職-冬講日記(30)

男は仕事を捨てたいと思っていました。重圧に押しつぶされそうになっていたからです。

うまい具合にタイミングをつかんで、男は仕事を捨てました。

全て放り出して、まるっきり違う、全く新しい仕事をしたいと思い、そうしました。

しかし、奇妙なことに気がつきました。

いつのまにか、あの圧殺されそうな仕事に、戻っていこう、戻っていこうとする己がいました。

仕事捨てて三年後、男は仕事に戻ろうとしました。

ところが仕事のほうは、男の身勝手を許してくれませんでした。

男は大変な苦労をして、業界に復帰し、今に至っております。

ごくたまに、男は「引退したい」と思う年になりました。

しかしながら、仕事をできることの喜びが、男を思いとどまらせています。

男はいつまで仕事を続けるつもりなのでしょうか。

もはやおそらく、わからなくなっているのかもしれません。

それでも男は、魂の叫びとでもいうべきものに、今日も突き動かされて、出勤します。

この業界を見渡すと、そこらじゅうにたくさん、掃いて捨てるほどにいる、一人の男として。

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Z-冬講日記(29)

今年も、フェアレディZ、好調であります。

ちょっとアクセルを踏みますと、グウォーンと加速します。爽快です。

もちろん交通法規を遵守しております。Zとともに、無事故・無違反です。

小生大満足なのですが、周辺はけっこうイラついております。

曰く「荷物が積めない」。はい、ゴルフバッグがドカンと入る程度です。

曰く「運転しずらい」。はい、コンパクトカーやファミリーカーではありませんから。

曰く「タイヤ一本からして、コストがかかり過ぎ」。はい、宿命でございます。生きてる限り、ゼニはかかりますので。

笑ってやり過ごしているうちは良いのですが、真面目に論難されると、本当に厄介です。

そんな時は、「まあまあ」なんぞとなだめすかして、助手席に乗せてあげ、グウォーンとエグゾースト響かせ、心地よく疾走しますと、およそ誰もが全てを忘れてくれます。

幼いころから大好きだった車ですから、大切にしたいと思います。

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郷-冬講日記(28)

久しぶりですね。坂上郎女嬢に、唸っていただきましょう。『万葉集』からです

故郷(ふるさと)の 飛鳥はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくしゆしも

奈良ホテルから、道を挟んでほぼ真向いあたり、タイ料理をいただいて、背後の奥山に遊んでおりますと、ここらあたりは平城京の飛鳥だ…と書かれております。何のこっちゃ?と、不思議に思っておりましたが、最近納得いたしました。

明日香の飛鳥寺から、建材を運んできて、元興寺を組み立てた。だから人々は、元興寺界隈に、飛鳥寺と明日香の面影を見たのだと。

郎女嬢も、きっと同じ感覚でいらっしゃったのでしょう。

人は引っ越ししても、引っ越し先に郷を探すものだと。

小生も正月休みを利用して、西三河の郷に少しだけ帰っておりましたが、小生不思議なことに、三河に大和を見ることがありません。大和どころか、磯城(しき)も、磐余(いわれ)も、飛鳥も、添(そふ)も、葛城も、忍海(おしみ)も、普段歩いておりますアチャコチャを、郷に見ることがないのです。

なんでだろう?と、しばし小考、人生の三分の二を関西で過ごしましたから、こちらが小生の郷になってしまったからだろうと、ひとり大きくうなずいてしまいました。

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神-冬講日記(27)

新春早々、神様談義を楽しんでまいりました。

「天孫降臨は、垂直神話の典型でして、大陸系の神様のありようなんです。たとえば新羅の始祖王の生誕説話に、大きな鳥が飛んできて、卵を産み落としていった。そこから皇統が始まった、なんてものがあります」。

「それにも拘らず、日本神話の神様には、南洋系の水平神話もたくさん取り入れられています。オオナムチ(オオクニヌシのことです)と共に葦原中つ国を造ったスクナビコナ(一寸法師のモデルです)は、海の彼方からやってきたとか」。

「倭国の神様と言えば、イザナギ・イザナミから三貴子(アマテラス・ツクヨミ・スザノオ)が、メインストリームと思われがちですが、違うんじゃないかと思うのです。『古事記』(上巻)冒頭に曰く、アメノミナカヌシ(ド真ん中)・カンムスビ(天上神の創造神)・タカミムスビ(地上神の創造神)…ではないのかと」。

「伊勢神宮が本来祀っていました神は、タカミムスビだろうと考えられます。式年遷宮の時に、床下を剥がしますと、木が一本立て差してある…これこそが、タカギノカミ、すなわちタカミムスビであろうと」。

議論は果てることなく延々と続きまして、たいへん楽しいひとときを過ごせました。

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新-冬講日記(26)

もういくつ寝ると、新年でしょうか。新しい年が、すぐそこまで迫っております。

昨年も、一昨年も、この時期にこのようなことを書いていた記憶があります。あまり変わりがありません。

変わったことといいますと、「新」の字を見ると、特別な思いが湧きおこってくるようになったことでしょうか。

古代中国に「新」なる王朝があったことは、意外と知られておりません。小生も倭国の古代史を勉強して、ついでに思い出すまで、きれいさっぱり忘れておりました(笑)。

「夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・後漢・魏呉蜀・五胡十六国…」と、順ぐりにお経を唱えますと、前漢と後漢の間に、ほんの少し存在した王朝です。

王莽という王様が、いちおう前漢から禅譲されて始めたのですが、国内改革が拙速で、諸蕃に失礼なあまり反撃を誘い、赤眉・緑林の乱によって滅亡した、一代限りの王朝でした。

なになに、先生、中国の古代史まで始めはったのですか?と、いぶかられてしまいそうですが、さにあらず、この王朝がいびつな国内改革の一環として鋳造した「貨泉」という硬貨に興味があるのです。

青銅貨ですから、錆びついて出土することが多いのですが、これ、わが国の弥生遺跡から、けっこう出土するそうです。

この貨幣を鋳造していた「新」が、ほんとに短い期間しか存在しませんでしたので、流通、伝世など、あまり細かく勘案しなくても、遺跡や古墳の時代特定ができる、そんな便利な遺物なんですね。

新年の「新」の字を見ると、こんなことばかり頭をよぎるようになってきました。

新しい年が、すばらしい年でありますように。

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暦-冬講日記(25)

新入生歓迎カレンダーを、今年も送っていただきました。京都大学ボート部の皆さん、今年もありがとうございます!

お礼のお手紙を出させていただきました。差し障りない範囲で、公開させていただきます。

***お手紙ここから***

京都大学ボート部 御中

今年もボート部カレンダー、ありがとうございました。私も生徒も大喜びです。

合宿所から宅急便にかけていただき、申し訳ありません。将来一人でも多く京都大学に入学して、ボート部に入部するよう、奮闘いたします。

私も妻(明日香)も元気であります。妻は勤務先が、多少遠くの学校に変わったようで、通勤時間が若干増えたそうです。

今年度も、お盆の明日香村合宿、春・初夏・秋の歩こう会、京大11月祭見学ツアーなど、体力メインのイベントを乗り切りまして、来年度も、もう一年、なんとか仕事を続けることができそうな気がしてきました。

最近、古くからの卒業生を、明日香村奥明日香・柏森の「さらら」さんにお誘いして、旧交を温めております。奈良近辺に来られる機会がありましたら、是非ともご連絡ください。

「さらら御膳」など食べながら、近況をお聞かせいただくと幸いです。

ライブドアブログ「石川数学塾大阪」に冬講日記を連載中です。よろしければ、お読みいただきますと幸いです。

お風邪など召されませんよう。ご多幸を祈念いたしております。

石川数学塾大阪・学園前教室
杉浦 功

***お手紙ここまで(表記を一部修正してあります)***

末永くおつきあいさせていただきたいと思っております。

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雨-冬講日記(24)

晴れの日も多いですが、雨も多い今年の冬です。

幼いころ、無邪気に雨を喜んでおりました。

♪あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな♪

傘と長靴があれば、雨には濡れないものだと信じておりました(笑)。

けっこう老成坊主であった小生は、そうこうするうちに口ずさみ始めました。

♪夜明けの停車場に ふる雨はつめたい♪

昔懐かしい、石橋正次さんであります。

十代後半には、もはやド演歌でありました(笑)。

♪雨にぬれながら たたずむ人がいる 傘の花が咲く 土曜の昼下がり♪

直立不動の三善英史さんであります。

以後、今日に至るまで、この路線は不動でありました。

♪雨々ふれふれ もっとふれ 私のいい人 つれて来い♪

鼻歌は、もっぱら八代亜紀さんであります。

世に棲む日々も、歌につれつつ…。


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病-冬講日記(23)

ご存知の方も多いと存じますが、小生、妻とは週末婚であります。

同じような仕事をしているのですが、平日それぞれのテリトリーで働き、週末だけ一緒に過ごしております。

先週末、どうも咳込むことが多かった妻に、小生のかかりつけを受診するよう勧めました。

結果は、…加療を要するものでした。

久しぶりに、週末ずっと、妻と一緒におりました。妻が好きなものを二人分作って、小生が掃除・洗濯・食器洗いなど。

思い起こしてみますと、「体力増強」とか、「古墳万歳(笑)」とか、麗しい掛け声だけのために、週末山野に妻を連れだしていたように思います。

反省しました。

人は幸せになるために生きておりますが、己の周辺が幸せであって初めて、誰もが幸せになれるものにちがいないと、…今ごろ気づいているようでは、「まるでだめお」だったと思います。

まだまだ、反省したいと思います。

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惑-冬講日記(22)

論語に曰く「四十ニシテ惑ハズ」。小生十年以上も前に「不惑」の境地に達したはずですが、まだまだ修行が足らないようで、あいかわらず気移りいたしております。

しかしながら、惑いまくりの小生からしましても、最近の受験生の皆様には、「そんなに惑いなさんな!」とアドバイスさしあげたくなるくらいに「惑惑」状態を感じざるをえません。

幼くして将来の目標を見据え、まっしぐらに勉学に励む受験生が多くなってきました。

将来の目標は無いまでも、「勉強しないことの恐ろしさ」にほだされ、まっすぐに前だけを見据えて邁進する皆さんもたくさんいらっしゃいます。

ところがそのような皆さんこそが、受験直前の「ブレ」や「ゆがみ」の主人公でもあります。何故なのでしょう。

種明かししますと、まっしぐらに邁進する皆さんが、往々にして「馬車馬」になってしまっていることが原因なのです。

可能な限り「前進力」を高めようとしますと、できるだけ「外野」を見えない状態に囲い込まれます。

「もしかすると、今のところ見えていない外野にこそ、真の人生目標があるかもしれない」とか、「強迫観念以外に、もっとバラ色のモチベーションがあるかもしれない」など、冷静に外野を見てこそ判別できることを、考えないままに持ちきたすことになるのです。

受験が終わってから、「ちょっと、見てみよう」なら、実害が少ないのですが、はからずも受験直前ですと、目も当てられなくなるのです。親子関係が崩壊する原因にもなりかねません。

これを「大惑い」と申すのでしたら、惑わなくて済む対策もただひとつ。できるだけ早い段階で、「正しく惑って」おくのです。

「少し早いかな」と思われても、勇気を出して考えてみること、「不惑」意外にも、多くの局面で、重要な対処薬になるでしょう。

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営-冬講日記(21)

ある朝、突然に、学校教育が完全民営化されていたら…。

満六才から、大人になって仕事を始めるまでに、勉強しておかなくてはならないことが決まっています。「基本教育」を行うことを、法令的に認められた「基本学校」が講じる、「読み・書き・計算」です。

いわゆる基本的リテラシーですね。いずれも国家試験に合格しておかなくてはなりません。合格証明書がないと、就職することもできませんし、アルバイトすらできません。

…ですが「基本教育」は無学年制ですから、六歳で修了して証明書を取得することも、理論上可能です。

「基本教育」の費用は全額、地方自治体と国家が負担します。義務教育は、これだけです。

これに対して、「応用教育」を行う「応用学校」は、設置主体の創意工夫によって開拓されていきます。

受験勉強だけに特化した「受験応用教育」をしてもいいですし、体力増進のみを目的とした「身体鍛錬応用教育」をやってもいいです。「任侠道」に依拠した「特別道徳応用教育」をしてもかまいません。

こちらの費用は、全額生徒負担です。応用教育を受けなくても構いませんが、就職するときなど、雇用者から「出願条件は、石川数学塾大阪小・中・高等学校が提供する高度受験応用教育修了を必須要件とする」などと、細かく指定されますので、勉強せざるを得なくなることが多いようです。

「応用教育」は、完全に市場原理に基づいて運営されます。人々に無用なものは消えていきますし、人々が必要とするものが生き残るのです。

さてさて、「近世の寺子屋教育ですか?」と、聞かれることがあります。「そのとおりです」と答えます。

明治維新以来の近代日本は、公教育に「教育」を抱え込ませすぎて、身動き取れなくなっています。「受験地獄」だとか、「校内暴力」だとか、「いじめ」だとか、弊害ばかりが目立つこの巨象に、もはや存在意義を見出せなくなっています。

ここあたりでひとつ、ちいさな小包にバラケて、包み直そうじゃないですか。

…なお現状、特別支援教育と言われているものや、定時制教育、夜間教育など、誰もがそのリスクを負いながらも、切り捨てられやすい領域には、特に配慮が必要になります。

教育民営化は、教育システムをめぐる甘えの構造を粉砕しますが、本当に支援を必要とする人々に、冷たくあたることを目的とはしません。

人々にとって、ほんとうに血の通ったシステムと信ずるに足るものを、人々の手に取り戻したいだけなのです。

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