久しぶり-冬講日記(33)

久しぶりに登校しました…との報告をいただく昨今です。

「明日から学校、再び登校」という日に感想を求めますと、生徒の7割が「憂うつです」とか、「行きたくありません」とか。あとの3割が「楽しみです」と。

「嬉しくもあり、うれしくも無し」みたいな中途半端は、ほとんどありません。

「行ってきます」と元気よく挨拶して、どこか学校以外に行ってしまいそうな皆さんにお聞きしましたら、「休み明けだろうが、そうでなかろうが、普段から行きたくありません」と、「このまま長期休暇が続いてほしいです」が半々くらいです。

みなさん、きっと学校では言えないであろうことを、正直にお話しいただきます。

小生なんぞ「近代公教育制度は、疲れ果てている」と嘆いていますし、「公教育が学校制度に支えられなければならないはずはない」と真剣に考えていますし、「公権力の教育介入を最小限に減らし、とりあえずガイドライン行政まで撤退させ、ゆくゆくは文部科学権力を解体すべき」と、持論を奉じてウン十年ですから、いまさら驚きもしません。

しかしながら、声なき声を大声で聞くにつけ、「そろそろ急がねばならないのかもしれない」とも思っています。

最終目標は「公教育民営化」、見果てぬ大きな夢であります。

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官僚-冬講日記(32)

「官僚的」という言葉があります。「通りいっぺんの」とか、「肩ひじ張った」とか、果ては「血の通わない」とか、何かとマイナスイメージに捉えられがちな言葉だそうです。

「官僚って、そもそも何?」という質問も、たくさんいただくようになりました。「どこにいるの?」、「何をしてるの?」、「誰のことなの?」…と。

小生の大学の同級生のMくんは、文部科学省にいて、文部科学行政を担っている官僚で、昔は気のいいオッサンだったんだけど、いったいどんな顔して「官僚」してるのかなぁ…とか、某国大使館にいるTくんも同級生だったんだけど、とにかくまじめで口が堅い奴で、外交秘密を扱うには天職なのかなぁ…とか、具体例を出せば出すほど、五里霧中に感じる皆さんもいらっしゃいます。

少し事情を知っっている皆さんは、「天下りする人たちだね。悪い人たちなの?」…などと。

昔も今も「官僚」するのは、楽じゃないのでしょうか。

一方で「官僚、大いに結構。仲間になろうじゃないか!」と、大声を張り上げた豪傑がいます。我が国の初代内閣総理大臣・伊藤博文公です。

博文伯爵がおっしゃるには、官僚の親分が政治家、政治家は選挙に落ちたらただの人、だから有権者の嗜好品になり下がることしばしば、親分のポピュリズムがこの国のあり様をコロコロ変えちゃ堪らない、それには官僚がしっかりすること、官僚がこの国をブレずに舵取りすればよい…と。

博文伯は、官僚養成機構としての帝国大学(当時は、のちの東京帝国大学のみ)を重視、文部行政の親分に、官僚を御するに慣れた開明派・森有礼子爵を起用したのでした。

帝国大学卒業の官僚たちが、のちの博文伯率いる政友会に流れ込み、名実ともにこの国を引っ張っていくことになるという歴史的事実、…多くの皆さんが知るところであります。

博文伯の先見に驚くとともに、ものごとを一面的に見るのではなく、多様な観点を持ち続けたいものだと、今も思い続けています。

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ムチャクチャ-冬講日記(31)

長年受験指導していますと、受験直前の受験生が、半端なく勉強漬けになっている姿を、毎年見ることになります。

もちろん目先の「合格」を克ち取るために必要なことでもありますが、それだけですとあまりに空しいことになりはしないかと心配です。

おそらく多くの人々が、生まれてから受験までの人生の、何倍も長い「余生」を暮らすことになるでありましょうから。

小生は自問自答します。「はたして、このムチャクチャじみた勉強が、再び報われる日が来るのだろうか?」と。

小生の杞憂をよそに、立派に成人していく教え子たちが、答えを用意してくれます。

中学入試を経験した皆さんは、「だからこそ大学入試を乗り切れた」と言います。

「一度できたことは、きっともう一度できる」から…と言います。

会社に就職してから、昇進試験や資格取得試験に積極的に臨めた…との声も聞きます。

「少なくとも、逃げようとはしなかった」そうです(笑)。

意外なことに、息子・娘にも経験させたい…と、おっしゃるかたが多いです。

幼いころから受験競争で苦労されたご両親が、ご自身の子供さんには同じ思いをさせたくない…と、エスカレーター校を選択される、そんな一昔前とは、隔世に感じられてくるほどです。

「鍛えられずにノホホンと生きていくなら、それこそ最恐」だとか(笑)。

受験なるものは、世代を超えて、さまざまな色に塗られるものでありましょう。彩色表皮を一皮めくると、中身は何も変わっていなかったりもしますが。

ともあれ、ムチャクチャにもかかわらず、いや、ムチャクチャだからこそ有意義なもの、受験以外になかなか思い当たりません。

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彷徨-冬講日記(30)

どうやら「じっと一ヶ所に留まっていられない」癖があるらしく、あれこれ理由をつけては歩き回っております。

小生みたいな人間にとっては、まぢかにありながらも全く気づいていなかったような、見たこともない光景に出会えることが無上の喜びであります。

同好の皆様に、ほんの少しアドバイスさしあげます。

まず、やたら遠くに行こうとしないこと。近場の路地裏から攻めてください。

遠くに行って驚けることなら、まだ出会っていないだけで、きっと近くにも隠れております。

次に、できるだけ手間暇かけず、お金もかけないこと。

ゼニと暇にまかせて買ったモノは、すばらしくて当然、これっぽっちもありがたみがありません。

最後に自分の足で歩くこと。

乗り物を使ってもいいですが、乗り物べったりはいただけません。「自分で歩きついたところ」と、「乗り物が連れて行ってくれたところ」は、似て非なるものです。

お気に入りのお散歩ルートができあがりましたら、さあ、早起きして歩きましょう。

俗世を超越する自分に出会えるはずです。

かっこよく、ひとことどうぞ!

「浮世にゃ、興味ありまへん!」

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ボロボロだけど-冬講日記(29)

どうにも気になっている前方後円墳がありまして、山辺道を歩くたびに、おおまわりして訪問します。100メートル超の大きさです。

古墳さんには失礼ながら、見栄えが良いとか、神々しいとか、カケラもありません。

それどころか、おそらく前期前葉(3世紀末から4世紀初頭)に編年されるはずなのに、6世紀墳とまちがえられて盗掘されたようです(ひどい!)。

後円部南側が大きくえぐられております。えぐられただけならまだしも、誰かが小屋を建てて住んでおります(笑)。

前方部と後円部が農道で遮断されています。お隣の前方後方墳と兆域を接するあたりに、国道のバイパスが通って、おそらく周濠跡であろう地点を、排気ガスが霞めています。

前方部に比べて数段高い後円部が、段築しっかり保存されていますが、大木や低木や竹が密生して入れません。

「子供のころに入ったよ」というかたに、進入路をお聞きしましたら、獣道の草ボウボウをかき分けて行くのだそうです。

マムシと戦う気合いが必要です。マムシが引っ込む厳冬がチャンスでしょう(笑)。

一昨日、山辺歩き初めに、この古墳を訪問しました。

直弧文(吉備文です)バッチリの土師質を拾って、気分上々!

後円部墳頂に一瞬、悠然と眼下を見下ろす吉備のオウを見たような気がします。

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夜討ち・朝駆け-冬講日記(28)

政治家の番記者でしょうか、熱心なパチプロでしょうか。

いえいえ、どちらでもありません。ほかならぬ小生たちです。塾屋です。夜討ち・朝駆け、塾屋の講習…と。

小生も若さと勢いにまかせて、やっていた頃があります。大みそか、除夜の鐘が鳴り始めたら授業終了、元旦、初日の出とともに授業開始。さすがに睡眠時間が短すぎて、体がついていかなくなってからこのかた、長期休憩中ですが…。

夜が遅いと、朝起きられなくなります。あたりまえです。

朝早く起きると、夜さっさと眠くなります。これもあたりまえです。

夜が遅いにもかかわらず、朝が早いためには、相当な決意と執念を要します。わかっていても、なかなかできない人が多いです。

小生も夜更かしだったころ、いろいろな理由をつけて己の堕落生活を正当化していました。

曰く「深夜は静かだから、仕事がはかどる」とか。静かすぎて、娯楽にかまけてしまうだけですが(笑)。

曰く「朝が早い仕事でもないから、朝寝できる」とか。遅く起きると夕方眠くなって、結局仕事に差し障ると知るべきでした。

曰く「世界を我が物としたように思う」とか。…はい、単なる誤解です(笑)。

何をどれだけベラボウに語ろうとも、早起きに如くはないこと、加齢とともに思い知りました。

大事なポイントは、いかに遅く寝ようとも、朝早く起きることです。慣れると、これ以上の爽快はありません。

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演歌-冬講日記(27)

大みそかには、珍しくテレビを見ることがあります。

普段生活している空間からテレビを取り払って二十年以上、NHKスペシャル「巨大古墳の謎」とか以外でしたら、全く見たいと思いません。

ですから大みそかは「非日常」になります。

地上波のいちばん低視聴率の番組を見ることにしています。夜のゴールデンタイムですと、「演歌もん」ですね。曲目順まで、だいたい毎年一緒です。

「お座敷小唄」あたり、コーヒーをすすりながら。「昭和枯れすすき」に、涙をすすりながら。「別れの予感」で号泣しています。

「津軽海峡冬景色」で、やたらめったら元気になり、「時の流れに身をまかせ」で悟りをひらきます(笑)。

かつてテレビを持っていた頃には、このあとアントニオ猪木が闘い、菅原文太が拳銃をぶっ放し、高倉健が「渡世の義理」で殴り込みをかけた…記憶がまちがっていませんでしたら、たしかそうだったような(笑)。

書いていて、わかりました。

人間まん丸に丸くなってくると、テレビが要らなくなるんですね。

みなさん、良いお年を。来年も、よろしくおつきあいください。…ご迷惑でなければ(笑)。

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めぐりあえて-冬講日記(26)

年の瀬になりますと、「今年も良かったな」と、感慨ひとしおです。今年もさまざまな人々に巡り会いました。

早朝、那羅山ウォーキングでお目にかかるご婦人。「あそこも、ここも、空き家です。住みたいんでしたら、連絡取ってあげますけど…」。大好きな那羅山なだけに、おもわずさっそく引っ越しそうになりました。

天気の良い日は、国道24号を渡って平城宮跡へ。途中、しばしばウワナベ古墳を周回しているご婦人。「以前は、春日山原生林を歩いていました。怪我したら遺体で発見されることに気づいて、こちらにルート変更しました。息子が高校生になって、家にいても喧嘩ばかりで、心身ともに不健康になります。だからジョギングはじめました」。身の上話に、グングン引き込まれてしまいます。

日曜日、明日香村公営駐車場の管理人さん。自転車軍団みたいに大量陳列しながら。「今日はね、〇〇の△△中学校の修学旅行生が、たくさん来よります。昨晩近くに泊まったはずやけど、なぜかバス移動で。事故なく、怪我なく、故障なく…。願いはいつもいっしょですねん」。仕事の矜持たるや、立派なものですね。尊敬に値します。

同じく明日香村、岡本寺のご住職。「有名な岡寺の横です」と、多少自虐的な笑い…が、何とも人なつっこいハニカミ笑いで、好感度、高いです。良く通った美声で読経も慣れたもの、今度は護摩を拝見したいものだと、なぜか引き込まれてしまいます。

邂逅の神に感謝、欲張りですが来年も、豊かに出会える年となりますよう。

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ありがたみ-冬講日記(25)

「ありがたみが、わかりました」と言って、帰ってくる生徒がいます。弊塾を去ってから、しばらくぶりです。

あれからどうなさいました?…と問われると、おおよそこんな答えが返ってきます。

「大手併設の個別塾に行きました。行って分かったんですが、大手の一軍講師は個別の担当なんて、ほとんどしないんですね。小遣い稼ぎに、たまに来るくらいかな。幻滅しました」

「個人塾に行きました。和気あいあいとできたところは良かったんですが、寝てても誰も起こしてくれない…というか、寝てちゃいけないという切迫感が無くて…。自分に甘いことを思い知りました」

「別の個別塾に行ったんですけど、高学歴で若い先生ばかりで…。みなさん、持って行った謎問をきっちり解かれるんですけど、教えるのに慣れてらっしゃらないようで(笑)。先生のチェンジも、申し出たらしてくれたんですが、何回変えてもいっしょで(笑)」

みなさん異口同音に、「ありがたみが、わかりました。復塾させてください」と結ばれます。

石川数学塾大阪、本日も、来る者は拒まず、去る者は追いません。

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元日-冬講日記(24)

もういくつ寝ると…お正月でしょうか。ここ数年変わらぬ元日を、もうすぐ過ごすことになります。

元日は景行大王の征服譚が伝えられる三河の田舎で過ごしております。景行の遠征歴と言いますと、日本武尊(やまとたけるのみこと)に仮託され集約されている部分が多いようですが、珍しく第10子「五十狭城入彦命」(いさきいりひこのみこと)ご活躍を伝える田舎です。

どうやらヤマト王権拡大時に、小規模ながら「まつろわぬ」人々が存し、抵抗空しく平定されたとの古伝があるそうです。

宮内庁治定・五十狭城入彦命の御陵を取り巻くように、神社仏閣が配されています。古墳を回り込むと近道なのを良いことに、寄り道しようとしては妻にたしなめられ(笑)、神仏に良き一年を祈願致します。

『日本書紀』によれば、五十狭城入彦命は名前だけで事績なし、物部系の『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)に三河・長谷部直(はせべのあたい)の祖とある、『新撰姓氏録』(しんぜんしょうじろく)にある気入彦命(けいりひこのみこと)の異族制圧譚が、いつの間にか一緒くたにされているんじゃないかな…と、ゴチャゴチャ言っていますと、

「今年こそ、あなたが、わけのわかんないことを言わなくなることが、私の願いです」

…と、妻にピシャリとやられます。ちなみに、結婚以来、小生に関する妻の願いが、神仏に聞き届けられたことは、未だに無いそうです(笑)。

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