2学期が終わって・・・
守-冬講日記(20)
古き良きものを、守りたいと思います。この思いが、ますます強くなっています。
こんなことがありました。ある生徒の発言です。
「設問の解説が、Netにアップされているんです。ストリームかダウンロード、どちらかを選んで視聴すれば、わからなかった問題もわかるようになります」。
なるほど、至れり尽くせりのサービスですね。きっと心強いでしょう。
「視聴できるコンテンツが、どんどん増えているんです。噂ですが、教室授業の生徒数よりも、たくさん集まっているNet講座があるらしいです」。
ご父母がこっそりと、耳打ちしてくれました。驚きました。
Netで授業の動画発信。私は、何度かやってみようと思っただけでしたが、これほど有効に稼働しているとは…。
しかしながら、こんなことも聞きました。
「動画の内容が、わからなかったら停止、くどかったら早送り。この繰り返し。リモコンいじってるのも、なんだか空しくなる時があります。」
そうですね。解説者が目の前にいれば、やりとりあり、かけひきあり、それらをスリルとサスペンスにも感じられましょうが…。
なんだか微笑ましくなってしまうような「昔ながらの授業」、こんなデジタル時代にその良さを守ろうなどと、私もいつの間にか立派な保守派でしょうか(笑)。
保守!、大いに結構です。頑迷派や固陋派にならぬよう、自戒していきたいと思います。
守-冬講日記(20)
古き良きものを、守りたいと思います。この思いが、ますます強くなっています。
こんなことがありました。ある生徒の発言です。
「設問の解説が、Netにアップされているんです。ストリームかダウンロード、どちらかを選んで視聴すれば、わからなかった問題もわかるようになります」。
なるほど、至れり尽くせりのサービスですね。きっと心強いでしょう。
「視聴できるコンテンツが、どんどん増えているんです。噂ですが、教室授業の生徒数よりも、たくさん集まっているNet講座があるらしいです」。
ご父母がこっそりと、耳打ちしてくれました。驚きました。
Netで授業の動画発信。私は、何度かやってみようと思っただけでしたが、これほど有効に稼働しているとは…。
しかしながら、こんなことも聞きました。
「動画の内容が、わからなかったら停止、くどかったら早送り。この繰り返し。リモコンいじってるのも、なんだか空しくなる時があります。」
そうですね。解説者が目の前にいれば、やりとりあり、かけひきあり、それらをスリルとサスペンスにも感じられましょうが…。
なんだか微笑ましくなってしまうような「昔ながらの授業」、こんなデジタル時代にその良さを守ろうなどと、私もいつの間にか立派な保守派でしょうか(笑)。
保守!、大いに結構です。頑迷派や固陋派にならぬよう、自戒していきたいと思います。
誠-冬講日記(19)
正直に言えない人たちが増えてきています。
「わからない」けれど、モジモジしているだけだったり、「できない」けれど、やはりモジモジしているだけだったり。
たしかに「わからない」とか「できない」は、言い出しにくいことですよね。「なんでやねん?」と、いぶかられたり、「気のせいちゃう?」と、スルーされたり。
はい、こんなリアクションする人たちには、相談しないでおきましょう。おそらく時間の無駄です。
人は「わからない」から、「わかろう」とするし、「できない」から、「できよう」とするものです。
「わかろう」とか、「できよう」とする皆さんを、歓迎する人にこそ教える資格があるのです。
「生まれたときから、できる人はいないよね」と、サラリと言い放つ人こそが、まっとうな指導者です。
しかしながら、「わからない」ことを一緒に喜んでいるだけだったり、「できない」ことに一緒に流されるだけでは、何かと考えものです。
疑問の入り口では共感しながらも、出口までは先導し、あたかも自力で脱出できたかのごとく、大いなる達成感を与えられれば…。
教える者のハシクレとして、私が抱き続ける理想であります。
誠-冬講日記(19)
正直に言えない人たちが増えてきています。
「わからない」けれど、モジモジしているだけだったり、「できない」けれど、やはりモジモジしているだけだったり。
たしかに「わからない」とか「できない」は、言い出しにくいことですよね。「なんでやねん?」と、いぶかられたり、「気のせいちゃう?」と、スルーされたり。
はい、こんなリアクションする人たちには、相談しないでおきましょう。おそらく時間の無駄です。
人は「わからない」から、「わかろう」とするし、「できない」から、「できよう」とするものです。
「わかろう」とか、「できよう」とする皆さんを、歓迎する人にこそ教える資格があるのです。
「生まれたときから、できる人はいないよね」と、サラリと言い放つ人こそが、まっとうな指導者です。
しかしながら、「わからない」ことを一緒に喜んでいるだけだったり、「できない」ことに一緒に流されるだけでは、何かと考えものです。
疑問の入り口では共感しながらも、出口までは先導し、あたかも自力で脱出できたかのごとく、大いなる達成感を与えられれば…。
教える者のハシクレとして、私が抱き続ける理想であります。
獄-冬講日記(18)
若い頃、強烈に印象づけられたことは、年を取るにつれ、なにかと思い出されます。
基本的に善良な市民であった私は、「いちご白書」をもう一度…でしたっけ、これまた若かりし頃のばんばひろふみさんの歌詞にありましたように、「学生集会へも、ときどき出かけた」程度でありました(笑)。
集会はひととおりブータレこいたあと、必ず最後が「闘うぞ!闘うぞ!勝利するぞ!闘うぞ!」で〆られ、デモンストレーションの隊列に移行しながら、諸注意となるわけです。
「万が一逮捕されましたら、完全黙秘を貫き通し、救援センターにご連絡願います。救援センター東京、獄入り意味多~い!救援センター大阪、にっころにっころが~し!」
初めて聞いた時から、最後のアピールが意味不明でして、しばらくしてから、賢い先輩に聞いてみますと、こんなふうに言われました。
「03-591-1301、獄入り意味多~い、06-256-2560、にっころにっころが~し。知らんと、デモ出んなよ。危ないなぁ。」
なるほど、納得です。東京と大阪の電話番号が、一ケタ少ないですね。しみじみと、時の流れを感じます。
幸か不幸か、私は救援センターのお世話になることがありませんでしたが、困ったときの救援頼み?、最後は神頼みの勉強と、一脈通じてはいませんでしょうか(笑)。
獄-冬講日記(18)
若い頃、強烈に印象づけられたことは、年を取るにつれ、なにかと思い出されます。
基本的に善良な市民であった私は、「いちご白書」をもう一度…でしたっけ、これまた若かりし頃のばんばひろふみさんの歌詞にありましたように、「学生集会へも、ときどき出かけた」程度でありました(笑)。
集会はひととおりブータレこいたあと、必ず最後が「闘うぞ!闘うぞ!勝利するぞ!闘うぞ!」で〆られ、デモンストレーションの隊列に移行しながら、諸注意となるわけです。
「万が一逮捕されましたら、完全黙秘を貫き通し、救援センターにご連絡願います。救援センター東京、獄入り意味多~い!救援センター大阪、にっころにっころが~し!」
初めて聞いた時から、最後のアピールが意味不明でして、しばらくしてから、賢い先輩に聞いてみますと、こんなふうに言われました。
「03-591-1301、獄入り意味多~い、06-256-2560、にっころにっころが~し。知らんと、デモ出んなよ。危ないなぁ。」
なるほど、納得です。東京と大阪の電話番号が、一ケタ少ないですね。しみじみと、時の流れを感じます。
幸か不幸か、私は救援センターのお世話になることがありませんでしたが、困ったときの救援頼み?、最後は神頼みの勉強と、一脈通じてはいませんでしょうか(笑)。
蓮-冬講日記(17)
昨日の珈琲屋さんで、「ブルーマウンテンが不作」の話題を省みました。気候変動と疫病が原因で、全治五年程度?…といった話題です。
育たなくなったかな?…と言いますと、私が気になっておりますのは、やはり「蓮」ですか。
毎年七月下旬になりますと、唐橋から湖岸道路をガーンと上がり、草津の琵琶湖博物館に車を停めて、水生博物館の裏に回ると、そこは蓮の大群生でありました。
たしか、売られていなかったのは「蓮弁当」だけでは?というくらいに蓮グッズも充実し、これまた記憶が不確かですが、「育ててみよう!蓮の種」みたいな露店で、くるみ割り器を使って種を割ってから播くなどという実演までありました。
報道によりますと、あの群生が消滅したと、にわかには信じがたい事態となっております。
せっかく行ってみても、全然咲いていないのでは挫けてしまいますので、いつのまにか石上神宮奥の蓮池に、心が移ろってしまいました。
神宮から山辺道を、内山永久寺跡に向かうと、釣り人がぐるりと座っております。
こちらは何とか生きながらえておりますようで、可憐な花を毎年楽しんでおります。
と言いましても、見ごろはほんの二、三週間。逃さずに歩きますのも、なかなかに難しいです。
この池の奥には、野生のわさびも採れるとか。まだまだ命あるモノたちの力強さに、勇気づけられもします。おもわずにっこりと、微笑んでしまいそうではないですか。
蓮-冬講日記(17)
昨日の珈琲屋さんで、「ブルーマウンテンが不作」の話題を省みました。気候変動と疫病が原因で、全治五年程度?…といった話題です。
育たなくなったかな?…と言いますと、私が気になっておりますのは、やはり「蓮」ですか。
毎年七月下旬になりますと、唐橋から湖岸道路をガーンと上がり、草津の琵琶湖博物館に車を停めて、水生博物館の裏に回ると、そこは蓮の大群生でありました。
たしか、売られていなかったのは「蓮弁当」だけでは?というくらいに蓮グッズも充実し、これまた記憶が不確かですが、「育ててみよう!蓮の種」みたいな露店で、くるみ割り器を使って種を割ってから播くなどという実演までありました。
報道によりますと、あの群生が消滅したと、にわかには信じがたい事態となっております。
せっかく行ってみても、全然咲いていないのでは挫けてしまいますので、いつのまにか石上神宮奥の蓮池に、心が移ろってしまいました。
神宮から山辺道を、内山永久寺跡に向かうと、釣り人がぐるりと座っております。
こちらは何とか生きながらえておりますようで、可憐な花を毎年楽しんでおります。
と言いましても、見ごろはほんの二、三週間。逃さずに歩きますのも、なかなかに難しいです。
この池の奥には、野生のわさびも採れるとか。まだまだ命あるモノたちの力強さに、勇気づけられもします。おもわずにっこりと、微笑んでしまいそうではないですか。