夏講日記(その25)-今も裁き続ける「閻魔大王」からのメッセージ-

閻魔大王から連絡来たん、数年前やったかな。

杉浦くん、合宿ご苦労さん、お盆の最中、仕事も暇やし、手伝ったるわ…と。

そりゃあ、ありがたい!渡りに船っと、合宿最終日の総括、お願いしたわけや。

閻魔様といえば、冥界三十五日目の裁判官(四十九日目やありまへん)、泣く子も黙る仕置き人。

生徒もビビッて、がんばることやろうってことでんな。

最終日の午前を任せて四年になるけど、なかなかええ味出してくれとる。

「おのれ、どおゆうつもりじゃあ?」

あらら、また生徒泣かしとる…と思いきや、叱っとんのとちゃうねんな。

「こんなに、がんばったん、生まれて初めてやろ。偉い!」

なるほど、うれし泣きやったんや。たしかに誉められて泣いたん、生まれて初めてやろな。

さすが閻魔、義理人情に厚いやん。脱帽やね。

それでも、マジに叱られた奴もおった。

「もお2、3日、明日香村から出んでええで。」

これならまだしも、ホンマに飛鳥駅のベンチで勉強させられた生徒がおった。

良いことも、悪いことも、がんばったことも、サボったことも、閻魔がみんな見てるで。

正直に、やりきりや。

そうそう、閻魔さん、杉浦先生に化けるんがうまいんや。

楽しみに頑張りや。
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初めて聞くのに、おもしろく、初めて見るのに、懐かしい。

夏合宿四日目、狂瀾怒濤の閻魔劇場、開幕まで今年もあと一週間です。

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学園前教室・杉浦

夏講日記(その24)-今も闘い続ける「おじさん」からのメッセージ-

おじさんは既に「合宿ユニフォーム」で、夜の授業を行っている。Tシャツと半ズボン、機動性と通気性に優れた定番の仕事着だ。

今年もおじさんの雄叫びが聞こえてくる時期となった。雄叫びは遠吠えとなって、学園前教室に響き渡る。

さあ、耳をすましてみよう。ほら、聞こえてきただろう。

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合宿貫徹!闘争勝利!-今も闘い続ける「おじさん」からのメッセージ-

いよいよ夏期講習も、後半戦に突入する。合宿は後半の初戦である。まずは一勝、見事に克ち取ろう!

「戦争の時代」に生まれ、「戦争しか知らずに育った」世代を代表して、おじさんからの熱いメッセージだ!

合宿貫徹十か条。ゆめゆめ忘れることなかれ!

合宿所まで歩くことが、第一の闘いである。焦らなくてもよい。しかし、きっちり目を覚ませ!

勉強し続けることが、第二の闘いである。空回りしてはならぬ。地に足をつけて、ゴリゴリ進むのだ!

適度に休憩することが、第三の闘いである。休憩は爆発力を生むためにある!

自分のことは自分ですることが、第四の闘いである。人を頼るな、人のせいにするな。喜びも悲しみも、ただ君のためだけにしかないのだ!

疲れを癒すことが、第五の闘いである。大いに食って、湯あみせよ。生きる気力が湧いてくるぞ!

しっかり寝ることが、第六の闘いである。ぼっとした寝不足野郎は、勝利の女神から見放されるのだ!

早起きすることが、第七の闘いである。朝の一秒は、夜の一秒を以っては購えぬ。目覚めよ、さらば救われん!

おじさんと闘うことが、第八の闘いである。老闘士に引退の花道を。若き血潮のみが、それを為すのだ!

先輩に学ぶことが、第九の闘いである。偉大なる神を崇め、そして乗り越えよ。未来は若者のためにあるのだ!

閻魔を蹴散らすことが、最後の闘いである。多言を要すまい。全能の審判官に、己の生きざまを認めさせるのだ。勝利は君たちのものである!

合宿通算8回目、飛鳥に移って6回目、合宿は例年通り巨大な火の玉と化すであろう!おじさんは、先頭きって駆け抜けるぞ!諸君、遅れずに、ついてくるのだ!!!
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夏講日記(その23)-留め置かまし 大和魂-

「忘れたくても、忘れられない瞬間」が、確かにあります。多くの場合、うれしい瞬間です。

夏講を始めてから、何度かその瞬間に出くわしました。

傍目(はため)に見ますと、何を喜んでいるのか理解不能かもしれません。奇妙な光景に見えるかもしれません。

ありていに言いまして、その瞬間に、小生は多くの「目」に射抜かれているような錯覚を覚えるのです。

どんな「目」かと言いますと、解かろうとすることに没入し、解こうとすることに耽溺(たんでき)し、まるで一点を射抜こうとするかのように、焦点が定められた「目」です。

少なくとも一日に一回、この「目」にさせることが、モノを教える人間の役割だと、小生考えています。

何かのはずみに、眼前の生徒たち全員に、この「目」が備わることがあります。その迫力たるや、みなさんの想像に余りあるものです。

「目」の群集を人工的に作り出せないものか?…と、考えたことがあります。気合を入れてみたり、恐い顔をして問題を解いてみたり、いろいろやってみましたが、伝染病のように感染させることも、ドミノ倒しのように次々出現させることも、結局できませんでした。

もっともっと微妙な、小さな小さな偶然が、見事に整合した時、一分一秒たりとも、誰一人として真剣このうえない「目」たちと相対し、小生教育者冥利に尽きる、無上の喜びを感じることができるのだと思います。

今日また会えたから、明日もきっと会えるだろう。がんばったら、きっと会えるにちがいない。

そう思って明くる日を迎え、若草山に昇る朝日を拝すとき、喜びと感謝に満ち溢れます。

本日がすばらしい一日でありますように!

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夏講日記(その22)-留め置かまし 大和魂-

小生、他に類をみない授業スタイルを貫くことがあります。ゆえあってのことです。

解説用ノートに書く算数の「解説」を、敢えて「お手本」と呼びます。「お手本」は、真似するためにあります。

「学ぶ」とは、「真似ぶ」が転じた言葉です。勉強はお手本を「真似」することから始めるのです。

一転「国語」を講じるときには、まず書かせます。

「朝起きて、なんて挨拶する?おはよう…か?Good Morning…か?Guten Morgen…か?」

「おはよう…だったら、四の五の泣きごと言わんと、とにかく書け。しょせん日本語じゃ!」

まず書いて、コテンパンに直されて、初めて書くことの苦しさを知り、辛さを知り、文句言われへん解答を編み出そうとし始めます。

「しょせん日本語」に、お手本は不要です。必要なものは、鉛筆と利き手と、そして蛮勇です。

睡魔に行く手を阻まれた時、「潔く!」と、ぶっきらぼうに言われます。

「潔く」することといったら、椅子を取って膝立ちになるか、机の上に正座するか、切腹するか…どれか一つですね。

ほとんどの皆さんが、椅子を取って痛みに耐え、睡魔を粉砕します。

何時なんどきにも、不審者情報メールとお天気速報に目を光らせます。

生徒の通塾ルートに不審者、通塾時刻にゲリラ雷雨などなど、リアルタイムに還元します。

マナーモードが多少震えすぎてやかましいガラケーですが、おおいに役に立っております。

「常識」的にしか教えられない教場を「教室」とは言いません。

「常識」を教えるだけの授業は、本当の授業ではありません。

必要なものが、必要な時に、必要に応じて、自由に飛び出してくる、非常識な空間を、小生敢えて求め続けていきます。

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夏講日記(その21)-留め置かまし 大和魂-

「先生!ブログ、読んでます!」と、ありがたいお言葉をいただくことが多々あります。

アクセス管理させていただいていますので、きっとあのIPに違いないとか、もしかするとこのアドレスの…とか、いろいろ想像が膨らみます。

実際にお会いしたことが無いかもしれない常連さんにも、たくさんアクセスしていただいております。やはり、いろいろ想像が膨らんでしまいます。

小生が主として書いておりますのは、授業記録、教育論、テクテク日記、読書記録、古代学…などです。

通常授業期間には「大阪通信」、講習授業期間や合宿期間には「講習日記」を書いています。

毎週月曜日、公開直後の大阪通信を、必ずお読みいただく常連さんがいらっしゃいます。

こんなに熱心にお読みいただき、執筆者冥利に尽きるというものです。

ジャンルを問わずに、読んでいただいています。朝・昼・晩を問わずに、公開直後にご覧いただいております。

期待してお待ちいただいていると、思えば思うほどうれしくなってきます。

講習日記を一週間程度ためて、読んでいただいているかたがいます。

執筆順に読んでいただいているわけでもありません。同一記事に何度か戻るように、ジグザグにお読みいただいています。

たまってしまうのでしょうか、敢えてためていらっしゃるのでしょうか。

約二時間も行ったり来たりされて、何度も戻って読まれるのは決まって教育論です。

ご熱心さに、頭が下がる思いです。

おそらく、まだお目にかかったことがないブログ購読者の皆さん、メッセージお待ちいたしております。

我々のブログは、ご投稿大歓迎です。

学園前教室のメールアドレス(gakuenmae@ishikawasugakujuku.jpまで、お送りください。楽しみにしています。

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【夏期講習】高の原教室お盆期間特別開講日について

夏期講習のご参加誠にありがとうございます。

今回は、高の原教室のお盆期間の特別開講日のご案内をさせていただきます。

日 程:2015年8月12日(水)、13日(木)、14日(金)

時 間:いずれの日程も、10:00~12:30、13:30~16:00

費 用:小学生 3450円/1コマ(2.5時間) 
     中学生 3650円/1コマ(2.5時間) 
     高校生 3950円/1コマ(2.5時間) 

現在、12日(水)13:30~16:00、14日(金)13:30~16:00
の時間帯は定員に達しましたので、締め切らせていただきました。

それ以外の時間帯は空きがございます。

皆さまのご参加を心よりお待ちしております。

高の原教室 飯尾

夏講日記(その20)-留め置かまし 大和魂-

懐かしいことを思い出しました。と申しましても、大昔のことではありません。

土曜の午後の授業を終え、夕方の懇談を終え、教室を閉める準備をしていまして、ふっと思い出しました。

ちょうど一年ほど前でしょうか、同曜日、同時間帯にお母様と娘さんが入っていらっしゃいました。

小生を発見されるなり、「いらっしゃった!いらっしゃった!良かった!良かった!」と。

小生、奮闘努力の結果、お喜びいただいたこと、数知れませんが、教室にいただけで喜ばれたのは初めてでした。

驚きました。と同時に、記憶がよみがえって参りました。

ご訪問いただいた時から、更に一年数か月前、二月にしては暖かな日だったと思います。

近鉄奈良駅付近、東向北商店街を、妻と歩いておりました。

先ほど二人で食べておりました大仏うどんのことなど語らいながら、寒い季節は鴨汁つけ麺に限るとか、かき揚げの単品にはアクセントが効いているとか、注文してから時間がかかったのは鴨を採りに行っていたからにちがいない(笑)とか、他愛もないことをしゃべっておりました。

小生は古本屋へ、妻はケーキ屋へ、一瞬視線がクロスした時、視線の先、道路に落下した財布が見えました。

示し合わせたわけでもありませんが、二人ともダッシュしておりました。財布を拾ったときには、落とし主と思しき親子が20mほど前方に、歩き去っておりましたが、これまた示し合わせたわけでもなく、大声で親子を留めながら、財布を届けました。

お聞きしますと、奈良女子大学の2次試験を受験しに、島根県からいらっしゃったかたでした。一万円札が三十枚ほど入った財布が、ずしりと重かったです。「受験ですか?霊験あらたかな名刺をどうぞ。今後も何かありましたら、お電話していらっしゃい」。小生の名刺を渡しておきました。「霊験?…はい、保証の限りではありません」と、妻に笑われましたが。

さて冒頭の親子さんです。

「いつぞやは、お世話になりました。もっと早くお礼に伺うべきにもかかわらず、遅れました。申し訳ありません。」

「娘も、あの時の入試で、無事合格させていただき、財布を拾っていただきましたのと、すてきな名刺をいただきましたのと、ずっと感謝いたしておりました。ありがとうございました。」

仁義に厚い、すばらしいお二人でした。ほんの少しでもお役にたてましたなら、望外の幸せです。

今ごろ娘さんは三回生になられたでしょうか。残念ながら、お名前をお聞きし忘れました。

この記事をご覧でしたら、久しぶりに遊びにいらっしゃいませ。お待ちいたしております。

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夏講日記(その19)-留め置かまし 大和魂-

懐かしい方にお会いしました。二十数年ぶりです。

昨日・本日と、学園前教室の入っているビルに、ちょっとした工事が入りました。管理組合理事会から、工事の差配・確認のため、授業の合間に何度か現場を見せていただきました。

17時、工事終了。実は日程がずれ込んで、「本日、全工程終了」とはならなかったのですが、とりあえず現状確認に参りました。

現場で住人のかたと遭遇し、工事の必要性や今後の日程をご説明しながら…。

不躾ながら何故か「このかたに、以前に説明したことがある…」と思えて仕方なくなってきました。

そうこうしている間に「先生、お久しぶりです」の一言をいただきました。「〇〇(前職の大手塾です)の富雄校でお世話になっていました。△△△(某私立一貫校です)内部進学クラスを担当していらっしゃいましたよね」。

なるほど、「説明したことがあ」ったではなかったのですね、「授業をしたことがあった」が正解でした。

「二十五年ぶりですか?いや、もっとですかね?」

「理事会役員名簿に、お名前を見かけまして。まさか?いや、そんな?しかし?やはり…と、逡巡していました」

「懐かしいですね。お住まい、こちらでしたっけ?」

「はい、生まれも、育ちも。富雄には、電車に乗って、わざわざ通ってたんですよ。」

工事の話はさておき、昔話に盛り上がってしまいました。

学園前教室にお世話になって15年、こんなにお近くに、故あるかたがいらっしゃったとは…!。

時の流れが止まったように、若さと元気を取り戻すようでした。ありがとうございました。

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夏講日記(その18)-留め置かまし 大和魂-

真夏の夜に見る夢には、本当にはかない夢なのか、実は一丁前に現(うつつ)なのか、何とも判じがたい不思議な色がついています。

幼いころによく見た夢です。気持ち良く大空を滑空していると、突然のエンジントラブルに見舞われ、まっさかさまに急降下。顔面が風を切る抵抗感に、リアルな感覚があります。地面にたたきつけられる直前、短い一生が走馬灯のように走り抜けていったとき、叫び声とともに目が覚めるのです。悪夢は決まって紫色でした。

これも幼いころから、初老の今まで見続けています。うっそうとした深い山、中腹あたりにつながる獣道、ずんずんと進んでいくと集落、集落の中心に古井戸、なぜか生活臭の全くしない村民と、掘立小屋のような実家と。にぎわいと笑顔あふれる日中、し~んと静まり返った真夜中。オオカミの遠吠え、西の空に満月。翌日再び朝日が昇るとは思えないほどに、凍りついた情景。不気味な記憶は、決まってセピア色でした。

なんだかスカッとしない夢が多かったのですが、40台に突入してから見始めた夢は、ひたすら陽気でした。南京玉すだれのテーマソングに乗って登場した小生、歌って踊ってエンターテイメント、疲れたら眠り、美食の限りを尽くし、幸せ生活100%貫徹します。これは真っ青な夢です。いや正確には、真っ青な背景に浮ぶ千切れ雲に、小生が同化してしまっているのです。

何でこんな色なんでしょう。謎は深まりばかりです。

しかしながらいつぞや、阿部謹也『ハーメルンの笛吹』を読むにつけ、謎は謎のままであってこそ趣深いこともある…と。

敢えてこじつけることをせず、あるがままに謎を楽しもうと思っています。

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