春講日記(その18)-久方の光のどけき-

ウソをついたものは坊主刈り、杉浦部屋のルールその1です。泣く子も黙る、恐怖の掟…だそうです。

実はそんなにたいそうなものではありません。できることを正直にできると言い、できないことを正直にできないと言うことが、できないことをできるようになるためのキホンのキ…だと言っているだけです。

できることをできないと言って、無益な時間を過ごすことも、できないことをできると言って、できるようになる機会を失うことも、愚かだと言っているのです。

正直に勝る勉強姿勢はありません。正直になるためには、徹底的にウソを排することが大切です。勉強空間を共有する誰もが、同様に理解すべきことです。小生も例外ではありません。ウソをついたら潔く坊主刈りになります。

しみじみと「不思議なことだ」と語る生徒がいます。何が「不思議」なのかといいますと…。

できなくて叱られることがありません。そのかわり、できようとしなければ烈火のごとく叱られます。

わからなくても何度でも説明してもらえます。しかし、わかろうとしなければ、備品が宙を舞って襲いかかることがあります。うまく避けてくださいね。

世の中には、できなくて叱られる塾も、わからなくて叱られる塾も、掃いて捨てるほどあるのだそうです。

少し待ってください。あたりまえのことですが、叱られたからと言って、できるようになるのでもありませんし、わかるようになるのでもないでしょう。

「まず叱る」のは、まちがいです。けれども「永遠に叱らない」のもまちがいです。永遠にできないのは、できようとしていないからです。永遠にわからないのは、わかろうとしていないからです。

しまった!生きまちがえていた…という皆さん。四の五の言う前に、単刀直入、快刀乱麻、スカッと夏らしい髪型になって出直しなさい。

正直のすばらしさが、身にしみてわかること請け合いです。今日も一日、がんばりましょう!

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

春講日記(その17)-久方の光のどけき-

ご存知の方も多いと思いますが、小生週末婚しております。妻は故郷で学校教師をしておりまして、週末土曜・日曜になりますと、一緒に暮らしております。小生が実家に帰ることが25%程度、妻が奈良に来てくれますのが75%くらいです。

「平日忙しいのは両者同条件、なんで私ばかり、奈良に行かなきゃいけないの?」

と、怒っている妻を見たことがありません。小生が「今週末は、西殿塚古墳がワシを呼んでいる」などとウスラトボケテいましても、「よしよし」と、妻がきてくれます。感謝しています。

土曜の仕事を終えて帰宅しますと、お風呂や床やトイレやベランダが、ピカピカになっています。普段教室の掃除を欠かしたことはありませんが、こと自室のこととなると「汚くて死んだ奴はおらん!」などと、ヒョウヒョウと暮らしておりますので、妻に迷惑をかけていると思います。

「雪崩が起きたの…(^_^;)」

と、あきれ顔の妻も、しばしば登場します。部屋の一角に書籍山積みエリアができがちで、小生は意識してソ~っと脇を通りますから大丈夫なのですが、いかんせん20~30冊単位で注文するものですから、山はうず高くなりこそすれ、沈下することはありません。妻が横を通ると、しばしば雪崩るそうです。言い訳不可能なほどに、申し訳ないです。

正邪善悪をひけらかさず、あるがまま、なすがままを尊重し、秘かに裏方に徹してくれている妻。小生は妻が支えてくれているからこそ、後顧の憂いなく、好き放題仕事できるのだと思います。

小生ごときに、過ぎたる妻です。いつの日か心ゆくまで、今日までの尽きることなかった労苦を癒してあげたいと、切に感じております。

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春講日記(その16)-久方の光のどけき-

入試合格までと打って変わって、適度にサボりつつ入学式を迎えようとする狡猾な若者へ。

「勘違いしてはいけません。何のために入試があったのでしょうか。入試を課された皆さんは、それはそれは大変な思いをして、合格を克ち取ったことでしょう。しかしながら一方で、それと同じくらい大変な思いをして、合格者を選び出した皆さんもいらっしゃるのです。入試を課した皆さんは、入試が終わってダラケタ皆さんに、入学してほしいとは思っていません。受験しに来た、まさにあの日の真剣さを持って、まさにあの日の緊張感を持って、入学式を迎えてほしいと思っているのです。ですから再び仕切り直すことができない者は、入学しなくてよろしい。入試を課した皆さんに失礼です。潔く入学辞退なさい!」

そこまで厳しく言わなくとも、良いじゃありませんか、まだまだ祝賀ムード満喫で、始まってみりゃあ何とかなるさと、甘い見通し100%の困ったちゃんへ。

「残念ながら、何ともなりませんでしょう。やる気があれば、少しくらい学力が低かろうともカバーできます。やる気がないところに、幾百万のハウツーを並べ立てても、結局できるようにはなりません。勉強はやる気に始まりやる気に終わります。本当に大事なことを、見失ってはいけません。無理をしろと言っているのではありません。受験を通して普通に獲得できた教訓を、簡単に忘れないように!と言っているのです。今からでも遅くありません。心がけから原状復帰なさい。」

ほんのちょっとサボるつもりが、急降下爆撃機になって驚いている方、入試直前の頑張りを、遠い昔の地獄話としか思い出せない方、そもそも思考停止の仮死状態にある方…気づいた時が、直し時です。

小生の言葉を、少しでも厳しいと感じた方…何はなくとも、自らを律してください。

あれだけ厳しい入試を乗り切ってきた皆さんです。やれば必ずできるにちがいありません。今日もがんばりましょう!

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学園前教室・杉浦

春講日記(その15)-久方の光のどけき-

「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる」

いつもブツブツ言っていた友人がいました。いつもこんなことを言われました。

「杉浦ぁ、野菜食べろよぉ~♪」

中原中也の数倍、奇妙な節回しでした。ガリガリに痩せていた彼に、思わず忠告しました。

「おまえもなぁ、肉食べろよぉ~♪」

いつのまにか節回しが伝染していました。

高橋和己の『黄昏の橋』を「読め!」と言われました。

「弁天橋だろ?陰気な総括、やめえや。」

即座に返されました。

「わかっちゃいないんだよな、おまえ!」

わかっちゃいないのはどっちだ?この石頭!と、浴びせかければ殴り合いになりそうで、ぐっと飲み込みました。

最高学府の西のてっぺんにしては、不毛な会話が続いたのかもしれません。けれど何かお互いに、しゃべる喜びを感じたものです。

毎年春先だけ元気だった彼が、夏秋冬とどんどん弱り、いつのまにか春先にも会えなくなって、風のうわさに神に召されたと聞きました。

お互い不毛に若かった二人が、沈みかけた上弦の月を見ながら、ホワイトのお湯割りと焼きスルメで語り合ってから、25年が過ぎ去りました。

『黄昏の橋』、今も小生の本棚に、大きな顔をして並んでおります。

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春講日記(その14)-久方の光のどけき-

無意識のうちに繰り返し教えていることがあります。口を衝いて出てきてしまうので、どうしようもありません。

特段マズいことを教えているわけでもないので、口にチャックをするわけでもありません。口唇をして語らしめます。

「正直に勉強しなさい」。

繰り返されるフレーズは、これです。聞き飽きた方もいらっしゃるでしょう。しかし語り尽くされたわけでもありません。

観察してみましょう。正直に勉強する者は、頻繁に質問に来ます。何を聞きに来るのでしょうか?

1.何をどれだけやったらいいかわからないとき。スケジュールノートに予定を書き込めなくて相談に来ます。

2.予定はできたけれど、スムーズに進行しないとき。どう修正すべきか相談に来ます。

3.調子良く解きまくっていたのに、詰まってしまったとき。解決するために聞きに来ます。

4.解け直せないまま、深い謎に沈みそうなとき。これも解決するために聞きに来ます。

5.今日も十分がんばった、そろそろ自宅が恋しくなってきた時。帰っても良いと許可をとるために相談に来ます。

どの一つが不正直でも、学習成果が半減、いや四分の一になることばかりです。

正直者は必ず報われます。今日も正直に頑張ろうではありませんか。

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春講日記(その13)-久方の光のどけき-

明日香村にて、ウォーキングしてきました。ずっと雨降りで、珍しく一人、黙々と歩きましたので、ついつい歩きすぎたかもしれません。

まず朝風峠から稲渕へ。いつ来ても涼しいです。真冬だと寒いです。この季節くらいがちょうどいいですね。

ずっと気になっていたのですが、もうすぐ貝吹山がハッキリ見えてくるあたり、峠から見渡す南面(稲渕の逆方向です)、人工的に削平されたテラスが目立つんですね。棚田だったのかな?程度に思っていましたが、昨日は何ヶ所か降りてみてテラスに立ってみました。グラッといくと転落しますので、用心用心。

瓦の破片が、けっこう散乱しています。立部集落の定林寺跡みたいです。「朝風廃寺跡」と勝手に名づけました。文献に照らして…残念、記憶にないですね。しかし竹野王が稲渕に一字を建立したことも、平城京の長屋王木簡から跡づけられたのですから、まず文献ありき…ではなかろうかとも思います。

石舞台でイベントしてました。…が、雨で振るわず。土曜日は賑わっていたことでしょう。

岡寺参道入り口に抜けまして、cafe「ことだま」さんが移転してきてることに気づきました。二週間前、飛鳥ウォーキングした際、西飛鳥から消えていて驚きましたが、移転してきてもう一度驚きました。仲の良いご夫婦が切り盛りしておられるお店です。

野口駐車場に戻りつつ、旧飛鳥小学校や、甘樫丘など、ひととおり踏破して、久しぶりに畑道から野口王墓へ。天武・持統合葬陵です。

宮内庁の柵まわりをぐるっと一周できます。ちょうど真裏あたり。八角墳の墳丘が、気になって気になってしかたなかったです。

どう見ても墳土が減って、石室石が一つ飛び出してきているように見える部分があります。

このまま側壁石が飛び出したら、玄室に横から入れてしまうよね、忌々しきことだよね、けれど直すにはどうするのかな?もういちど押し込むのかな?組石のバランスが崩れているだろうに、押し込めるのかな?…ぶつぶつと、要らぬ心配をしておりました。

天武・持統陵は、もともと見瀬丸山古墳に治定されていました。鎌倉時代に書かれた盗掘記が見つかって、治定され直したといういきさつがあります。丸山古墳は、はるか明治期、ガーラントのころから開口していましたので、小生雨に歩き疲れて、野口王墓に幻視したのでしょう。

さて、体力もついたことですし、今週も張り切って参りたいと思います。

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春講日記(その12)-久方の光のどけき-

ふだんは各教室に散って仕事していますが、石川数学塾大阪の先生方は、皆仲良しです。

せっかくの機会ですから、ご紹介いたしましょうか。

まずは学園前教室と同じ奈良県内に、高の原教室があります。教室長・飯尾先生です。

どんな時も冷静に、驕(おご)らず、焦(あせ)らず、昂(たかぶ)らず。立居振る舞いが根っからダンディなナイスミドルです。

中学入試から大学入試まで、オールラウンドにこなされるスーパーマンでもあります。

次に生駒山を越えて、大阪に飛びましょう。上本町教室の中土井先生です。

重戦車の形容が似合う、ヘビー級です。人呼んで「ダンプ・中土井」。

きっと人当たりもゴリゴリかまされそうな…ご心配には及びません。実は他人の気持ちがよくわかる人情家なのです。

繊細(せんさい)にして親身な語りかけには、たいへん定評があります。胸襟(きょうきん)を開いて語り合える方です。

最後に京阪電車に乗って枚方教室へ。教室長・川添先生です。

回転の速い頭脳と、鋭い舌鋒(ぜっぽう)は、天下一品。

機関銃のような口調にも、しっかりとギャグをかませていただき、役に立つわ、楽しいわで、すぐに誰もがファンになってしまいます。

石川数学塾大阪を代表する、我らの偉大なボスでもあります。

さてさて慮(おもんばか)るに、まるで春の野に咲く百花繚乱(ひゃっかりょうらん)。互いに仲良しなだけではありません。相手のエクセレントを認め、尊敬することを厭(いと)いません。

面従腹背(めんじゅうふくはい)、蔑(さげす)みあうことばかりが多いご時世に、小生も末席お加えいただけるなら、誠に稀有(けう)なカルテット。

健全なるライバル意識と、尽きることのない連帯感を胸に、今日も一日がんばります!

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学園前教室・杉浦

春講日記(その11)-久方の光のどけき-

一年ぶりに e-mail のフッタを変えました。残念ながら、不評です(笑)。

ほんの少し、言い訳をさせてください。お願いします。

まずは不評なフッタから…。このようなものです。

「御真木入日子はや 御真木入日子はや 己が緒を 盗み殺せむと 後つ戸よ い行き違い 前つ戸よ い行き違い 窺はく 知らにと 御真木入日子はや」。

まず、意味不明と(笑)。こんな意味です。

「ミマキイリビコよ ミマキイリビコよ 暗殺者がお前を狙っている 正面玄関をウロウロ 勝手口をウロウロ 暗殺の機会をうかがっている おまえは気づいていないだろうと ミマキイリビコよ」。

次に、状況設定が不明と(笑)。こんな状況です。

『古事記』に曰く、大王家実質初代・崇神(すじん)大王(=ミマキイリビコ)が、大毘古(オオビコ)に命じて、北伐を開始しました。大毘古は山代(やましろ)国境の幣羅坂(ヘラザカ)にて、山代を統べる建波邇安王(タケハニヤスオウ)が崇神に謀反し、暗殺の機会を狙っているという歌を詠う不思議な少女に出会いました。大毘古は引き返し、崇神に報告ののち、建波邇安王を討滅したのでした。

小生のメールフッタは、少女が詠った歌です。

長すぎる!、メール本文よりも長いときがあるではないかと(笑)。

はい、申し訳ありません。しかしながらずっと、お気に入りの歌をフッタに据えてきましたので、小生のフッタにご立腹の皆様も、出会いがしら事故と思って諦めていただくしかありません。

最後に、まあ許してやろう、それでも何でこの歌が好きなのかと。

タケハニヤスオウは椿井大塚に葬られたといいます。JR奈良線に真っ二つにされている、巨大な前方後円墳です。卑弥呼の鏡といわれた三角縁神獣鏡が、初めて大量出土した古墳です。京都大学の小林行雄先生が、同笵鏡の流通センターと考えられたものでもあります。

おそらく実態以上に(いろいろな意味で)重く注目されてきた椿井大塚と、初期ヤマト王権を敵に回して堂々と渡り合ったであろうタケハニヤスオウ、千両役者のそろい踏みじゃありませんか。雄大なパノラマを感じますよね。

さて結局少女はナニモノだったのでしょうか。タケハニヤスオウの謀略露見が、極めて偶発的だったことを暗示しているのでしょうか。いやいや、そんなに堅苦しく考えなくても、重厚長大なドラマを軽く流すために登場した、ちょっとしたトリックスターだったのかもしれません。

『古事記』のこんな軽いフットワークが、小生大好きなのです。春の霞に思わず詠ってしまいます。「御真木入日子はや 御真木入日子はや…」。

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春講日記(その10)-久方の光のどけき

自分から「やる勉強」と、誰かに「やらされる勉強」。勉強には二種類あります。

「やる」ほうが「やらされる」よりも、絶対的に素晴らしい…とは思いませんが、あれこれ勉強現場に居るにつけ、「やる」ほうが気分が良い…とは思います。

「やらされる」皆さんは、常にレールを引いてもらわないと歩めません。歩んでいても、その歩みがきわめて他力本願ゆえ、つらくて苦しいだけで、達成感がありません。ため息ばかり吐いて、絶望の深淵へと、まっさかさまに落ちていきます。

いっぽう「やる」方々は、レールがあろうがなかろうが、決めた道を進みます。自助努力…当然、受益者負担…当然、たぶん羽交い絞めにして止めても、敵を一本背負いに投げ飛ばして進みます。多少の失敗、回り道などなんのその、不利益さえも「修行」と喜び、プラス指向150%に、ランランと生きていきます。

「やらされる」のは、見るに忍びないです。見ざるを得ないとなると、苦痛です。「やる」のは清々しいです。吸い込まれるような初春の青空を見る思いです。

好対照な二種類ですね。極めて残念なことながら、最近「やらされる」勉強が増えてきていると思うのは、はたして小生だけでしょうか。

どのみち歩まされるし、歩みたいわけでもないし、獣道は歩きたくないし、たとえ馬車馬でも舗装道路の方がいいし、なによりも急かされた方が、自己管理させられるよりも楽だし、堕落する理由は幾百万あることでしょう。

子供時代だけでなく、青年になっても、壮年になっても、老年になっても、誰かが導いてくれるなら、「やらされる」のも悪くないでしょう。現に目の前に、そんな人、いますか?

どうせ「やる」んなら、「やらされる」んと違って、自分から「やる」ねんで。できへんのやったら、「やらされる」ん待つ前に、何もかも止めえ。幸か不幸か世界第二位の経済大国に生まれたんや。止めても野垂れ死ぬことはないやろ。浮いた時間使うて、好きなことやったらエエ。どうせ一度の人生やろ。

…と、小生に諭されている隙に、どうか悟ってください。鉄槌が下る前に、生き直してください。

どうせ一度の人生だからこそ、200%の自己実現であってほしいと思っていますから。自分から「やる」人になりましょう!

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春講日記(その9)-久方の光のどけき-

小生、関西の塾業界にデビューしたのは、某大手塾の春期講習会からでした。

一生懸命に授業した日々を、懐かしく思い出します。あれからもう、三十年です。

本社勤めから現場デビューしたての、若いボスが仕切っていた教室でした。同期の同僚も、二人いました。

「叱る」と「怒る」の区別ができずに、しっかり仕込まれました。宿題チェックした生徒のノートに、気の利いた一言が書けず、ずいぶん悩みました。

あの時に鍛えてもらった「ありがたさ」が、身にしみる歳になりました。

もがくほどに泥沼だった時期がありました。特に春は鬼門でした。

受験生送り出してすぐの春講こそ要注意。無意識のうちに、最高到達形に至った先輩受験生と、まだ半分逃げ腰の後輩受験生を比べてしまいます。

「なんや、こんなもんも、できんのか!」

冷静に考えましたら、一年前の先輩受験生も、やっぱりできなかったにちがいありません。

「人はできないから勉強する」と、毎年戒められる春でした。

たった一つで良いですから、何か願いがかなうのでしたら、まるで眠るようにすやすやと、心地よく勉強してみたいものだと、きっと誰もが思っている、そんなうららかな春の講習が、小生は大好きです。

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