撰-春講日記(7)

春は塾選びの季節。塾選びといえば、ひと昔前まで、まさにシステム選びだったと思います。

かつてシステムといいますと、テキスト、テスト、カリキュラム…これらが、すばらしく設えてあって、初めて「良い塾」だったのではないでしょうか。

これらを検証することが、そのまま塾を吟味することであり、このことは永遠に変わらないメソッドと考えられてきました。

しかしながら、マーケットを席巻するようなシステムも、これを制圧したことなく、逆にシステムの多様性は、どんどん拡大していきました。

個別指導が集団指導と十分に張り合うものと認識されたり、無学年多段階制、言うならば寺子屋方式が市民権を得たり、そのほかにも、多様性の枚挙に暇なしと思います。

至高のシステムという物語が、過重な期待と空虚な結果に自己崩壊したのち、コンシューマーの認識は、塾選びは人選び…に収れんしつつあります。

即ち、単なる相性問題を超えたところまで含めて、教授を任すに足る人物を、教師に選ぼうとするものです。

小生はこの傾向に、塾選びの質的転換を予見し、敬意をこめて塾「撰」び…と、敢えて申し上げたいわけです。

さてさて小生は、いったい何を「撰」ぶ人々に、いったい何を「撰」んでほしいのか、今週はこのことを書き連ねてみたいと思います。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

大阪通信 Vol.107 配布開始しました -Sさんのヨタ話…後編です

大阪通信 Vol.107 配布開始しました。年に一度のSさん登場、今年はこれで、読み納めです。

立ち読みしてみましょう。

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「よお!昨日ぶり!」

毎日笑顔でフルスロットル。今日もSさんは、元気です。

「『罪の声』やったっけ?グリコ・森永、たしか昨日、しゃべっとったな。」

「そうですね。昨日に引き続き、お願いします。」

「ところで、長年疑問に思っていたんですが、「キツネ目の男」なんて、あんなに特徴的な人相書きまであるじゃないですか。何で逮捕されないんですか。」

「そうやなぁ。犯行グループのほぼ全員、実名、年齢、経歴、犯行内容まで割れとる。一網打尽で、ええのになぁ。」

「え~え?Sさん、今、何ておっしゃいました?そんなこと、わかってるんですか?」


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今回も気楽にお読みください。眉間にシワよせて、握り拳はいけません(笑)。

大阪通信 Vol.107、石川数学塾大阪・学園前教室にて好評配布中です。ご自由にお持ちください。

なお、中入倉庫に大阪通信のバックナンバーが揃っています。今週の大阪通信 Vol.107 も、倉庫からダウンロードできるようになっています。

みなさん、ぜひ一度、ご覧になってみてください。

石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦

大阪通信 Vol.106 配布開始しました -1年ぶりにSさん登場…です

大阪通信 Vol.106 配布開始しました。年に一度のヨタ話、Sさん、今年も絶好調です。

立ち読みしてみましょう。

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「よぉ!一年ぶり!」

奈良の田舎のいつものショットバー「B」の一番奥のカウンターが、Sさんの定位置です。あいかわらず屈託のない笑顔、一年前と、たいして変わりません。

「奥さんも、お元気ですよね!」

「うん。息災だぜ。ありがとう。」

挨拶もそこそこに、近ごろ気になっていた話題を振ってみました。

「Sさん、もう読まれましたか?罪の…。」
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…このあと、どんな展開が待っているのでしょうか?

勉強の息抜きに、肩ひじ張らずに、気楽に読んでください。

大阪通信 Vol.106、石川数学塾大阪・学園前教室にて好評配布中です。ご自由にお持ちください。

なお、中入倉庫に大阪通信のバックナンバーが揃っています。今週の大阪通信 Vol.106 も、倉庫からダウンロードできるようになっています。

みなさん、ぜひ一度、ご覧になってみてください。

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大阪通信 Vol.104 配布開始しました -久しぶりの「読破中!」です

大阪通信 Vol.104 配布開始しました。

久しぶりに「読破中!」です。今回は、枕をどうぞ。

「忙中閑あり。映画を観て参りました。この間、ずっと観たかったモノたちです。

まずは中島みゆき、劇場版の新作、「一会」。「一期一会」の「一会」でしょうか。前作「橋の下のアルカディア」のゼロ戦シーンが強烈でしたので今回も…?と思いきや、ノーマルの劇場版に戻っておりました。小生古より、なんだか沈み込むと、中島みゆきさんだの、森田童子さんだの、唸り出す癖があります。中島さんを「ネが明るい皮肉屋」とすれば、森田さんは「救いがたい真っ暗闇」みたいで、甲乙つけがたく、今日に至っております。しかしながら、「もう二度と笑顔には、なれそうもない」と「時代」を唄い、「シュプレヒコールの波、通り過ぎてゆく」と「世情」を唄った中島さんが、「地上の星」や「麦の唄」を力強く唄っている姿を観るにつけ、隔世の感を禁じえません。…森田さんは?と言いますと、「ぼくたちの失敗」以来、永い忘却の彼方にありまして、そう考えてみると、「隔世」は他ならぬ自分自身なのかもしれない…とも思います。

お次は、遠藤周作原作「沈黙 -サイレンス-」。はい、文芸大作です。江戸時代初期、キリシタン禁教の時代、棄教して幕府にすり寄った(転んだ)バテレンを描きます。暴虐の嵐吹きすさび、たとえわが身は転んだかに見えようとも、心まで売り渡したわけではないという、そんな沈黙もあるのだと、深くうなづいて客席を見回しますと、やはり皆さん、深くうなづいていらっしゃり、きっと同じような人生を歩んでこられた皆さんなんだと、妙な連帯感が生まれてしまいました。それにしても、「我々はぁ~断固としてぇ~この闘争をぉ~貫徹しぃ~」と叫んでいらっしゃった方々、信念の沈黙を貫き通しているのだろうかと、小生も含めまして、自信がない近頃です。企業戦士、マイホームパパ、世捨て人…何に身をやつそうとも、変わらぬ信念がありたいものだと思います。

最後に、生まれて初めて観たアニメ映画「この世界の片隅に」。はい、反戦映画なんだと思います。クラウドファンディングでもって製作費を賄われたそうですが、出資した皆さんは、一人の例外なく「非戦・反戦」の人々だと思います。小生古い世代ですので、「非戦・反戦」といえば即座に拳を突き上げて、シュプレヒコールと戦闘デモになってしまいます。しかしながら本作は、終戦前後の軍港・呉が舞台であるにもかかわらず、戦争があろうがなかろうが、圧倒的に日々暮れゆく日常を描いています。小生ほんの数秒だけ、奇妙な違和感を感じましたが、小生の持っているような古いパラダイムが圧倒的に無効であることを宣言されたようで、呆然としてしまいました。気がつくと満員の劇場のあちこちに、同じように呆けにとられたご年輩の御仁が…。そうですね。「帝国主義的侵略を、内乱に転化せよ」とか、大声で叫んでいた御仁でありましょうが、これまた小生も含めて、「帝国主義」が名札を付けて、目前に登場したことなど無かったわけですし、「内乱」が起きた記憶も無かったわけです。何かが変わってしまったようで、寂しくもありましたが、カビの生えたパラダイムなど、シフト転換するに如くは無し。圧倒的日常に身をゆだねてみるのも良かろうと思いました。

さて、久しぶりに「ただいま読破中!」をお届けします。大昔『全共闘グラフィティ』の頃から、最近の考古学まで、ずっとお世話になっております新泉社さんの最新刊、シリーズ「遺跡を学ぶ」の面白いとこ取りでお伝えします。寒い冬、こたつに入って、ミカンとお茶と何か一冊。お好きな本をお読みになってください。」

大阪通信 Vol.104、石川数学塾大阪・学園前教室にて好評配布中です。ご自由にお持ちください。

なお、中入倉庫に大阪通信のバックナンバーが揃っています。今週の大阪通信 Vol.104 も、倉庫からダウンロードできるようになっています。

ご覧になってみてください。

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峠-冬講日記(34)

下界から登り始めた冬講という小山も、いよいよ峠が見えてきました。

てっぺんまでが、もうひとふんばり。峠を越えると、あがっていた息が整います。

山があって、峠を目指して、これを超えて、皆で喜んで…という大筋は、毎年同じです。

しかし、その道行きは…というと、毎年のように違うことを覚悟しておかなくてはなりません。

たまたま昨年の道を、なぞらえることができる年もありますが、一年もたつと、およそ獣道と化しています。

全く新しい道を切り拓くこともしばしばで、やはりルーチンと呼ぶには、程遠いような気がします。

ですから、「このレールに乗って行けば、絶対に大丈夫」とか、「前だけ見て走って行けばよいのだ」などと、いわゆるシステム合理主義を標榜する個人や集団が、詐欺師に見えて仕方ありません。

小生の活動は「規格外だから仕方ないんとちゃう?」と、慰めとも、諦めともつかぬ言葉をいただきもしますが、そもそも「規格外」ばかりがウヨウヨしている集団に、一本のレールなど引けようもありませんし、「あんたは規格外専門!」に至っては、単なる暴論に過ぎないでしょう。

そんなことを考えながら進めてきた冬講も、あと少しです。

今年も人事尽くして、天命を待ちましょう。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

楽-冬講日記(33)

男の脳裏には、楽しかった冬休みの記憶だけが蓄積されています。

子供の頃のクリスマスやお正月から始まって、仕事漬けだった日々、山奥で雪に閉ざされた記憶まで、一様に楽しいものでした。

大掃除や、お年玉や、年賀状など、お手伝いからメインの労働者になり、もらう立場から与える立場になり、山ほど書いていたのが関係者数名だけとのやり取りになり…、いろいろ変わりましたが、晩秋、冬の空気が凛として感じられるようになると、男はウキウキしてくるのでした。

「え?ワシって、あと八年で還暦かいな?」

と、唐突に気づいて驚いた近頃、大人しくなる気も全くなく、今年はどんな雪だるまを作ろうか?とか、豆撒きと恵方巻きはどうしよう?と、やはりウキウキしている己に驚いております。

「人生なるもの、楽しむに如くは莫し」。

もし今夜、わが身がついえても、いい人生だったと悠然と旅立ち、あの世で卑弥呼と語らいたいものだと、思い続けることにしています。

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楽-冬講日記(33)

男の脳裏には、楽しかった冬休みの記憶だけが蓄積されています。

子供の頃のクリスマスやお正月から始まって、仕事漬けだった日々、山奥で雪に閉ざされた記憶まで、一様に楽しいものでした。

大掃除や、お年玉や、年賀状など、お手伝いからメインの労働者になり、もらう立場から与える立場になり、山ほど書いていたのが関係者数名だけとのやり取りになり…、いろいろ変わりましたが、晩秋、冬の空気が凛として感じられるようになると、男はウキウキしてくるのでした。

「え?ワシって、あと八年で還暦かいな?」

と、唐突に気づいて驚いた近頃、大人しくなる気も全くなく、今年はどんな雪だるまを作ろうか?とか、豆撒きと恵方巻きはどうしよう?と、やはりウキウキしている己に驚いております。

「人生なるもの、楽しむに如くは莫し」。

もし今夜、わが身がついえても、いい人生だったと悠然と旅立ち、あの世で卑弥呼と語らいたいものだと、思い続けることにしています。

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鬼-冬講日記(32)

鬼と呼ばれた男がいました。

男が統括する中学入試スタッフは、鬼の軍団と称されました。

年内最終日は、除夜の鐘が鳴り終わるまで授業をしていました。

新年初日は、初日の出とともに授業を始めました。

受験開始ギリギリまで、試験会場で授業していました。

「中学入試は、通さなあかん」、これが口癖でした。

鬼の生徒たちは、奇跡のように合格していきました。

いつしか奇跡を願う生徒たちで、鬼の教室は繁盛しました。

しかしながら、鬼は疑問に思い始めました。

「鬼はいつか、生徒の目前から消える。鬼無き日々の、何たる堕落か!」。

いつのまにか生徒たちは、鬼の眼前を去り、放任されることばかり考えていたのでした。

鬼は鬼であることをやめました。鬼を封印したのです。

最近の生徒たちは、男が鬼であったことを知りません。

数ヶ月に一回、男に鬼が憑依して生徒を叱るときにも、まるで「借りてきた鬼」だと思っています。

男はどこか所在無いものを感じながらも、「これで良かったんだ」と、努めて考えるようにしています。

鬼であろうが、なかろうが、男は生徒の人生が、幸せ多いものとなるよう願っているのですから。

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鬼-冬講日記(32)

鬼と呼ばれた男がいました。

男が統括する中学入試スタッフは、鬼の軍団と称されました。

年内最終日は、除夜の鐘が鳴り終わるまで授業をしていました。

新年初日は、初日の出とともに授業を始めました。

受験開始ギリギリまで、試験会場で授業していました。

「中学入試は、通さなあかん」、これが口癖でした。

鬼の生徒たちは、奇跡のように合格していきました。

いつしか奇跡を願う生徒たちで、鬼の教室は繁盛しました。

しかしながら、鬼は疑問に思い始めました。

「鬼はいつか、生徒の目前から消える。鬼無き日々の、何たる堕落か!」。

いつのまにか生徒たちは、鬼の眼前を去り、放任されることばかり考えていたのでした。

鬼は鬼であることをやめました。鬼を封印したのです。

最近の生徒たちは、男が鬼であったことを知りません。

数ヶ月に一回、男に鬼が憑依して生徒を叱るときにも、まるで「借りてきた鬼」だと思っています。

男はどこか所在無いものを感じながらも、「これで良かったんだ」と、努めて考えるようにしています。

鬼であろうが、なかろうが、男は生徒の人生が、幸せ多いものとなるよう願っているのですから。

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星-冬講日記(31)

星を観ることが好きであります。

真冬の空気が凍りついて、よく澄んでいる今日この頃、星空観察には絶好の季節となりました。

二等星がぼんやり見える程度に汚れた都会の空気は、どうもいただけません。

三等星まで、くっきりはっきり見えなくては…と思い始めますと、グウォーンとZが唸っております。

高畑を南進、高円山わきの通称「高円ライン」から大和高原へ、山添村に数少ない信号機を右折、針を目指します。

途中街灯が途切れたあたりでZを停め、満天の星空には四等星までうっすら見えております。

「今夜は流星群」とか、「仕事区切り、己にご褒美」とか、なんだかんだ理由をつけてはウロウロと。

古代ヤマトの皆々も、きっとこの星空を観ていたのだろうと思いますと、限りないロマンを感じてしまうのです。

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