冬野菜-冬講日記(23)

秘かにお百姓をやっていた頃、もう二十年も前になりますか、冬野菜が好きでした。

お百姓というお仕事そのものが好きですから、いつなんどきの野菜でも良さそうです。そうですね、そのとおりでしょう。

たしかに夏野菜には、夏野菜なりの魅力があります。苗を植えて、梅雨になって、梅雨が明けて、カンカン照りで、植えたことすら忘れていると、大粒のナスやキュウリができあがる。

ほとんどセルフグロウですが、力強さを感じます。しかしながら冬野菜は、そんなわけにはいきません。

ただでさえ地力衰える季節、野菜と言えども増えすぎは禁物です。うまいこと間引かなくてはなりません。

寒天と相談忙しく、うまく育った大根抜くなら青首が見えて前後10日がベスト、白菜は霜が降りる前に縛ってやらないと傷んでしまいます。

あれこれ手間暇かけさせられますが、引っこ抜いて刺身で食べるには、何といっても冬野菜です。新鮮なうちは、ほんとうにトロリと甘いです。

こんなこと書いていましたら、那羅山に借りる予定の畑へ、すぐにもダッシュしそうです。

もうしばらく我慢して、お仕事がんばろうと思います(笑)。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

遠くに行きたい-冬講日記(22)

仕事が立て込んできますと、なんだか無性に遠くに行きたくなります。さきに仕事を片付けてから行こうというわけでなく、何とかなるさ!と、風の吹くまま、気の向くまま…、なんとも不思議な性分です。

もうすぐ半世紀も前、西三河の山猿だったころ、鎮守の森の向こうに、「ひかげ」という名の集落があると教えられました。山猿は秘かに、「ひかげ」集落を目指して歩む機会を狙っていましたが、道がわかりませんでした。

古老曰く、ご神体の裏の獣道を登ればよいと…。数メートル先、深い竹藪に吸い込まれていく獣道を、歩む勇気のない山猿でした。

川筋に上るとダムがあり、さらに上流の水源には、年中霧が立ち込めている「ねいけ」がある、それはそれは幻想的な光景だと、これまた小耳にはさんだ山猿でした。これまた行ってみたいものだと思いながら、実現しておりません。

谷間の小さな集落を、山が囲んでおりました。山の奥には巨人が住んでおり、たまにニョキッと顔をのぞかせ、歩いてこちらに来ることもあると、巨人の足が地についたところに、谷間ができて、集落ができて、言うならば見渡す限り、壮大な巨人の住まいであると…。

「だいだらぼっち」の巨人伝承…、大人になって、民俗学を勉強して、知るところとなりました。

道行く人が急ぎ足になるこの時期になると、見たことないものを見たくなります。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

事故-冬講日記(21)

事故-冬講日記(21)

目の前で大交通事故…が、たいへんしばしばありました。

この記事を書いている30分ほど前、阪奈道路で5台玉突き、破片が路上に散乱中…といった現場をすり抜けてきました。

こんなことがあると、思い出さなくてよいはずなのですが、何気なく思い出してしまうことがあります。

もう10年も昔でしょうか。解説用ノートを書いて、残業終了。27時30分、教室を施錠。学園前から阪奈道路を東進、奈良方面に車を走らせていました。

近鉄橿原線の高架を過ぎたあたり、前方にハザード。近づいて見ると、フロントガラスを含めて前方がグチャグチャに壊れた車と、ピクリとも動かないご老人が横たわっておりました。

ランドクルーザータイプの車を運転していた青年は、明らかにアルコール臭ふんぷん、「こりゃ、だめだ」と思い、三角板を立て、警察と救急に電話しました。

青年は呼気アルコールチェックののち現行犯逮捕、ご老人は即死だったそうです。

青年が救急車を呼ぶ振りしながら、現場で二時間も酒抜きを図っていたとか、「初めにぶつかったのは自分だが、あとから何台もご老人を轢いていった」などと、苦し紛れの供述に終始したりとか、むかっ腹の立つ往生際の悪さを感じました。

青年が供述した車種、ナンバーがデタラメだったこと、善意の通報ドライバーが、「いつでもルミノール反応を取ってね」と、堂々としていたことにより、単独犯と確定したようです。

「殺人罪でよかろう」と、今でも思います。過失致死とか、危険運転致死とかではなかろうと。

それと同時に、若干23歳の青年の、おそらくは母親が、動かぬご老人に向かって息子の非を侘び、号泣しておられた姿が目に焼きついて離れません。

過失は誰にでもあります。しかし、避けることができる過失は、まず避けるべきです。己の無責任が原因で招いた失敗を、過失とは申しません。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

直す-冬講日記(20)

できなかった問題を直します。あたりまえのことですね。

「面倒だから、放ってある」という生徒がいます。論外ですね。

直すことの大切さを諭します。多くの生徒が素直に聞き入れます。

シブシブでも直し始めると、いつの間にか習慣になって、自然とできるようになっていきます。慣れることも大事なことですね。

小生、勉強を教える人になって、30年以上たちました。過ぎ去りし日々を振り返るに、勉強ができるようになった生徒の多くが、強烈に「直す」人々だったことを思い出します。

大きなテストの前日になると、理科、社会のテキストを積み上げて、片っ端から直していた生徒。早朝から深夜まで、ず~と直しておりました。

どんなテストが終わったあとにも、必ず「直らん」出題を持ってくる生徒。目の下に大きな隈をつくっていましたから、奮闘努力した結果だったのでしょう。

小生の採点を待ちきれずに、奪うようにして持ち帰り、わき目も振らず直し始める生徒。正解は実力で克ち取るもの…と、何度も宣言しておりました。

偉大な先輩たちに続き行く者たちが、今日もがんばっています。

いきなり解けて喜ぶだけの人ではなく、気の遠くなるような修行の彼方に、一筋の光明を見出す人になってほしいです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

琵琶湖の夜景-冬講日記(19)

月めくりカレンダーが、最後の一枚を残すのみとなっている今日この頃です。

学園前教室の壁掛けカレンダーが、京大ボート部の新入部生発掘用のものにかわって、かれこれ二年が過ぎ去ろうとしています。

今年の12月は、瀬田を漕ぐ舵手なしペアですね。背景に大津と堅田の夜景が映えます。

心地よい疲れを感じます。眠らない街も感じます。

R24を北上して、木津川に山城大橋、橋と逆方向に宇治川ライン、瀬田の唐橋を横切って湖岸道路に入ります。

何度も走った道も最近は、もっぱら安土城博物館に行くために使っています。

奈良への帰路、夕暮れの琵琶湖大橋を過ぎたところで、対岸の大津市街を眺めると、カレンダーと同じ光景です。

このコースなら、きまって早めの夕食が、近江八幡の「シャーレ」にて。

沈む夕日を堪能できれば、幸せ無限大です。

楽しかった一日を、まぶたに焼きつけつつ…。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

迷惑-冬講日記(18)

石川数学塾大阪・学園前教室は、セブンスターマンション学園前の102号室にあります。このブログをご覧の皆様には、至極当然!、あたりまえ!、何をいまさら?…だと存じます。

小生もそう思っておりました。…が、一昨日、耳を疑うようなお話を、とある公機関のかたからお聞きしました。

「〇〇-〇〇の奈良ナンバーの軽自動車が、不審であるという通報がありました。自動車の所有名義が、こちらの部屋になっておりますが…」

なんのこっちゃ?と思いながら、軽自動車の駐車位置を確認し、おそらく所有者であろう者が別室に在することを伝えました。この者とは三年弱にわたって没交渉でしたので、存否すら不案内でしたが…。

公機関のかたは、戸惑いながらも小生に案内されて、別室に消えました。

どうにも気になりましたので、別室を退出された公機関のかたに、詳細お伺いいたしますと、軽自動車の前方バンパーが大きく破損し、後方バンパーにも傷、左側面にも傷、車内に大量の荷物を放置…と、正直疑われてもしかたのない状態だと思いました。公機関のかたと、現場確認しながらの感想です。

総括します。

軽自動車はおそらく、法人名義のものなのでしょう。法人を改組し、所在地情報が更新されたのなら、速やかに関連名義を書き換えるべきです。放置することは、諸法令に違反します。

軽自動車の損壊具合が、たとえ法令の許す範囲にあるとしても、近隣住民に不安を与えるような状態で放置するのはモラルに反します。「修繕費用が無い」のなら、乗らなければよいのです。

公機関のかたには、寒空のもと業務遂行に感謝いたしますが、道路交通法、車輌法に精通していただき、厳しい取り締まりをお願いしたいです。「整備士でないから、わかりません」では、違法改造車すら取り締まれません。

いろいろ考えさせられる師走でした。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

はるまげ丼-冬講日記(17)

その大衆食堂は、とある研究機関の裏手にありました。建物の裏だから「うらめしや」と。

うらめしやに、伝説の必殺メニュー「はるまげ丼」がありました。親子丼とか、牛丼とか、天丼とか、…どんぶりもん一覧の最後に、ひっそりと小さく書かれていました。

うらめしやは、深夜食堂でした。終電ギリギリに、メシをかきこんで、最後の力を振り絞って駅に急ぐ店です。

不思議な店でした。そもそも営業しているところを見た者が、ほとんどいません。客として入ったことがある者も、メニューまでしっかり見ているわけではありません。ましてや、はるまげ丼を食べたことがある者など、ほとんど皆無というところでした。

まさに、はるまげ丼、噂になって進撃中!…でしたか。

誰も見たことがないと、逆に知りたくなってくるものです。某研究の先々代のプロジェクトリーダーが食べてみたら、大きな樽に一斗メシが出てきて、親子丼の具や、牛丼の具や、天丼の具がすべて乗っていた…とか、完食すると一年に一度「はるまげ会」に招待されて、無料で腹いっぱい食うことができる…とか、ついでの手足が生えていました。

ある満月の夜、23時30分、家路を急ぐ同僚研究者が、うらめしや経由で終電ゲットに走りました。とっくに終電を諦めていた小生は、同僚を見送って再び机へ。

28時ジャスト、歩いて帰るために研究室を施錠、門から出たところで、見違えるほど薄汚れた同僚に出会いました。

確かにうらめしやに入って、天丼を注文して、店を出たところまで記憶にあるそうです。しかしながら、数時間後、ふと気づいたら、何やら苦いものが口の中に!野草を食べていたことに気づいたそうです。

うらめしやは跡形もなく、満月と草原だけが目に映りました。

そういえば、うらめしやを語る皆さんは、大昔の思い出話ばかり。…最近行ってきました、って報告が絶えて久しかったです。

同僚と顔を見合わせて、思わず笑ってしまいました。お互い、忙しすぎましたね。それにしても、過労死防止効果のある都市伝説なんて、すてきじゃありませんか(笑)。

へい!らっしゃい!はるまげ丼、いっちょう!…親父の元気な声が、夜明けの草原に響いたような気がしました。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

暖冬-冬講日記(16)

アナウンスされまくりますと、気にならなくなってしまいますが、今年も暖冬なのだそうです。

異常気象とも思わなくなってきます。そんな己を慮るに、不思議を通り越して、そら恐ろしくもあります。

さりながら、小生はじめ「5時起き軍団」の面々は、多少違った感想を持っています。

暖冬だろうが、厳冬だろうが、冬の朝5時は寒い。ゆえに気にすることはない…と。ざっくばらんなものですね。

これまた小生はじめ「おじさん軍団」の見解が、多少違います。

夏は暑いし、冬は寒い、生まれてからずっと、そうだった…と。おおざっぱなものです。

結局のところ、小生など、細かな違いに無頓着になってきているのかもしれません。

富士の 高嶺(たかね)に 降る雪も
京都 先斗町(ぽんとちょう)に 降る雪も…
雪に 変わりが ないじゃなし
とけて 流れて みな同じ…

どうやら感覚が鈍っていますね。気を引き締め直します。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

古き良き-冬講日記(15)

「後漢、桓霊の頃」の話です。なんのこっちゃ?、時代設定が読めん…と、言われてしまいそうです。「後漢(ごかん)」は中国の王朝名、紀元25年から220年です。そのうちでも、桓帝(かんてい)・霊帝(れいてい)が玉座に座っていらっしゃった頃です。紀元146年から189年ですね。

この頃に「倭国大乱(わこくたいらん)」があったと伝えられています。「相攻伐(あいこうばつ)」してやまず、人々は平地の田園地帯に広げた弥生集落を捨て、攻防に適した高地性集落を撰ぶことしきりでした。

天候不順や洪水が人々の主食を奪い、残された食物を人々が奪い合った時代です。仁義なき戦いですね。

弥生の豊作をもたらした銅鐸(どうたく)を、もはや人々は祀りませんでした。人々の手には矛(ほこ)、剣(けん)、戈(か)といった武器が握られるようになっていたのです。

倭国内諸勢力が、もはやこれ以上闘い続けるならば、共倒れようとしたとき、畏くも偉大なる王たちが、全く新しい平和共存の枠組みを造り出しました。

王たちは長丁場の話し合いに備え、土器をはじめ生活用具一式をかかえ、倭国のど真ん中、ヤマトの纒向(まきむく)に集いました。そして地元の小さな女王国であった邪馬台国の女王・卑弥呼を「共立(きょうりつ)」し、連合勢力の象徴と仰ぎました。

卑弥呼は日夜、新たな祭具・鏡に向かって、豊作と安寧を祈り、人々の心は安んじられました。ほどなく天災も癒え、ここに戦乱の阿鼻叫喚を、りっぱに克服した体制が打ち立てられたのです。

祭祀王は人々のために祈り、人々は王たちを崇め、君民共治の理想郷が、他ならぬこのヤマトに現出したのでした。

見渡す限り誰もいないようなJR巻向駅付近に、踊り祈る卑弥呼にまみえ、連合勢力の行く末を案ずる王たちと出会うこと、諸国から集められた土器片を拾いながら、毎週の出来事を新たにします。

いがみあい、殺しあうことは、簡単なことです。話しあい、尊重しあうことは難しいことです。しかしながら、今を去る1800年以上昔にできていたことを、再びすることなら難しくもありません。

古代史を「まじめに」学び始めて、もうすぐ10年です。古代を学ぶことは、古き良き事績を学ぶことでもあります。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

初見-冬講日記(14)

年度替わり、たくさんの皆さんに、初めてお会いします。アポイントを取るために、メールとか、電話とか、何らかの接点はありましたが、じっくり面と向かってお話しするのは初めてです…そんな皆さんにお会いします。

HPのイラストどおりでしょ、白い口髭に、まん丸メガネ…ほとんどのかたが、クスッと笑われます。

応接机の横に、夏合宿の写真、お盆の真っ最中に異郷で合宿やってんの、私らくらいのもんですよね…皆さん、あきれられます。

授業中でしたら、そのまま見ていただきますし、授業時間外でも、教室をご覧いただくことが多いです。雰囲気を知ってもらうことができますから。

やる気のぶんだけ、力がつきます。余計な心配、しなくていいですから、やる気=成果です。逆に言いますと、「やる気つけてください」は、本末転倒です。恥ずかしいこと、言っていてはいけません…一人の例外なく、顔がこわばります。

妙な勧誘はしません。やる気があれば、ご連絡ください。同志を歓迎します。

我ながら、本当にへたくそな商売だと思います。しかし、着飾った商売しなければ、いたずらに粉飾しなければ成り立たない商売なら、さっさと畳むのが、世のため、人のためだと確信しています。

いろんな塾を回って、最後にたどりつかれる方が多いです。システムがどうの、カリキュラムがどうの…と、聞かされすぎて疲れました…と。そういえば、そんなこと一言も聞きませんでした、良かったんですか?…と、逆に心配される我々です。

はい、けっこうです。努力に勝るシステムも、努力に勝るカリキュラムも、…存在しませんから。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦