶやく生徒がいました。

「そうだね。大気に国境はないからね。けれども、季節風に乗ってくるとは限らないんだ。偏西風っていう、いつも西風みたいな気流が、上空にあるんだ。この風は大陸から、いつも何がしか、運んでくる」。

「なるほど、偏西風っていうんだ…」、ひとつ賢くなりました。

狭い土地にノッポな家屋が増えました。趣深い風見鶏がどんどん消えて、避雷針に取って代わりました。

風見鶏は、いつも風の吹いてくる方向を見ています。よく言えば臨機応変、悪く言えば無節操。

かつてこの国に「風見鶏」と言われた宰相がいました。政権与党にはいたものの、弱小派閥の領袖として、風見鶏よろしく盛んに合従連衡、政局を乗り切り、後世にその名を残した男です。

彼にとって、「風」は生命線だったんですね。生殺与奪を、「風」に握られているなんて…。

寒風の季節、風に思いを馳せました。

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書-冬講日記(7)

書物を好んでおります。珍本・奇本収集というわけではありません。極めてノーマルです(…と自評しています(笑))。

ノンフィクションが、ほとんどです。フィクションは、めったに読みません。「非現実性」を許容するだけのゆとりが、脳みそに無いのだと思います。

新刊の人気本が好きです。かなりミーハーであります。

希少な絶版本も好きです。古本屋の棚の奥の更に奥とか、取り次ぎが諦めた本を、出版社の倉庫の奥からゲットした時とか、狂喜することがあります。

読むときは淡泊です。喜びも、悲しみも、それぞれ三秒間。あとくされが、全くありません。

書物を歴史的に位置づけることは、好んでやっています。

古い研究書でしたら、正しく評価されてきたものなのか、ほとんど見切り発車みたいな新刊でしたら、のちの運命に想い致さざるをえません。

本棚は乱雑に整理されています(笑)。どれがどこらあたり…くらいには記憶していますが、背表紙にコード番号が貼られていそうなキッチリ整理は、ようやりません。いざという時に、見つかればよいです。

読んでいると、書きたくなってきます。徒然なるままに、ひぐらし、硯に向かいて…となると、帰ってこられないほど遠くに行ってしまいそうで、恐れおののきます(笑)。

読んで、書いて、しゃべってますと、ボケませんし老いません。

毎月二十冊くらいずつ増えていく書物を、心からいとおしく思っています。

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