蓮-冬講日記(17)

昨日の珈琲屋さんで、「ブルーマウンテンが不作」の話題を省みました。気候変動と疫病が原因で、全治五年程度?…といった話題です。

育たなくなったかな?…と言いますと、私が気になっておりますのは、やはり「蓮」ですか。

毎年七月下旬になりますと、唐橋から湖岸道路をガーンと上がり、草津の琵琶湖博物館に車を停めて、水生博物館の裏に回ると、そこは蓮の大群生でありました。

たしか、売られていなかったのは「蓮弁当」だけでは?というくらいに蓮グッズも充実し、これまた記憶が不確かですが、「育ててみよう!蓮の種」みたいな露店で、くるみ割り器を使って種を割ってから播くなどという実演までありました。

報道によりますと、あの群生が消滅したと、にわかには信じがたい事態となっております。

せっかく行ってみても、全然咲いていないのでは挫けてしまいますので、いつのまにか石上神宮奥の蓮池に、心が移ろってしまいました。

神宮から山辺道を、内山永久寺跡に向かうと、釣り人がぐるりと座っております。

こちらは何とか生きながらえておりますようで、可憐な花を毎年楽しんでおります。

と言いましても、見ごろはほんの二、三週間。逃さずに歩きますのも、なかなかに難しいです。

この池の奥には、野生のわさびも採れるとか。まだまだ命あるモノたちの力強さに、勇気づけられもします。おもわずにっこりと、微笑んでしまいそうではないですか。

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学園前教室・杉浦

念-冬講日記(16)

小さな珈琲屋さんで、マンデリンを飲んできました。最寄駅から歩いて三十分、テーブル三つ、カウンターなしといった小さな店です。

店の構えは小さいながら、こだわりのブレンドが三十種類以上、ホットケーキだけの軽食もなかなかの味わいで、昭和四十年開店の風格が感じられるたたずまいです。

ホットケーキをムシャムシャ、マンデリンをズルズルしていますと、いかにもお上品な、ご年輩のご婦人がポツリとおっしゃいました。

「昔から、よく通わせていただいてるんです。最近は満席のことが多くて、めったにお邪魔できません。今日は幸運でした。」

なるほど、そうしますと、妻に連れられて初めて来訪しました私が、スルッと入店できてしまいましたのは、超幸運ということになります。

妻に聞きますと、妻も二年越しに念願成就とか。

何かにつけて私は、ダメならダメでさっさと忘れてしまうほうですから、ご婦人と妻の執念に感服した次第です。

勉強もこうありたいものだと、退店のまぎわ、頭をよぎりました。

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念-冬講日記(16)

小さな珈琲屋さんで、マンデリンを飲んできました。最寄駅から歩いて三十分、テーブル三つ、カウンターなしといった小さな店です。

店の構えは小さいながら、こだわりのブレンドが三十種類以上、ホットケーキだけの軽食もなかなかの味わいで、昭和四十年開店の風格が感じられるたたずまいです。

ホットケーキをムシャムシャ、マンデリンをズルズルしていますと、いかにもお上品な、ご年輩のご婦人がポツリとおっしゃいました。

「昔から、よく通わせていただいてるんです。最近は満席のことが多くて、めったにお邪魔できません。今日は幸運でした。」

なるほど、そうしますと、妻に連れられて初めて来訪しました私が、スルッと入店できてしまいましたのは、超幸運ということになります。

妻に聞きますと、妻も二年越しに念願成就とか。

何かにつけて私は、ダメならダメでさっさと忘れてしまうほうですから、ご婦人と妻の執念に感服した次第です。

勉強もこうありたいものだと、退店のまぎわ、頭をよぎりました。

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無-冬講日記(15)

身近なところから、いろんなモノが無くなり、身近にいる人たちが、ある日突然いなくなってしまったら、いったい私はどうしているだろうと思うことがあります。

おそらく真っ先に思いつきますのは、徹底的に「お気楽太郎」な生活。好きな本を読んで、好きな文章を書いて、好きに教えて、耕して、掘って、料理して…毎日が過ぎてゆく。

恐れ入ります。単なる妄想モードでしたでしょうか。

少し冷静に考えてみますと、「再構築次郎」な生活。モノをもらってきたり、買ってきたり、作ったり、人を呼んだり、呼ばれたり、会ってみたり、交友し始めたり。

いやはや、あまりに現実的すぎますね。

結局、落ち着き先は…と言いますと、無くなったモノを取り戻そうとしたり、いなくなった人を呼び戻そうとしたり、要するに私は、自分を取り巻く世界を、元に戻そうとするのでしょうね。

こんな空想実験をしてみますと、改めて「現在」のありがたさがわかるものです。

ややもすと疎まれがちな「今」こそが、最も心地よい空間であるとわかる、これほど幸せを醸しだす瞬間に、今日も感謝しています。

勉強も同じだと、私は思うのです。

無い物ねだりの妄想に憑りつかれた時や、現実という名の重圧に押しつぶされそうになった時、あれもこれものすべてが、代えがたく貴重な経験であると思えるましょう。

勉強って本当にすばらしいですね。

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厳-冬講日記(14)

彼は毎朝、あのコンビニにいます。私も毎朝、買い物に行きます。

彼はコンビニに入って来るなり、大きなリュックをドカリと下ろし、財布を探します。財布が見つかったら、おつりが無いように現金を準備し、パンを一個買います。買ったらそそくさと隅っこにダッシュして、パンをしまい、財布を直します。

次に彼は、飲み物を買います。大きなリュックから、もう一度財布を出し、ペットボトル一本を勘定してもらいます。買い終わったら、また財布をしまい、飲み物をなおします。

彼はこれを繰り返して、ひとつひとつ買い物するのです。

店員さんもよく判っており、決して彼を疎まず、一回一回「いらっしゃいませ」、「ありがとうございます」を繰り返します。

彼は買い物し終わると、満面の笑みを浮かべて、スキップしながら退店します。

お客さんたちは、初めてみると目を白黒させますが、事情を理解すると温かく見守ります。

何かとギスギスしがちな年末、私も含めてホッとする瞬間です。

勉強も同じです。「サッサとやれ!」とか、「段取り踏め!」とか、必ずしもそればかりでなくていいのではないでしょうか。

愚直だなどと言われようとも、大事なステップを一つ一つ踏むこと、むしろ勉強するときにこそ大切なことに違いありません。

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厳-冬講日記(14)

彼は毎朝、あのコンビニにいます。私も毎朝、買い物に行きます。

彼はコンビニに入って来るなり、大きなリュックをドカリと下ろし、財布を探します。財布が見つかったら、おつりが無いように現金を準備し、パンを一個買います。買ったらそそくさと隅っこにダッシュして、パンをしまい、財布を直します。

次に彼は、飲み物を買います。大きなリュックから、もう一度財布を出し、ペットボトル一本を勘定してもらいます。買い終わったら、また財布をしまい、飲み物をなおします。

彼はこれを繰り返して、ひとつひとつ買い物するのです。

店員さんもよく判っており、決して彼を疎まず、一回一回「いらっしゃいませ」、「ありがとうございます」を繰り返します。

彼は買い物し終わると、満面の笑みを浮かべて、スキップしながら退店します。

お客さんたちは、初めてみると目を白黒させますが、事情を理解すると温かく見守ります。

何かとギスギスしがちな年末、私も含めてホッとする瞬間です。

勉強も同じです。「サッサとやれ!」とか、「段取り踏め!」とか、必ずしもそればかりでなくていいのではないでしょうか。

愚直だなどと言われようとも、大事なステップを一つ一つ踏むこと、むしろ勉強するときにこそ大切なことに違いありません。

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楽-冬講日記(13)

日曜日も男は、あいかわらず早朝に起き出します。ほとんど水と食料だけ入ったリュックを担いで、ほとんど誰も乗っていない休日早朝のJRで、意気揚々と出かけます。

桜井か三輪で降りると、テクテク歩きはじめます。こんもりした起伏を見ると、必ず立ちどまります。

「立入禁止 宮内庁」の立札が無ければ、丘に登ります。古墳ですと墳丘頂です。茅原大墓の後円部頂から、はるか葛城・金剛を見渡すのが好きだそうです。

男はブツブツ言いながら、何か拾い続けています。「壺」とか、「甕」とか、「埴輪」とか、「口縁」とか、「突帯」とか。

素人でもわかる言葉から、複雑怪奇な呪文まで混在しています。

「弥生Ⅴ」とか、「庄内」とか、「布留Ⅰ」とか。土器編年の名称なのですが、ここらあたりになると誰もついていけなくなって、同伴者がいても(妻であることがほとんどですが)、放っておかれます。

「ヤマト土着」とか、「尾張」とか、「吉備」とか、「近江・越」とか。外来系土器の由来ですが、もうこの頃には、半径50メートル以内にほとんど誰もいなくなり、遠く二上山に夕日が沈みかけています。

男は楽しくてしかたのない勉強をしているのです。テーマは「邪馬台国と初期ヤマト王権」ですね。

何を隠そう、男は私です。私は理想的な勉強を堪能できる、根っからの幸せ者なのですね。

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日曜日も男は、あいかわらず早朝に起き出します。ほとんど水と食料だけ入ったリュックを担いで、ほとんど誰も乗っていない休日早朝のJRで、意気揚々と出かけます。

桜井か三輪で降りると、テクテク歩きはじめます。こんもりした起伏を見ると、必ず立ちどまります。

「立入禁止 宮内庁」の立札が無ければ、丘に登ります。古墳ですと墳丘頂です。茅原大墓の後円部頂から、はるか葛城・金剛を見渡すのが好きだそうです。

男はブツブツ言いながら、何か拾い続けています。「壺」とか、「甕」とか、「埴輪」とか、「口縁」とか、「突帯」とか。

素人でもわかる言葉から、複雑怪奇な呪文まで混在しています。

「弥生Ⅴ」とか、「庄内」とか、「布留Ⅰ」とか。土器編年の名称なのですが、ここらあたりになると誰もついていけなくなって、同伴者がいても(妻であることがほとんどですが)、放っておかれます。

「ヤマト土着」とか、「尾張」とか、「吉備」とか、「近江・越」とか。外来系土器の由来ですが、もうこの頃には、半径50メートル以内にほとんど誰もいなくなり、遠く二上山に夕日が沈みかけています。

男は楽しくてしかたのない勉強をしているのです。テーマは「邪馬台国と初期ヤマト王権」ですね。

何を隠そう、男は私です。私は理想的な勉強を堪能できる、根っからの幸せ者なのですね。

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想-冬講日記(12)

大和田原(やまとたわら)と聞いて、「ああ、あのあたりね」と、すぐにうなずけるかたは、かなり少数派かもしれません。

宇治茶の産地「宇治田原」に比べ、いかにも影が薄いです。

車でしたら高円山の横からグ~ンと登っていきます。それほど時間がかかるものでもありません。

この大和田原に、一ヶ月に一度、二時間に一本しかない奈良交通のバスに乗って、通いつめた研究者がいました。

大正期から昭和初期にかけて、比較的裕福な農村で盛んに行われた青年団運動を調べるためです。

あたりまえのことですが、人は学校だけで教育されるわけではありません。むしろ学校通いは、長い人生の中で、特殊なほんの一時期の出来事かもしれません。

昔の豊かな農村では、まさにそのごとくに、義務教育期以降の社会教育が充実していました。青年団運動は、その典型でした。

研究者は「田原村の字○○の○○爺さんの話」とか、「同じく田原村の字○○の○○ばあさんの話」とか、たいへんマニアックな史料をたくさん集め、一風変わった論文を書いておりました。

変わってはいましたが、私は研究者の論文が大好きでした。こんな理由からです。

爺さんやばあさんが若者だったころ、学齢期が終わっても学びたいと思いました。お百姓さんや木こりさんになるためだけでなく、よりよく住みやすい村を造るには学ぶべきだと考えたようです。

青年団は入会地の管理を手伝ったり、祭りの準備をしたりもしましたが、酒を飲んでクダを巻くばかりでなく、いやそんなことはほとんどせず、あれこれと集まって一生懸命勉強していた、その実態が研究者の論文から知られました。

農村の若い人たちには、より良き明日への「想い」が満ちていたのです。「想い」が自ら学ぶ人々を造り出していたといってもいいかもしれません。

勉強が嫌がられたり、捨てられたりする現代社会や都会のありようと比べて、なんと真逆であることでしょうか。

本来勉強は、こうしたものであったのだと思います。

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大和田原(やまとたわら)と聞いて、「ああ、あのあたりね」と、すぐにうなずけるかたは、かなり少数派かもしれません。

宇治茶の産地「宇治田原」に比べ、いかにも影が薄いです。

車でしたら高円山の横からグ~ンと登っていきます。それほど時間がかかるものでもありません。

この大和田原に、一ヶ月に一度、二時間に一本しかない奈良交通のバスに乗って、通いつめた研究者がいました。

大正期から昭和初期にかけて、比較的裕福な農村で盛んに行われた青年団運動を調べるためです。

あたりまえのことですが、人は学校だけで教育されるわけではありません。むしろ学校通いは、長い人生の中で、特殊なほんの一時期の出来事かもしれません。

昔の豊かな農村では、まさにそのごとくに、義務教育期以降の社会教育が充実していました。青年団運動は、その典型でした。

研究者は「田原村の字○○の○○爺さんの話」とか、「同じく田原村の字○○の○○ばあさんの話」とか、たいへんマニアックな史料をたくさん集め、一風変わった論文を書いておりました。

変わってはいましたが、私は研究者の論文が大好きでした。こんな理由からです。

爺さんやばあさんが若者だったころ、学齢期が終わっても学びたいと思いました。お百姓さんや木こりさんになるためだけでなく、よりよく住みやすい村を造るには学ぶべきだと考えたようです。

青年団は入会地の管理を手伝ったり、祭りの準備をしたりもしましたが、酒を飲んでクダを巻くばかりでなく、いやそんなことはほとんどせず、あれこれと集まって一生懸命勉強していた、その実態が研究者の論文から知られました。

農村の若い人たちには、より良き明日への「想い」が満ちていたのです。「想い」が自ら学ぶ人々を造り出していたといってもいいかもしれません。

勉強が嫌がられたり、捨てられたりする現代社会や都会のありようと比べて、なんと真逆であることでしょうか。

本来勉強は、こうしたものであったのだと思います。

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