夏講日記(その15)-留め置かまし 大和魂-

文系・理系選択に迷っている生徒さんも多いでしょう。小生聞かれると、こんなふうに答えています。

「どっちを選ぶも、やりたい学問、なりたい仕事に依ること第一。数学の得手・不得手で、決めるものと違います。」

「大雑把にいって、手に職の理系、学問の文系。医者や薬剤師がいなければ、困る患者多数。しかし国文学や西洋史を知らなくて、危篤になる人はおりません。」

「そうは言うものの、人はパンのみにて生くるに非ず。豊かな食卓は、豊かな心あってこそ。」

「え?儲かるのはどっちかって?学歴におんぶ・だっこで、一生食ってける時代じゃありません。誰しも究極信じられるのは、己の細腕二本のみ。文・理どちらでも同じこと。」

「小生に引きつけて言えば、必要なのはチョーク一本(現状ボールペン一本)、腕一本、脳みそひとつ、机といすが各々一個。これまた、全く文・理を問わず。」

「大事なことは、悔いのない選択をすること。文学部に行っときながら、化学者になりたい…は、ありえない。理学部に行っときながら、歴史学を究めたい…も、ありえません。」

「のちに悔いるくらいなら、今、沈思黙考しよう。やりたいことを思う存分できる人がすばらしい人、できる環境がすばらしい環境、ただしすべて自己責任、他人のせいにするんじゃないよ。」

それでも決めかねている皆さんに。究極のお勧めです。

「優柔不断?いえいえ、大いなる大地は、そんな君たちを待っている。遥か3・4世紀、我邦『倭国』に、民族の理想とすべき国家があった。大王は人々のために祈り、人々は大王を敬い…。さあ、論より証拠、実証するために掘ろうではないか。君が進むべきは、文学部考古学科への道だ!」

残念ながら、「お~!」と叫び、「だ~!」と走り出す生徒に、未だ巡り会っておりませんが、何か心に響くものがある言葉のようです。いつにもまして、深く考える皆さんが、眼前にいます。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その15)-留め置かまし 大和魂-

文系・理系選択に迷っている生徒さんも多いでしょう。小生聞かれると、こんなふうに答えています。

「どっちを選ぶも、やりたい学問、なりたい仕事に依ること第一。数学の得手・不得手で、決めるものと違います。」

「大雑把にいって、手に職の理系、学問の文系。医者や薬剤師がいなければ、困る患者多数。しかし国文学や西洋史を知らなくて、危篤になる人はおりません。」

「そうは言うものの、人はパンのみにて生くるに非ず。豊かな食卓は、豊かな心あってこそ。」

「え?儲かるのはどっちかって?学歴におんぶ・だっこで、一生食ってける時代じゃありません。誰しも究極信じられるのは、己の細腕二本のみ。文・理どちらでも同じこと。」

「小生に引きつけて言えば、必要なのはチョーク一本(現状ボールペン一本)、腕一本、脳みそひとつ、机といすが各々一個。これまた、全く文・理を問わず。」

「大事なことは、悔いのない選択をすること。文学部に行っときながら、化学者になりたい…は、ありえない。理学部に行っときながら、歴史学を究めたい…も、ありえません。」

「のちに悔いるくらいなら、今、沈思黙考しよう。やりたいことを思う存分できる人がすばらしい人、できる環境がすばらしい環境、ただしすべて自己責任、他人のせいにするんじゃないよ。」

それでも決めかねている皆さんに。究極のお勧めです。

「優柔不断?いえいえ、大いなる大地は、そんな君たちを待っている。遥か3・4世紀、我邦『倭国』に、民族の理想とすべき国家があった。大王は人々のために祈り、人々は大王を敬い…。さあ、論より証拠、実証するために掘ろうではないか。君が進むべきは、文学部考古学科への道だ!」

残念ながら、「お~!」と叫び、「だ~!」と走り出す生徒に、未だ巡り会っておりませんが、何か心に響くものがある言葉のようです。いつにもまして、深く考える皆さんが、眼前にいます。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その14)-留め置かまし 大和魂-

平均して数週間に一度のペースでしょうか。一寸、ワケあり会議に出ています。

奈良盆地を囲う東の青垣を超えて、大和高原も幾山々超えて、広大な人造平原みたいなところまで車を走らせます。

予定通りの駐車スペースに、順繰り停めていきまして、一通りメンバーがそろったら、携帯電話を某音声交換サーバーに接続します。

スマホですとしゃべってる本人たちの動画まで交換できるそうですが、小生ガラケーですから音声のみです。

小生堂々と大きな顔してしゃべっておりますが、中には覆面やサングラスで顔を隠しているメンバーもいます。

かと思うと、会議途中で車を出て、食べ物や飲み物を買いに行ったり、一服してくるメンバーもいます。

会議への参加スタンスが微妙に違いますのは、それぞれ置かれた状況によるものと思われます。会議に参加したことが、ばれると困る方もいらっしゃるのでしょう。

それではいっそのこと、どうせ携帯会議なら、無理に参集せずともよろしかろうと?いえいえ、替え玉参加をチェックするには、参加メンバーの実在確認が不可欠です。下手すると、携帯を乗っ取られているかもしれませんからね。

肝心の会話の中身ですが、業務秘密につきお話しできません。ふざけた内容ではありませんから、ご安心ください。

参加メンバーは全員、小生と業界を同じくする者たちです。ご想像の通り、何らかの業界トークが語られているのでしょう。

直近の会議が、かなり白熱しまして、深夜終了、疲労困ぱい、上弦の月が西の空に傾きかけておりました。

「東(ひんがし)の 野にかぎろひの 立つ見え…」…見えへんのは、なんでやねん?「かへり見すれば、月傾」いとんのに…と、ボ~と考えておりました。

なるほど、(柿本)人麻呂が詠んだのは、まぎれもなく満月で、満月が西に傾いてこそ、太陽が東から顔を出すのであって、上弦の月には、期待すべくもないことだ…と、クリアに考えられるようになるのを待ってから、車を走らせて帰ってきました。

西の空、上弦の月が、大きく美しかったです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その14)-留め置かまし 大和魂-

平均して数週間に一度のペースでしょうか。一寸、ワケあり会議に出ています。

奈良盆地を囲う東の青垣を超えて、大和高原も幾山々超えて、広大な人造平原みたいなところまで車を走らせます。

予定通りの駐車スペースに、順繰り停めていきまして、一通りメンバーがそろったら、携帯電話を某音声交換サーバーに接続します。

スマホですとしゃべってる本人たちの動画まで交換できるそうですが、小生ガラケーですから音声のみです。

小生堂々と大きな顔してしゃべっておりますが、中には覆面やサングラスで顔を隠しているメンバーもいます。

かと思うと、会議途中で車を出て、食べ物や飲み物を買いに行ったり、一服してくるメンバーもいます。

会議への参加スタンスが微妙に違いますのは、それぞれ置かれた状況によるものと思われます。会議に参加したことが、ばれると困る方もいらっしゃるのでしょう。

それではいっそのこと、どうせ携帯会議なら、無理に参集せずともよろしかろうと?いえいえ、替え玉参加をチェックするには、参加メンバーの実在確認が不可欠です。下手すると、携帯を乗っ取られているかもしれませんからね。

肝心の会話の中身ですが、業務秘密につきお話しできません。ふざけた内容ではありませんから、ご安心ください。

参加メンバーは全員、小生と業界を同じくする者たちです。ご想像の通り、何らかの業界トークが語られているのでしょう。

直近の会議が、かなり白熱しまして、深夜終了、疲労困ぱい、上弦の月が西の空に傾きかけておりました。

「東(ひんがし)の 野にかぎろひの 立つ見え…」…見えへんのは、なんでやねん?「かへり見すれば、月傾」いとんのに…と、ボ~と考えておりました。

なるほど、(柿本)人麻呂が詠んだのは、まぎれもなく満月で、満月が西に傾いてこそ、太陽が東から顔を出すのであって、上弦の月には、期待すべくもないことだ…と、クリアに考えられるようになるのを待ってから、車を走らせて帰ってきました。

西の空、上弦の月が、大きく美しかったです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その13)-留め置かまし 大和魂-

「中入三訓」について、ご質問いただきました。小生の夏講日記を、熱心にお読みいただいている方からの質問です。

「逃げない、放らない、ウソつかない」。ぶっきらぼうにも、昨日スローガンだけ書かせていただいたものです。

まず、勉強から逃げてはいけません。逃げようと思うだけでもいけません。逃げようと後ろを向いただけで、アウトです。

しょせん逃げる勉強でしたら、そもそも始めなければよいのです。中途半端はいけません。やり始めたら最後まで、逃げずにやり通すべきです。

次です。眼前の課題を放り出してはいけません。この問題、あの問題を解こうと思ったのも何かの縁、さっさと放り出すのでしたら、解き出してはいけません。設問に対して失礼です。

最後に一番大切なことです。

ウソをついてはいけません。わからないことを解ると言ったり、できないことをできると言ったり、逆に、わかることを解らないと言ったり、できることをできないと言ったり…すべてダメです。

わからないことが解るようになり、できないことができるようになる、これこそが勉強です。

何が解らないから勉強するのか、何ができないから勉強するのか、これら勉強の「そもそも」が、歪められたり虚飾されたりしたら、勉強が始まらないのです。

勉強のお手伝いをすることに喜びを感じる私たちは、途方にくれます。

勉強の成果が思ったほどに上がらないから、勉強する皆さんは勉強が嫌になってきます。

膨大な時間、膨大なお金が無駄になります。

そうならないための第一歩、これこそが「ウソをつかない」ことなのです。

「三訓」あり。入室テスト無し。「三訓」違反に罰則あり。

今も昔と変わらぬ、中入部屋のスタイルです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その13)-留め置かまし 大和魂-

「中入三訓」について、ご質問いただきました。小生の夏講日記を、熱心にお読みいただいている方からの質問です。

「逃げない、放らない、ウソつかない」。ぶっきらぼうにも、昨日スローガンだけ書かせていただいたものです。

まず、勉強から逃げてはいけません。逃げようと思うだけでもいけません。逃げようと後ろを向いただけで、アウトです。

しょせん逃げる勉強でしたら、そもそも始めなければよいのです。中途半端はいけません。やり始めたら最後まで、逃げずにやり通すべきです。

次です。眼前の課題を放り出してはいけません。この問題、あの問題を解こうと思ったのも何かの縁、さっさと放り出すのでしたら、解き出してはいけません。設問に対して失礼です。

最後に一番大切なことです。

ウソをついてはいけません。わからないことを解ると言ったり、できないことをできると言ったり、逆に、わかることを解らないと言ったり、できることをできないと言ったり…すべてダメです。

わからないことが解るようになり、できないことができるようになる、これこそが勉強です。

何が解らないから勉強するのか、何ができないから勉強するのか、これら勉強の「そもそも」が、歪められたり虚飾されたりしたら、勉強が始まらないのです。

勉強のお手伝いをすることに喜びを感じる私たちは、途方にくれます。

勉強の成果が思ったほどに上がらないから、勉強する皆さんは勉強が嫌になってきます。

膨大な時間、膨大なお金が無駄になります。

そうならないための第一歩、これこそが「ウソをつかない」ことなのです。

「三訓」あり。入室テスト無し。「三訓」違反に罰則あり。

今も昔と変わらぬ、中入部屋のスタイルです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その12)-留め置かまし 大和魂-

久しぶりに昔の「中入部屋」で授業しました。2年3ヶ月ぶりです。

諸事情ありまして、「中入部屋」が玄関脇に出てきてから、102教室の大部屋に、小生は仁王立ちしていたことになります。

懐かしさコミアゲてきて、うれしくて、うれしくて、とにかくうれしかったです。

勢い余って、昔物語など思い出しました。

「中学入試の部屋」、略称「中入部屋」が、初めての中学受験生を送り出したのが平成15年度入試でした。

まだこの頃には、「部屋」と呼びうるハコモノもハッキリとはせず、文字通り「さまよえる」教室でした。

平成16年度入試の受験生を送り出したころから、だんだんと体裁が整い、「中入部屋」といえば、ああ!あそこ!と、組織内的には一応の認知を得たように記憶しています。

中学入試専門って打ち出しが、これまた組織内的には全く初めてで、塾ひしめく地域的にも、当時極めて珍しかったようです。

加えてしつこいですが、組織内的にはハイソで上品な授業スタイルが一般的であったにもかかわらず、やたらと声が大きかったり、時に怒号が飛び交ったり、たまには叱責されて泣いている生徒がいたり、ウソついて坊主刈りになる生徒がいたり…と、特異な集団であったろうと思います。

平成17年度入試で初めての最難関合格を克ち取り、しかも東大寺学園だったもので、そののち例年のようにこの傾向が続いてきました。

しかしながら思い返すに、我々は入試実績を上げることを第一義的な目標とする集団ではなかったとおもいます。

俗に中入三訓と言います。「逃げない、放らない、ウソつかない」。これだけのみ墨守していた我々は、いつのまにか、結果として、たまたま栄冠を克ち取ってきただけに過ぎないのではないでしょうか。

こんなこと言いますと、「かっこ良すぎます!」と、たしなめられることが多いですが、事実はありのままにしか書き表せません。

さりながら、小生も齢重ねて、まあるい親父になってきたようで、夏合宿を手伝ってくれる卒業生スタッフには、「昔の杉浦先生は、恐ろしかった。」「トイレで寝ていて、ドアをけり破られたことがある。」「ドアが直撃して気絶していたら、さっさと起きて(ドアを)直さんかいと、更に叱られた。」「約束を破ったら、潔く坊主刈りになって行き、玄関に土下座して挨拶するモノだった。」などと、若者たちをビビらす者もいます。

若者たちは今の小生の姿からは想像もできないようで、多少混乱しているようです。

ともあれ、時の流れが止まったかのような部屋に、久々に小生の解説がこだましました。

至福の時でした。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その12)-留め置かまし 大和魂-

久しぶりに昔の「中入部屋」で授業しました。2年3ヶ月ぶりです。

諸事情ありまして、「中入部屋」が玄関脇に出てきてから、102教室の大部屋に、小生は仁王立ちしていたことになります。

懐かしさコミアゲてきて、うれしくて、うれしくて、とにかくうれしかったです。

勢い余って、昔物語など思い出しました。

「中学入試の部屋」、略称「中入部屋」が、初めての中学受験生を送り出したのが平成15年度入試でした。

まだこの頃には、「部屋」と呼びうるハコモノもハッキリとはせず、文字通り「さまよえる」教室でした。

平成16年度入試の受験生を送り出したころから、だんだんと体裁が整い、「中入部屋」といえば、ああ!あそこ!と、組織内的には一応の認知を得たように記憶しています。

中学入試専門って打ち出しが、これまた組織内的には全く初めてで、塾ひしめく地域的にも、当時極めて珍しかったようです。

加えてしつこいですが、組織内的にはハイソで上品な授業スタイルが一般的であったにもかかわらず、やたらと声が大きかったり、時に怒号が飛び交ったり、たまには叱責されて泣いている生徒がいたり、ウソついて坊主刈りになる生徒がいたり…と、特異な集団であったろうと思います。

平成17年度入試で初めての最難関合格を克ち取り、しかも東大寺学園だったもので、そののち例年のようにこの傾向が続いてきました。

しかしながら思い返すに、我々は入試実績を上げることを第一義的な目標とする集団ではなかったとおもいます。

俗に中入三訓と言います。「逃げない、放らない、ウソつかない」。これだけのみ墨守していた我々は、いつのまにか、結果として、たまたま栄冠を克ち取ってきただけに過ぎないのではないでしょうか。

こんなこと言いますと、「かっこ良すぎます!」と、たしなめられることが多いですが、事実はありのままにしか書き表せません。

さりながら、小生も齢重ねて、まあるい親父になってきたようで、夏合宿を手伝ってくれる卒業生スタッフには、「昔の杉浦先生は、恐ろしかった。」「トイレで寝ていて、ドアをけり破られたことがある。」「ドアが直撃して気絶していたら、さっさと起きて(ドアを)直さんかいと、更に叱られた。」「約束を破ったら、潔く坊主刈りになって行き、玄関に土下座して挨拶するモノだった。」などと、若者たちをビビらす者もいます。

若者たちは今の小生の姿からは想像もできないようで、多少混乱しているようです。

ともあれ、時の流れが止まったかのような部屋に、久々に小生の解説がこだましました。

至福の時でした。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その11)-留め置かまし 大和魂-

一瞬、何をしゃべっていたのか、わからなくなる時があります。頭が真っ白になるってやつです。

若い頃、機関銃のようにしゃべっていた頃には、本当に頻繁にありましたが、最近少なくなってきましたのは、落ち着いてしゃべるようになってきたからでしょうか。

頭が真っ白になっているばかりでは、授業が前に進みません。いつしか、そうならないように、防衛努力をし始めた小生です。

どうしたかと言いますと、直近に話していた話題を、代表的な単語で覚えておくようにしたのです。

今日の授業でもこんなことがありました。

古文を熱心に勉強していた生徒と、『平家物語』のネタ話に、源平争乱時、東大寺大仏殿が焼け落ちた話に及びました。焼け落ちと言えば戦国期にもあって、有名な松永弾正が焼き払った、松永弾正と言えば聖武陵古墳に多聞城を造った人物だが、帝陵に城塞とは…と驚くなかれ、その前には眉間寺というお寺が建っていた、眉間寺とは奇妙な名前であるが、眉間ビームを発する怪しい仏が祀られたので…と、とどまるところを知らなければ知らないほど、話が元へ戻らなくなっていくのです。

あれこれしゃべりながら、頃合いを判断するに、そもそも『平家物語』から始まったお話なので、「そうして結局、諸行無常というわけやね。焼け落ちた大仏は、祇園精舎の鐘を聞いたんだろうかね?」と、落としどころはまさにここ…です。

そもそもの話初めが、『平家物語』だったと覚えておいてよかったです。安心して元の地点に帰ることができますものね。

頭真っ白対策、皆さんのお役にたちますでしょうか。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記(その11)-留め置かまし 大和魂-

一瞬、何をしゃべっていたのか、わからなくなる時があります。頭が真っ白になるってやつです。

若い頃、機関銃のようにしゃべっていた頃には、本当に頻繁にありましたが、最近少なくなってきましたのは、落ち着いてしゃべるようになってきたからでしょうか。

頭が真っ白になっているばかりでは、授業が前に進みません。いつしか、そうならないように、防衛努力をし始めた小生です。

どうしたかと言いますと、直近に話していた話題を、代表的な単語で覚えておくようにしたのです。

今日の授業でもこんなことがありました。

古文を熱心に勉強していた生徒と、『平家物語』のネタ話に、源平争乱時、東大寺大仏殿が焼け落ちた話に及びました。焼け落ちと言えば戦国期にもあって、有名な松永弾正が焼き払った、松永弾正と言えば聖武陵古墳に多聞城を造った人物だが、帝陵に城塞とは…と驚くなかれ、その前には眉間寺というお寺が建っていた、眉間寺とは奇妙な名前であるが、眉間ビームを発する怪しい仏が祀られたので…と、とどまるところを知らなければ知らないほど、話が元へ戻らなくなっていくのです。

あれこれしゃべりながら、頃合いを判断するに、そもそも『平家物語』から始まったお話なので、「そうして結局、諸行無常というわけやね。焼け落ちた大仏は、祇園精舎の鐘を聞いたんだろうかね?」と、落としどころはまさにここ…です。

そもそもの話初めが、『平家物語』だったと覚えておいてよかったです。安心して元の地点に帰ることができますものね。

頭真っ白対策、皆さんのお役にたちますでしょうか。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦