終了近く-春講日記(22)

がんばってきた春講も、もうすぐ終了です。名残惜しいです。

季節講習のなかでも、春講にだけ心がけていることがあります。

どんなことかと言いますと…、いやいや、驚くほどにスゴイことではありませんから、過剰に期待なさらないでください。

むしろ拍子抜けするくらいに、あたりまえのことかもしれません。

それは授業中、「ゆっくりと説明する」ということです。

何年も前から心がけています。今に始まったことではありません。

この業界に働いてみますとわかりますが、卒業生を送り出してのちの新年度、異常なハイテンションのままであることが珍しくありません。

合格!とか、大健闘!とか、入試を巡るさまざまな高ぶりが、もたらすものに違いありません。

特に春期講習、回転数が上がったままのエンジンのように、爆音をとどろかせて授業に入り込む…と、たいがい失敗に終わります。

入試目前、ねじり鉢巻をまいた生徒たち相手なら、それもありでしょう。しかしながら、年度替わりの生徒入れ替わりが、それを許さない状況を醸します。

テンションをリセットしなければならないのです。

具体的に何かを変えなければなりません。いろいろ試してみた挙句、ゆっくりペースの説明を心がけることが、一番効果的でした。

今年も心がけたつもりです。良い春講を、終えられますように、神仏に祈りおきます。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

5時起きの会-春講日記(21)

「止めてくれるな、おっかさん。目覚まし時計が、鳴っている!」

どんなに寝るのが遅くても、朝5時に起き出して、長い一日を有効に使う会、…略称「5時起きの会」と申します。

入会資格は、単純明快。「5時に起き出す気合い、5時に起き続ける根性、そして5時起きに歓喜する至情」です。

名誉会長の小生も、5時からどんどん配達されてくる、会員たちのメールをさばきます。

たまに「寝とんのか?」といったメールも来ますから、気合いを返します(笑)。

気持ちよく挨拶できた皆さんには、きっと素晴らしい一日が約束されます。

早起きして健康になりますし、夜中のダラダラ生活と決別できますし、学力もつきますし(起きてから、しっかり勉強していれば)、いいことだらけです。

5時起きの会では、入会者を募集しています。

早起きしたいかた、学園前教室のメールアドレスまで、ご連絡ください。

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(続々)てくてく-春講日記(20)

一昨日の日曜日、今にも降り出しそうな天気でしたが、てくてくしてきました。

講習期間に入りますと、朝のウォーキングができませんので、那羅山の神仏にご無沙汰気味ですが、一昨日にはしっかりと詣でてまいりました。

24号線を超えて平城宮跡へ。久しぶりに盾列古墳群へ。巨大前方後円墳が密集しております。

初期ヤマト王権が三輪山のふもとに始まり、その衰退と軌を一にして巨墳が営まれ始め、河内王権とも共存するかのように、5世紀を通じて賑やかでした。

ここだけの話ですが、桜や梅と同じように、古墳にも見ごろというものがあります。墳丘を覆う草木が、ある程度枯れ果てた早春、普段立ち入り禁止のエリアに、間伐が入ります。

草木や丸太が積み上げられ、どこかに持ち去られると、墳丘すそから墳頂が、スコーンと見渡せます。段築具合が、こうなっていたんだ!などと、納得しきりです。

さて、時節到来の見どころは、ずばり近鉄平城駅から歩いて5分、日葉酢姫陵として知られる佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳です。

日葉酢姫は垂仁后、狭穂姫さんが狭穂彦の乱に連座してのち、後妻となられた方ですね。

墳頂に大きな衣笠型埴輪があって、石棺が露出していたと、近世の史書にありますが、大正五年に盗掘された際、墳頂も地ならしされて現在に至ります。

うむうむ、かなり見えておりますです…はい。

こんなことを、あれこれ考えながら、22km、28000歩の、楽しいウォーキングでした。

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そぞろ神-春講日記(18)

「しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花」

本居宣長に誘われて、満開の山桜を楽しみに、山中に分け入ってしまいます。山の神が小生を呼んでいます。

そぞろ神と申すようです。道々を守る道祖神に、化身しているのだとか。

たしかによく見ますと、錫杖を持つ手が、こっちゃ来い、こっちゃ来い…しております。

誘われてふらふら出ていく小生も小生ですが、誘う神も誘う神であります。

おおっと、責任転嫁はいけませんね。

小生まだまだ、修行が足りません。

「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」

旧暦二月(如月)の満月は、新暦三月下旬と申します。

満開の桜を踏み分けるように、死出の旅路を歩みたいものだと、西行法師が恋い焦がれ、法師はその通りの往生を遂げたと申します。

昨年の春講日記に、紀友則から「久方の 光のどけき」といただきました。

今春は西行から。「その如月の 望月のころ」とシャレこんでみます。

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うまい話-春講日記(17)

年末や年度末になると、かかってくる電話、ご商売なさっていらっしゃるかたでしたら、一度は聞かれたことがあるでしょう。

「このご時世、資金繰り、たいへんですよね。

お世話になったあなただけに、特別枠のご融資を差し上げますよ。

上得意様枠、特別低利でお貸しします。

私どもは、某政党の大物でいらっしゃた「あるおかた」の遺産管理を差し上げていますから、こんなお話さしあげられるのです。

そうそう、政界再編資金を金塊で隠していらっしゃった、あのかたです。

いかがですか。担保不要の低金利ですよ。

最初にほんの少しだけ、保証金を積んでいただきますけどね。」

このウサクサ話にみごとに引っかかってしまう方々のほとんどが、次の話なら冷静に見破られるのだそうです。

「特別枠、低利のご融資です。

私どもは、GHQ民生局にいらっしゃったマッカート少将の隠し資産を管理しています。

担保不要ですが、かわりに一度だけ保証金を積んでいただきますが…。」

はい、M資金ですね。被害額が小学校4年生の「大きな数」(「兆」を学びます)に迫るという、古典的な詐欺話です。

分かっちゃいたのになぁ…の、ほとんどが甘すぎるお話です。

何かと春めいてきたこの頃、思考回路まで春めかぬよう自戒しております。

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うまい話-春講日記(17)

年末や年度末になると、かかってくる電話、ご商売なさっていらっしゃるかたでしたら、一度は聞かれたことがあるでしょう。

「このご時世、資金繰り、たいへんですよね。

お世話になったあなただけに、特別枠のご融資を差し上げますよ。

上得意様枠、特別低利でお貸しします。

私どもは、某政党の大物でいらっしゃた「あるおかた」の遺産管理を差し上げていますから、こんなお話さしあげられるのです。

そうそう、政界再編資金を金塊で隠していらっしゃった、あのかたです。

いかがですか。担保不要の低金利ですよ。

最初にほんの少しだけ、保証金を積んでいただきますけどね。」

このウサクサ話にみごとに引っかかってしまう方々のほとんどが、次の話なら冷静に見破られるのだそうです。

「特別枠、低利のご融資です。

私どもは、GHQ民生局にいらっしゃったマッカート少将の隠し資産を管理しています。

担保不要ですが、かわりに一度だけ保証金を積んでいただきますが…。」

はい、M資金ですね。被害額が小学校4年生の「大きな数」(「兆」を学びます)に迫るという、古典的な詐欺話です。

分かっちゃいたのになぁ…の、ほとんどが甘すぎるお話です。

何かと春めいてきたこの頃、思考回路まで春めかぬよう自戒しております。

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好学の徒-春講日記(16)

勉強ができるようになりたい人と、勉強ができるようになってほしい人が、塾屋の顧客です。

顧客を大事にせずして、商売は成り立ちません。

塾屋は一生懸命、勉強ができるようになる方法論を伝授します。

顧客は一生懸命学びます。

「学校」というエスタブリッシュメントでは、きっと教えてもらえないのでしょう。

書物・映像などにも、ピッタリ該当するものがないか、あってもインパクトが薄いのだと思います。

こうして塾屋の商売が成立します。

長いこと塾屋をやっていますと、顧客の羨望を感じます。

「先生のように勉強ができるようになりたいです。」

「先生みたいにスラスラ解けたら、どんなに幸せなことでしょう。」

すばらしいモチベーションですが、少し立ち止まって考えておいてください。

小生は少なくとも、勉強が好きで、あまり苦も無くやってきた類の人です。お天気まかせの風まかせではありますが、勉強を苦しいと感じたことがありません。

そんな人にとって「勉強」なるものは、音楽好きがCDを聞くのといっしょ、サッカー好きがグラウンドを駆け巡るのといっしょ、多少たとえは悪いですが、パチプロになったパチンコ好きといっしょ、雀鬼になった麻雀好きと一緒です。

多くの人にとって、勉強なるものは、そんなものではないですよね。嫌いでも我慢してやるもの、やらざるを得ないから、泣きながらでもするもの…ですね。

ですから、先生みたいになってはいけないのです。と言いますか、なれないのです。

しかしながら、好きなことだけをむやみやたらにやっている人と、嫌いなことでも我慢してできる人、どっちが偉いでしょうか。

生徒たちに、こんなふうにいます。

きみのご両親のお姿を、思い起こしなさい。好きな仕事だけやっていますか?少しくらい文句たれながらでも、嫌いなことを我慢してやってはりますよね。家族のため、社会のため、国家のため、一生懸命生きてはりますでしょう。

そんな人間になる努力をしなさい。勉強嫌い、大いに結構。神様は、あなたを、好きなことしかできない人にしないよう、ご配慮下さったのですよ。

さあ、がんばりたまえ!

…「勉強は好きになってやり始め、好きだからこそやり続ける」、そんな無知蒙昧は、そろそろ捨てようじゃありませんか。

学者や官僚の作文に、益するところはありません。机上の空論に、価値はありません。

好学の徒は、そんなふうに考えています。

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好学の徒-春講日記(16)

勉強ができるようになりたい人と、勉強ができるようになってほしい人が、塾屋の顧客です。

顧客を大事にせずして、商売は成り立ちません。

塾屋は一生懸命、勉強ができるようになる方法論を伝授します。

顧客は一生懸命学びます。

「学校」というエスタブリッシュメントでは、きっと教えてもらえないのでしょう。

書物・映像などにも、ピッタリ該当するものがないか、あってもインパクトが薄いのだと思います。

こうして塾屋の商売が成立します。

長いこと塾屋をやっていますと、顧客の羨望を感じます。

「先生のように勉強ができるようになりたいです。」

「先生みたいにスラスラ解けたら、どんなに幸せなことでしょう。」

すばらしいモチベーションですが、少し立ち止まって考えておいてください。

小生は少なくとも、勉強が好きで、あまり苦も無くやってきた類の人です。お天気まかせの風まかせではありますが、勉強を苦しいと感じたことがありません。

そんな人にとって「勉強」なるものは、音楽好きがCDを聞くのといっしょ、サッカー好きがグラウンドを駆け巡るのといっしょ、多少たとえは悪いですが、パチプロになったパチンコ好きといっしょ、雀鬼になった麻雀好きと一緒です。

多くの人にとって、勉強なるものは、そんなものではないですよね。嫌いでも我慢してやるもの、やらざるを得ないから、泣きながらでもするもの…ですね。

ですから、先生みたいになってはいけないのです。と言いますか、なれないのです。

しかしながら、好きなことだけをむやみやたらにやっている人と、嫌いなことでも我慢してできる人、どっちが偉いでしょうか。

生徒たちに、こんなふうにいます。

きみのご両親のお姿を、思い起こしなさい。好きな仕事だけやっていますか?少しくらい文句たれながらでも、嫌いなことを我慢してやってはりますよね。家族のため、社会のため、国家のため、一生懸命生きてはりますでしょう。

そんな人間になる努力をしなさい。勉強嫌い、大いに結構。神様は、あなたを、好きなことしかできない人にしないよう、ご配慮下さったのですよ。

さあ、がんばりたまえ!

…「勉強は好きになってやり始め、好きだからこそやり続ける」、そんな無知蒙昧は、そろそろ捨てようじゃありませんか。

学者や官僚の作文に、益するところはありません。机上の空論に、価値はありません。

好学の徒は、そんなふうに考えています。

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時代遅れ-春講日記(15)

メールのフッタを変えました。

「iPhoneから送信」でも悪くなかった、といいますか、大人しくなって、かえって良かったのかもしれませんが、変えました。

「連帯を求めて 孤立を恐れず

力及ばずして 倒れることを辞さないが

力尽くさずして 挫けることを拒否する」

どっかで聞いたな…と思われた方は、小生と同じくらい、またはもう少し激しい程度に、ご年輩かもしれません。

若者が、怒り、闘っていた頃の、有名なスローガンです。

高沢浩司氏によると、水が火を消すという「伝説」が復活し、スローガンが封印されました。

長い長い間、封印されていました。

いつのまにか封印を解かれ、片付けられ、きれいに塗り直されて、今に至るそうです。

高沢氏の著書に『全共闘グラフィティ』(新泉社)があります。

神田解放区に燃えていた炎も、東大安田講堂を包み込んだ炎も、大量の放水に消されたと。

こんなこと、ごちゃごちゃ言っている時代遅れに、無理やりつき合わされるフッタになりました。

しばし、ご寛恕あれ。

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メールのフッタを変えました。

「iPhoneから送信」でも悪くなかった、といいますか、大人しくなって、かえって良かったのかもしれませんが、変えました。

「連帯を求めて 孤立を恐れず

力及ばずして 倒れることを辞さないが

力尽くさずして 挫けることを拒否する」

どっかで聞いたな…と思われた方は、小生と同じくらい、またはもう少し激しい程度に、ご年輩かもしれません。

若者が、怒り、闘っていた頃の、有名なスローガンです。

高沢浩司氏によると、水が火を消すという「伝説」が復活し、スローガンが封印されました。

長い長い間、封印されていました。

いつのまにか封印を解かれ、片付けられ、きれいに塗り直されて、今に至るそうです。

高沢氏の著書に『全共闘グラフィティ』(新泉社)があります。

神田解放区に燃えていた炎も、東大安田講堂を包み込んだ炎も、大量の放水に消されたと。

こんなこと、ごちゃごちゃ言っている時代遅れに、無理やりつき合わされるフッタになりました。

しばし、ご寛恕あれ。

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