偉-夏講日記(その40)

皆さんの学習を見ていて、本当に偉い!と思うことがあります。私が皆さんの年齢の頃には、できなかったことです。

夏休みも残り数日ですが、ゆく夏を惜しむかのごとく一生懸命に勉強し、その集中力たるや、比類なきものであることです。

大昔の私でしたら、ただでさえ勉強を放って、ふらふらと散歩に出かけたり、蝶々を追いかけたり、野球を始めたりしたものでした。

ましてや長時間の勉強など、想うだに恐ろしく、ダッシュで逃げ出していました。

皆さん、かつての私をはるかに凌ぐ勉強屋でいらっしゃいます。

しかしながら、私は老婆心に苛まれております。おそらく諸賢を前に、指摘の要をなさぬことではありますが、勉強の才能や素地があることと、実際にできるようになることは、予想をはるかに超えるほどに別物であります。

「皆しっかりやっているから、一人だけサボるのは恥ずかしい」とか、「真っ先に叱られたら、どうしよう」とか、そんな不安に駆られるだけの勉強ですと、誰も視ていなければ、さっさとサボりますでしょう。

サボっているようでは、実際にできるようにはなりません。

アホたれ少年であったところ私の、若かりし日の唯一の自慢は、やると決めたら猪突猛進だったことであります。

皆さん、せっかくの一生懸命、結実のポイントは、この一点突破にあるのではないでしょうか。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

焦-夏講日記(その39)

夏休みも残日カウントダウンで、焦る気持ちもわかりますが、少し冷静になってみましょう。

焦る人がやってしまう愚かな行動の第一位、とにかくたくさんの設問を解きっぱなしにして、やり直さないってことでしょうか。

「一度やったら頭に入るから、大丈夫!」という皆さん、戯れに一度解き直してみてください。

全然直らなくて、呆然としますでしょう。

「分かるとできるは違うって、何回聞いたことだろう…。」

そうですね、よく思い出してくださいました。

百題解いても一題もできるようになりませんでしたら、一題解いて確実に一題できるようにした人に劣ります。

できるようになったものだけが、得点力になるのですよね。

焦っているときこそ、冷静になってください。地に足をつけて、歩んでほしいです。

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学園前教室・杉浦

幻-夏講日記(その38)

秋の風を感じる早朝、いつも通りに目覚めました。寄宿生たちも、いつのまにか、私と相前後して起きるようになりました。

さっと洗顔を済ませたら、みそ汁のダシを取りはじめます。煮干しとシイタケと昆布と鰹節、ブレンド具合と煮出す時間、火加減が秘伝です。

生徒たちは、学校の時間割と宿題をチェック、制服に着替えてラジオ体操です。

今朝は寝ぼけまなこの二人ほどが、再体操を仰せつかりました。妻に鍛えられます。

大多数は甘樫丘展望台にダッシュ。大和三山に二上山、葛城・金剛が今朝も勇壮ではありませんか。

遠く箸墓まで見渡せるほど空気が澄んでいるのも、たいへん久しぶりです。飛鳥寺・安居院周辺からは、朝のかまどの煙が上がっております。

帰りがけ、道場の畑に寄って、みそ汁の具を摘んで帰ります。今朝は良い香りに色づいたシソの葉が人気でしたが、頑固にえんどう豆とか、いつもどおり大根とか、個性さまざまです。

「自分のことは自分でする」、「都会生活の便利にかまけない」、畑は道場の教戒を象徴するスポットです。

朝食を終えると、村に一つの公立小学校や、これまた村に一つの公立中学校や、橿原神宮の駅の西側の一貫校や、電車で二駅の公立高校に、それぞれ通学します。走って行く皆さんが多いです。

そうです。今日も一日が始まったのです。

…とまあ、こんなふうに、都会に疲れてしまった子供たちを、田舎で再生する鍛錬道場を造りたいのです。

毎日合宿しているようなもの…ですね。

夢は実現するためにあります。今日も一日がんばります。

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幻-夏講日記(その38)

秋の風を感じる早朝、いつも通りに目覚めました。寄宿生たちも、いつのまにか、私と相前後して起きるようになりました。

さっと洗顔を済ませたら、みそ汁のダシを取りはじめます。煮干しとシイタケと昆布と鰹節、ブレンド具合と煮出す時間、火加減が秘伝です。

生徒たちは、学校の時間割と宿題をチェック、制服に着替えてラジオ体操です。

今朝は寝ぼけまなこの二人ほどが、再体操を仰せつかりました。妻に鍛えられます。

大多数は甘樫丘展望台にダッシュ。大和三山に二上山、葛城・金剛が今朝も勇壮ではありませんか。

遠く箸墓まで見渡せるほど空気が澄んでいるのも、たいへん久しぶりです。飛鳥寺・安居院周辺からは、朝のかまどの煙が上がっております。

帰りがけ、道場の畑に寄って、みそ汁の具を摘んで帰ります。今朝は良い香りに色づいたシソの葉が人気でしたが、頑固にえんどう豆とか、いつもどおり大根とか、個性さまざまです。

「自分のことは自分でする」、「都会生活の便利にかまけない」、畑は道場の教戒を象徴するスポットです。

朝食を終えると、村に一つの公立小学校や、これまた村に一つの公立中学校や、橿原神宮の駅の西側の一貫校や、電車で二駅の公立高校に、それぞれ通学します。走って行く皆さんが多いです。

そうです。今日も一日が始まったのです。

…とまあ、こんなふうに、都会に疲れてしまった子供たちを、田舎で再生する鍛錬道場を造りたいのです。

毎日合宿しているようなもの…ですね。

夢は実現するためにあります。今日も一日がんばります。

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初-夏講日記(その37)

現職で初めて夏期講習をしましたのが、もう十数年前になります。

前職や前々職の夏期講習でしたら、両手両足の指を折って数えても足らないくらいにやりましたが、生徒の様子などあれこれを、たくさん覚えている反面、それ以外のことはほとんど覚えていません。

おそらくシナリオとテキストと動員目標一覧表が渡されて、「団結、ガンバロー!」みたいに始まったのだと思います。もちろん思い切りがんばりましたが、細部の記憶がないということは、可もなく不可もなかったのでしょう。

現職の夏期講習、初めて開催した時のことが印象深いのは、当時「中入部屋」と称する特訓部屋で教えられていた生徒たちが、わざわざリクエストしてくれた講座だったからです。

夏休みですから、リクエストはスルーして、バカンスを楽しんでも良かったのですが、生来頼まれごとをイヤとは言えない性分でして、気がついたら講習授業していました。

ひと夏ずっと出張って、わずかに51コマの売り上げでした。

それでも、「あんたの授業を受けたいから、やってくれよ!」という者たちと、「そんなら、いっちょモンだろか?」という者が、抜き差しならず鍛えあう瞬間が、そこにはありました。

時は移ろい今では、当時の十倍以上売り上げています。いや、それを言うなら前職以前では百倍以上売り上げていたこともありました。

しかしながら、現職のあの夏はナニモノにも代えがたい、もちろんお金で量りうるようなものでもない、この上なく貴重なものだったと思えてなりません。

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初-夏講日記(その37)

現職で初めて夏期講習をしましたのが、もう十数年前になります。

前職や前々職の夏期講習でしたら、両手両足の指を折って数えても足らないくらいにやりましたが、生徒の様子などあれこれを、たくさん覚えている反面、それ以外のことはほとんど覚えていません。

おそらくシナリオとテキストと動員目標一覧表が渡されて、「団結、ガンバロー!」みたいに始まったのだと思います。もちろん思い切りがんばりましたが、細部の記憶がないということは、可もなく不可もなかったのでしょう。

現職の夏期講習、初めて開催した時のことが印象深いのは、当時「中入部屋」と称する特訓部屋で教えられていた生徒たちが、わざわざリクエストしてくれた講座だったからです。

夏休みですから、リクエストはスルーして、バカンスを楽しんでも良かったのですが、生来頼まれごとをイヤとは言えない性分でして、気がついたら講習授業していました。

ひと夏ずっと出張って、わずかに51コマの売り上げでした。

それでも、「あんたの授業を受けたいから、やってくれよ!」という者たちと、「そんなら、いっちょモンだろか?」という者が、抜き差しならず鍛えあう瞬間が、そこにはありました。

時は移ろい今では、当時の十倍以上売り上げています。いや、それを言うなら前職以前では百倍以上売り上げていたこともありました。

しかしながら、現職のあの夏はナニモノにも代えがたい、もちろんお金で量りうるようなものでもない、この上なく貴重なものだったと思えてなりません。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

誉-夏講日記(その36)

夏講を乗り切ったら、自分自身にちょっとご褒美をあげようと思います。

国道24号を上がって山城大橋、右折して宇治川ライン、一気に抜けて瀬田の唐橋、渡って左折すると琵琶湖の湖岸道路、近江八幡までエアコンを切って窓フルオープン、長命寺方面に少しウネウネ、水ヶ浜シャーレに到着です。

C・W・ニコルが「すばらしい絶景!メシもうまい!」と評した琵琶湖が、眼前に広がります。

腹ごしらえが終ったら、湖岸道路をさらに北上。近江牛の大中町(大中遺跡でもあるのですが…)を東に突っ切り、安土城考古博物館へ。なんとイスパニア帽をかぶった信長を模しているとのことです。

このあと、安土城の旧天守に登っても良し、安土瓢箪山古墳という巨大前方後円墳に入り込んでも良し、かつて南近江支配の拠点であった観音寺城跡を眺めるも良し、楽しい一日が待っております。

今年も秋晴れの近江路を、真っ白なフェアレディZが疾走する日を夢見て、あと六日となった夏講を頑張ります。

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夏講を乗り切ったら、自分自身にちょっとご褒美をあげようと思います。

国道24号を上がって山城大橋、右折して宇治川ライン、一気に抜けて瀬田の唐橋、渡って左折すると琵琶湖の湖岸道路、近江八幡までエアコンを切って窓フルオープン、長命寺方面に少しウネウネ、水ヶ浜シャーレに到着です。

C・W・ニコルが「すばらしい絶景!メシもうまい!」と評した琵琶湖が、眼前に広がります。

腹ごしらえが終ったら、湖岸道路をさらに北上。近江牛の大中町(大中遺跡でもあるのですが…)を東に突っ切り、安土城考古博物館へ。なんとイスパニア帽をかぶった信長を模しているとのことです。

このあと、安土城の旧天守に登っても良し、安土瓢箪山古墳という巨大前方後円墳に入り込んでも良し、かつて南近江支配の拠点であった観音寺城跡を眺めるも良し、楽しい一日が待っております。

今年も秋晴れの近江路を、真っ白なフェアレディZが疾走する日を夢見て、あと六日となった夏講を頑張ります。

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惑-夏講日記(その35)

現職に就いてから、圧倒的に「不思議だ!」と言われること。それは他ならぬ勉強に関することです。ありていに言いますと…

「なんだかすごいテキストがあるわけではない。とんでもないカリキュラムがあるわけでもない。多少の工夫があるにしても、教材は既製品の枠を出ない。解説は丁寧だが、わからないところだけしかしない。希望がなければ、長時間授業するわけでもない。それどころか、やる気が無ければ、即時放り出される。ただ黙々とこなしていく。冗談は多いが、勉強に混在しない。要するに、一生懸命するが、アホしながらではない。煎じ詰めれば、何もない。」

「…なのに何故、勉強ができるようになるのですか?」

答えは簡単です。勉強ができないのは、できるまでやってないから、できないのです。できるまでやれば、できるのは当然です。勉強の派手とか、地味とかには、全く無関係です。

逆に、私が不思議だと申し上げたいことは…

「勉強とは何か特別なことであって、すごいテキストとカリキュラムがあって、もちろんオリジナルで、痒いところに手が届く解説があって、あらゆる設問がカバーされており、長時間拘束され、それが当たり前で、やる気があろうがなかろうが、この魔法のシステムにかかれば、誰でも勉強ができるようになる。眉間にしわを寄せて、ねじり鉢巻きの勉強が、ただ延々と続くだけで、そう言いながらも、ボ~っと他所事を考えている大多数の生徒にとって、ただ漫然たる時間が過ぎ去っていく。」

「…こんなもので勉強ができるようになると、何故信じてしまったのですか?」

世の中には、なんと不思議のあふれていることでしょうか(笑)。

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惑-夏講日記(その35)

現職に就いてから、圧倒的に「不思議だ!」と言われること。それは他ならぬ勉強に関することです。ありていに言いますと…

「なんだかすごいテキストがあるわけではない。とんでもないカリキュラムがあるわけでもない。多少の工夫があるにしても、教材は既製品の枠を出ない。解説は丁寧だが、わからないところだけしかしない。希望がなければ、長時間授業するわけでもない。それどころか、やる気が無ければ、即時放り出される。ただ黙々とこなしていく。冗談は多いが、勉強に混在しない。要するに、一生懸命するが、アホしながらではない。煎じ詰めれば、何もない。」

「…なのに何故、勉強ができるようになるのですか?」

答えは簡単です。勉強ができないのは、できるまでやってないから、できないのです。できるまでやれば、できるのは当然です。勉強の派手とか、地味とかには、全く無関係です。

逆に、私が不思議だと申し上げたいことは…

「勉強とは何か特別なことであって、すごいテキストとカリキュラムがあって、もちろんオリジナルで、痒いところに手が届く解説があって、あらゆる設問がカバーされており、長時間拘束され、それが当たり前で、やる気があろうがなかろうが、この魔法のシステムにかかれば、誰でも勉強ができるようになる。眉間にしわを寄せて、ねじり鉢巻きの勉強が、ただ延々と続くだけで、そう言いながらも、ボ~っと他所事を考えている大多数の生徒にとって、ただ漫然たる時間が過ぎ去っていく。」

「…こんなもので勉強ができるようになると、何故信じてしまったのですか?」

世の中には、なんと不思議のあふれていることでしょうか(笑)。

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