久しぶりに昔の「中入部屋」で授業しました。2年3ヶ月ぶりです。
諸事情ありまして、「中入部屋」が玄関脇に出てきてから、102教室の大部屋に、小生は仁王立ちしていたことになります。
懐かしさコミアゲてきて、うれしくて、うれしくて、とにかくうれしかったです。
勢い余って、昔物語など思い出しました。
「中学入試の部屋」、略称「中入部屋」が、初めての中学受験生を送り出したのが平成15年度入試でした。
まだこの頃には、「部屋」と呼びうるハコモノもハッキリとはせず、文字通り「さまよえる」教室でした。
平成16年度入試の受験生を送り出したころから、だんだんと体裁が整い、「中入部屋」といえば、ああ!あそこ!と、組織内的には一応の認知を得たように記憶しています。
中学入試専門って打ち出しが、これまた組織内的には全く初めてで、塾ひしめく地域的にも、当時極めて珍しかったようです。
加えてしつこいですが、組織内的にはハイソで上品な授業スタイルが一般的であったにもかかわらず、やたらと声が大きかったり、時に怒号が飛び交ったり、たまには叱責されて泣いている生徒がいたり、ウソついて坊主刈りになる生徒がいたり…と、特異な集団であったろうと思います。
平成17年度入試で初めての最難関合格を克ち取り、しかも東大寺学園だったもので、そののち例年のようにこの傾向が続いてきました。
しかしながら思い返すに、我々は入試実績を上げることを第一義的な目標とする集団ではなかったとおもいます。
俗に中入三訓と言います。「逃げない、放らない、ウソつかない」。これだけのみ墨守していた我々は、いつのまにか、結果として、たまたま栄冠を克ち取ってきただけに過ぎないのではないでしょうか。
こんなこと言いますと、「かっこ良すぎます!」と、たしなめられることが多いですが、事実はありのままにしか書き表せません。
さりながら、小生も齢重ねて、まあるい親父になってきたようで、夏合宿を手伝ってくれる卒業生スタッフには、「昔の杉浦先生は、恐ろしかった。」「トイレで寝ていて、ドアをけり破られたことがある。」「ドアが直撃して気絶していたら、さっさと起きて(ドアを)直さんかいと、更に叱られた。」「約束を破ったら、潔く坊主刈りになって行き、玄関に土下座して挨拶するモノだった。」などと、若者たちをビビらす者もいます。
若者たちは今の小生の姿からは想像もできないようで、多少混乱しているようです。
ともあれ、時の流れが止まったかのような部屋に、久々に小生の解説がこだましました。
至福の時でした。