不満層-夏講日記(その13)

超大国の野党大統領候補が、「不満層」なるものを、うまく捕まえたそうです。泡沫候補のハズだったのが、一気に野党から候補指名をゲットするまでに、支持されることになったとか。

野党大統領候補は、超大国の建前なるものを、あまり語りません。本音が目立ちます。

たとえば世界中に軍隊を展開して、世界の警察を名乗ることが、超大国の矜持なら、お金もかかるし、死人も出るし、できるだけ同盟国にやらせて、自国は温存したいと、これが偽らざる本音でしょう。

超大国の人々は、身の丈以上に偉そうにふるまうことに、疲れ切っているのかもしれません。

しかしながら、本音なるものに、未来への展望があるんだろうかと、要らぬ心配をしてしまいます。

おいら貧乏やけどな、平和は大事やろ、せやから銭出せ!人出せ!武器出せ!…とばかり大声で叫んでいるモノが、はたしてどれだけ信用されるのでしょうか。

すぐには儲からなくても、のちの時代に期待したり、全然儲からなくても、意地とプライドのために出資することが、まるっきり馬鹿げたことだとは、小生には思えないのです。

とりあえず、大きなことを言ってみる、言ったからにはやってみる、やってみたら支持された、初期投資も回復できた…こんなサイクルが、まだまだあってよいと、古き良き、我慢強いタヌキおやじは、強く言いたいです(^_^)。

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チャンス-夏講日記(その12)

「初めてのおつかい」でもないですが、もうそろそろ大丈夫かな、よし、やらせてみよう!と、思う瞬間があります。

ご家庭では、電話対応をやらせてみようとか、料理包丁を握らせてみようといった瞬間でしょうか。

塾の現場では、スケジュールノートを、自分で書かせてみよう!とか、丸つけと直しを、自分でやらせてみようといった瞬間です。

このタイミングが実は、なかなかに難しいものでして、遅すぎると誰かにやってもらわないとできない人になってしまいますし、早すぎると、できないどころか、やったことにしてしまう、なんてことになりがちです。

まっとうに自立させようとしたにもかかわらず、結果的に破滅させかねない、両刃の剣と言ったところでしょうか。

慎重にチャンスを待っています。ここぞ!とばかりに、畳みかけます。

ひと山越えた向こうには、いったいどんな風景が広がっているのでしょうか。

これぞ、醍醐味です!至福の瞬間と言えましょう。

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放歌高吟-夏講日記(その11)

大声で歌っていますが、動いている車の中ですから、きっと誰の迷惑にもなっていないと思います。

必ず歌う一曲は…、「ワルシャワ労働歌」です。

数奇な運命をたどった曲でして、もともとポーランドの地方民謡だったそうです。ロシア革命のヴェイ・レーニンが好んで口ずさんだため、有名になりました。

いつごろからか、ずいぶん戦闘的な歌詞に代ったのだとか。

「暴虐の雲 光を覆い 敵の嵐は 吹きすさぶ~♪」

歌い出したら、目も脳ミソもシャキシャキです。

「砦の上に 我らが世界 築き固めよ 勇ましく♪」

良いですね。今日も「砦」で授業と、がんばります!

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邂逅-夏講日記(その10)

「夏講に参加したいです」という皆さんと、多くの出会いがある季節です。

当世塾生気質とでも申しましょうか、皆「おとなしくなったな」と思います。

良く言えば「悪くない」です。悪く言えば「良くもない」のですが(笑)。

跳ねっ返りがいなくなったと、ホッとしている業界人が多いご時世なのでしょうか。古だぬきは、少しさびしいのであります。

共に吸っている空気が薄くなればなるほど、同志的紐帯が緩んでいきます。

「昔は良かった」などと、言わないようにしています。

大切なものは、昔も今も変わっていないと思いますし、固くオブラートに包まれて、奥深くしまわれてしまったものこそ、大事に扱ってあげなくてはなりませんから。

ほぼ毎日ですか、新たな邂逅がある日々です。

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コンビニ-夏講日記(その9)

毎朝、出勤途中に車を停めるコンビニがあります。

道すがら二十数件のコンビニがありますが、停まって買い物は、ここだけです。

パンを買ったり、コーヒーを飲んだり、普通にコンビニでしていることをしているだけですから、特に出勤途中だからとか、朝だからとか、あまり必然性が無いです。

それでも、わざわざ立ち寄りますのは、このコンビニだけです。

いつのまにか言葉を交わすようになった店員さんがいらっしゃるからかもしれません。

あいさつ程度のこともあれば、天気・天候のことを話したり、事件・事故だったり、選挙結果だったりすることもあります。

気さくに話しかけてくれますから、ついつい小生も気さくに語り返してしまいます。

うっとうしがる人…は、いても少数なのでしょうか。朝の駐車場が、満車のことも多いです。

ひるがえって最近では、見渡す限りそこらじゅうにあって、塾もコンビニ化著しいです。

小生はみなさんに、気楽に語りかけていただけているだろうかと、コンビニの店員さんから学ぶことが少なくないです。

自戒といたします。

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信貴山てくてく-夏講日記(その8)

一昨日の17日、信貴山にてくてくしてきました。

あいにくの雨模様かと思いきや、中途半端に晴れてしまいまして、たいへん蒸し暑い一日となりました。

近鉄大阪線恩智駅から、恩智神社方面にてくてく。楠木正成に従った山の民・恩智一族のテリトリーを目指します。

信貴山の山頂を目指すと言うよりは、かつて山頂にそびえた松永弾正の信貴山城を、ぐるりとまわりこむコースです。

虫柱の襲来が激しかったです。虫柱に紛れて、やぶ蚊も襲来しました。

闘いながらてくてくすること数時間、奈良の三郷に抜けてコース終了です。

Tシャツ5枚が俵のようになるほど、汗をかきました。

普段エアコンの効いた部屋で、じっと椅子に座って、難しいことをしゃべっていることが仕事なものですから、汗ダラダラの新陳代謝が心地よいものです。

軽く歩くには良いコースです。みなさんも、いかがですか。

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ストリートファイト-夏講日記(その7)

毎日夕刻以降、合宿スタイルで授業しています。

白いワイシャツにスラックス、クールビズといっても、せいぜいノーネクタイ…が、夏の授業スタイル・フォーマル版です。

合宿スタイルは、言うならばスーパークールビズ、Tシャツにデニムか半ズボンですね。

暑い暑い明日香村のお盆に適応し、涼しいばかりか動きやすく、汗でぬれたら着替えやすい、そんなスタイルです。

冷房も抑えめ設定で、地球にやさしいですし、関節が痛くなるエアコン病を回避できます。

洗濯ものが多少増えますが、この季節、大量に干しておいても、すぐに乾きますね。

授業がストリートファイトになったみたいです。

何かといいことだらけですと、勉強もはかどります。

学園前教室は、入り口側の廊下窓越しに教室内を覗けますから、夕刻以降、一度ご覧になってみてください。

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決起-夏講日記(その6)

何度でも立ち上がる男でした。不死鳥とも、不沈艦とも。

男自身は自分自身を「銅鐸」と呼んでいました。銅鐸は五穀豊穣のシンボルとして、春先に掘り出され、田畑の祀りに使われました。収穫が終わると、田畑を見下ろす山の斜面に、きれいに並べて埋められました。葬られたわけです。

銅鐸は「死と再生」のシンボルでした。男も「何度死んでも、何度でも生まれ変わって、志を貫徹したい」と願っていました。

男が尊崇する吉田松陰先生は、政治結社「松下村塾」を率いた革命家であったと、男に評されました。

時は幕末、ペリー艦隊、いわゆる黒船が襲来した際、「攘夷」と叫ぶことしかできない攘夷派を尻目に、なんと黒船に乗せてもらい、敵の懐に飛び込む戦術を採った者こそ、松陰先生でした。

鎖国の国禁を侵す、大胆な行動です。

ペリーはこれを許さず、松陰先生が自首、連行、投獄される途中に詠んだのが、あの有名な、そして今回のモティーフたる歌です。

かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂

こうすりゃ、ああなると、わかっちゃいるが、どうにもならねぇ、大和魂…口語で歌うと、こんなものです(笑)。

もうそろそろ、やめときゃいいのに立ち上がる、男の人生そのものではないですか。何とも憎めないですね。

男の名前は「杉浦」と申します。この夏も学園前教室に、闘いの狼煙を上げました。

同志諸君!最後の、最後まで、戦い抜こうではありませんか!

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仁義-夏講日記(その5)

ふだん忘却の彼方にあるのに、いったん思い出すと気になってしかたないこと、誰にでもあると思います。

「安田講堂」と書いた昨日から、処々昔日の記憶にとらわれています。自書しておきながら、縛られて、自縄自縛とは、このことでしょうか。

「封鎖」の「ふ」の字も無くリニューアルされてしまった現況と、下階から順番に封鎖解除されていったフロアの火の海が、果たして同じ空間なのだろうかと思われて、昔日のほとばしる思いが、昨日のことのように、思い出されはしませんか。

屋上でインターを合唱した仲間が囚われ、最後まで振られていた「社学同」の赤旗が降ろされた時、攻めた側も守った側も、互いの陣営に、図らずも出てしまった重傷者を思いやったといいます。

逮捕された学生の後事を慮る機動隊員と、幾度となく炎上しながらも果敢に攻め続け、ついに本丸を陥落させた機動隊員を、敵ながらあっぱれと称える学生たち。

帝大解体などと、およそ虚妄なスローガンからは見えてこない、互いの緊張関係によってのみ切りあえる仁義が、そこにはあったと言えないでしょうか。

すばらしいですね。

男が「大好き」といってやまない、歴史のピンポイントであります。

安田講堂は「解放講堂」と呼ばれ、そこには「解放放送」が流されていたと言います。最後の解放放送は、こう結ばれたそうです。

「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、一時この放送を中止します。」

男は寡聞にして、時計台放送が再開されたことを、聞いたことがないそうです。

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フッタ-夏講日記(その4)

男のメールフッタは、不評でした。長かったのです。

何が書いてあったのかと言いますと、実在をほぼ疑われない大王初代・崇神を暗殺しようとする企みが、山背の武埴安彦によって練られました。諸国鎮撫に向かった四道将軍の一人・大彦が、和邇坂を越えようとしたとき、企てを暴露する歌を詠う不思議な少女に出会いました。大彦は取って返し、崇神の指示を仰ぎ、武埴安彦を討滅したのでした。

この少女が詠った歌、「ミマキイリヒコはや。ミマキイリヒコはや。…」、この歌の美しさにグラッときまして、フッタに使わせてもらったのですが、本文よりも長いことがあると、苦笑やら、お叱りやら、ずいぶん物議をかもしたわけです。

そんなわけで、男はフッタを代えました。

「連帯を求めて 孤立を恐れず 力及ばずして 倒れることを辞さないが 力尽くさずして 挫けることを拒否する」。

安田講堂に大書されていたスローガンですね。

闘えぃ!負けるんは、しゃあないが、闘わんと、逃げるな!たった一人でも、闘えぃ!…と。

少しは短くなりましたでしょうか。あまり変わってないのかもしれません(笑)。

それはそうと、安田講堂から、もうすぐ半世紀ですか。攻防戦の前日、大講堂のグランドピアノが、きれいな「インターナショナル」を奏でていたと聞いたことがあります。投石を運ぶ学生たちも、盾の壁を徐々に詰める機動隊員たちも、思わず聞き惚れたとか。

あの日が遠くなったようで、男は苦いコーヒーを、一気に流し込みました。

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