大阪通信 Vol.113 配布開始しました -お久しぶりの読破中!です

大阪通信 Vol.113 配布開始しました。久しぶりに「現在読破中!」です。

立ち読みしてみましょう。

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「どんなん読んではんのやろ?」と、ちょっと覗き見してください。

おっと忘れるところでした。感謝のメッセージをいただいております。

前回紹介いたしました新泉社の『シリーズ「遺跡を学ぶ」No.013 古代祭祀とシルクロードの終着地 沖ノ島』、沖ノ島が世界遺産になるであろう事態となりまして、グッドタイミングでした。時事問題対策にもなりますし、先生の読書記録も、たまには役に立つのですね…と。

はい、おおいに役に立ちましたでしょうか(笑)。この一冊、Amazonチェックしてみましたら、取り次ぎに品薄となりつつあります。ご注文は、お早めにどうぞ。

さて、今回はハードカバーの単行本中心にご紹介いたします。適度に読み、適度に書き、適度に話すことは、すべての学力を通底する基礎能力です。まずは読むこと、そして書くこと。できうるならば、語り合うこと。ジャンルは問いません。小生程度に頑張ってください!
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大阪通信 Vol.113、石川数学塾大阪・学園前教室にて好評配布中です。ご自由にお持ちください。

なお、中入倉庫に大阪通信のバックナンバーが揃っています。今週の大阪通信 Vol.113 も、倉庫からダウンロードできるようになっています。

みなさん、ぜひ一度、ご覧になってみてください。

石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦

大阪通信 Vol.113 配布開始しました -お久しぶりの読破中!です

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「どんなん読んではんのやろ?」と、ちょっと覗き見してください。

おっと忘れるところでした。感謝のメッセージをいただいております。

前回紹介いたしました新泉社の『シリーズ「遺跡を学ぶ」No.013 古代祭祀とシルクロードの終着地 沖ノ島』、沖ノ島が世界遺産になるであろう事態となりまして、グッドタイミングでした。時事問題対策にもなりますし、先生の読書記録も、たまには役に立つのですね…と。

はい、おおいに役に立ちましたでしょうか(笑)。この一冊、Amazonチェックしてみましたら、取り次ぎに品薄となりつつあります。ご注文は、お早めにどうぞ。

さて、今回はハードカバーの単行本中心にご紹介いたします。適度に読み、適度に書き、適度に話すことは、すべての学力を通底する基礎能力です。まずは読むこと、そして書くこと。できうるならば、語り合うこと。ジャンルは問いません。小生程度に頑張ってください!
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大阪通信 Vol.112 配布開始しました -春の博物館に行きましょう!

大阪通信 Vol.112 配布開始しました。春の博物館に行きましょう。

どの博物館に、行くのでしょうか?立ち読みしてみましょう。

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春ですね。そぞろ神に誘われて、博物館めぐりに出かけましょう。

出かけましょう!といいました、舌の根も乾かぬうちから、いきなり脱線恐縮です。私も含め、古来日本人は、なんだか都合の悪いことを、公然と行おうという時、しばしば妙ちくりんな神様のせいにしてきました。

田舎道を歩いておりますと、あちこちに鎮座まします道祖神、その付近に微妙な距離をおいて、置かれてあることが多い「庚申」なる石碑も、その類であります。十干十二支では五十七番目、「かのえさる」ですね。…と、サラリと流してしまいますと、神様でも何でもありません。

かつて十干十二支は、時空を読み取る座標軸でありました。十二支を並べて方位を表したり(たとえばイヌイ=乾=戌亥は北西であります。ウシトラ=艮=丑寅でしたら北東ですね)、干支を組み合わせて年や日付を表したり(乙巳の変は645年、すなわち乙巳の年、庚午年籍は670年、すなわち庚午の年)…です。なるほど庚申の年や、庚申の日があったわけですね。

この庚申にちなんで、近世田舎の村々に「庚申講」なるものがありました。庚申の日に、得体の知れない超越的なモノが騒ぐ、危険じゃ、危険じゃ、寝たら危ない、襲われる、よっしゃ!ず~っと起きていよう、これなら襲われる心配もない、しかしながら眠たくて、あまりに眠たくて、ほんの少し眠った瞬間に襲われたらどうしよう、困ったものだ、どうしよう…、そうだ!みんなで励ましあいながら起きていれば万全だ、誰か眠りそうになったら起こすのだぁ~!…とまあ、こうして集団夜更かし井戸端会議を、公然と行っておったわけですね。普段でしたら、三人寄れば「謀議だ!」とか「一揆だ!」とかと、強烈に弾圧されたそうですから、庚申講なるもの、絶好のダベリング息抜きに使われたいたのでしょう。

そぞろ神も庚申さんみたいなものでして、小生も含め誰一人としてお目にかかったことなどありませんが、陽気にほだされてテクテク歩きだしてしまう小生の、大きなお尻を押してくれているのです。「神のご意志である。致し方なきものよのう!」と、方便丸出しですね(笑)。

さてさて、そんなわけで、博物館に出かけましょう。今回は春季特別展のご紹介も致しながら、ついつい見過ごしがちな、博物館レアチップスを書いてみました。お出かけのご参考にどうぞ(いやいや、そぞろ神が、書け!書け!と、ほんとうに騒がしいもので…(笑))。
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杉浦先生にかかりますと、庚申さんも「そぞろ神」ですか。身代わり猿をつっておくと、寄ってこないかもしれません。

しかし既に時遅く、憑依されてしまったようです(笑)。

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大阪通信 Vol.112 配布開始しました -春の博物館に行きましょう!

大阪通信 Vol.112 配布開始しました。春の博物館に行きましょう。

どの博物館に、行くのでしょうか?立ち読みしてみましょう。

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春ですね。そぞろ神に誘われて、博物館めぐりに出かけましょう。

出かけましょう!といいました、舌の根も乾かぬうちから、いきなり脱線恐縮です。私も含め、古来日本人は、なんだか都合の悪いことを、公然と行おうという時、しばしば妙ちくりんな神様のせいにしてきました。

田舎道を歩いておりますと、あちこちに鎮座まします道祖神、その付近に微妙な距離をおいて、置かれてあることが多い「庚申」なる石碑も、その類であります。十干十二支では五十七番目、「かのえさる」ですね。…と、サラリと流してしまいますと、神様でも何でもありません。

かつて十干十二支は、時空を読み取る座標軸でありました。十二支を並べて方位を表したり(たとえばイヌイ=乾=戌亥は北西であります。ウシトラ=艮=丑寅でしたら北東ですね)、干支を組み合わせて年や日付を表したり(乙巳の変は645年、すなわち乙巳の年、庚午年籍は670年、すなわち庚午の年)…です。なるほど庚申の年や、庚申の日があったわけですね。

この庚申にちなんで、近世田舎の村々に「庚申講」なるものがありました。庚申の日に、得体の知れない超越的なモノが騒ぐ、危険じゃ、危険じゃ、寝たら危ない、襲われる、よっしゃ!ず~っと起きていよう、これなら襲われる心配もない、しかしながら眠たくて、あまりに眠たくて、ほんの少し眠った瞬間に襲われたらどうしよう、困ったものだ、どうしよう…、そうだ!みんなで励ましあいながら起きていれば万全だ、誰か眠りそうになったら起こすのだぁ~!…とまあ、こうして集団夜更かし井戸端会議を、公然と行っておったわけですね。普段でしたら、三人寄れば「謀議だ!」とか「一揆だ!」とかと、強烈に弾圧されたそうですから、庚申講なるもの、絶好のダベリング息抜きに使われたいたのでしょう。

そぞろ神も庚申さんみたいなものでして、小生も含め誰一人としてお目にかかったことなどありませんが、陽気にほだされてテクテク歩きだしてしまう小生の、大きなお尻を押してくれているのです。「神のご意志である。致し方なきものよのう!」と、方便丸出しですね(笑)。

さてさて、そんなわけで、博物館に出かけましょう。今回は春季特別展のご紹介も致しながら、ついつい見過ごしがちな、博物館レアチップスを書いてみました。お出かけのご参考にどうぞ(いやいや、そぞろ神が、書け!書け!と、ほんとうに騒がしいもので…(笑))。
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杉浦先生にかかりますと、庚申さんも「そぞろ神」ですか。身代わり猿をつっておくと、寄ってこないかもしれません。

しかし既に時遅く、憑依されてしまったようです(笑)。

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大阪通信 Vol.111 配布開始しました -健康になりましょう!

大阪通信 Vol.111 配布開始しました。今週は、健康エッセイです。

立ち読みしてみましょう。

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小生、毎年恒例の胃カメラ検査を、4月10日(月)に受けて参りました。針金の先っぽみたいなところに、小さなカメラがついており、食道から胃、十二指腸のあたりまで、パシャパシャと写真を撮っていくものです。
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ん?…なんだか、不健康エッセイのような気がします。どうなるんでしょうか?

大阪通信 Vol.111、石川数学塾大阪・学園前教室にて好評配布中です。ご自由にお持ちください。

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大阪通信 Vol.111 配布開始しました。今週は、健康エッセイです。

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小生、毎年恒例の胃カメラ検査を、4月10日(月)に受けて参りました。針金の先っぽみたいなところに、小さなカメラがついており、食道から胃、十二指腸のあたりまで、パシャパシャと写真を撮っていくものです。
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ん?…なんだか、不健康エッセイのような気がします。どうなるんでしょうか?

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和-春講日記(18)

若かりし頃を忘れたオジサンたちを、石頭と呼びます。

「近ごろの若ぇもんは…(怒)」と怒鳴る前に、オジサンにも「若ぇ頃」があったことを思い出すべきです。

そういえば小生なんぞは、わけのわからない類のおませさんでした。

ド短足に袴みたいなジーンズはいて、ただ単に散髪するのが面倒なだけの長髪をなびかせていました。

ギターで四畳半フォークの弾き語り…のつもりが、絃を押さえる左手、いかにも覚束なく、立派なフォークゲリラになりたくても、なんだか門前払いの様相でした。

ジーンズの裾が、いつのまにかチョキチョキ切られ、頭髪に至っては、面倒だから坊主でええやろ…と、なるほどその程度の者かと納得するに、そんなに長い時間はかかりませんでした。

そうなんですよね。オジサンたちは、昔日を忘れてしまっているのです。

Hegel bemerkte irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Tatsachen und Personen sich sozusagen zweimal ereignen. Er hat vergessen, hinzuzufügen: das eine Mal als Tragödie, das andere Mal als Farce.

ヘーゲルは「歴史は二度繰り返す」といったが、このように付け加えることを忘れていた。「一度目は悲劇として、二度目は茶番として」。

有名なマルクスの言葉であります(“Der achtzehnte Brumaire des Louis Bonaparte”, 邦訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)。

二度目の茶番を避けんがため、オジサンたちが若者を卍固め、これはあまりに愚かなことでしょう。

若者にとって、まだまだ一度目の悲劇。貴重なイニシエーションなのですから。

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采-春講日記(17)

“Although we were defeated in war, we didn’t become slaves.”

「我々は戦争に負けただけだ、奴隷になったわけではない」

有名な発言ですね。GHQが「最も食えない日本人」と煙たがった白洲次郎の言葉です。

吉田茂の側近中の側近でした。占領軍相手に、よくぞブチまかしたものだと思います。

融通無碍が至高とされる昨今、あくまで国家に、民族に、プリンシプルにこだわった白洲は、隔世の偉人に思えてしまいます。

たとえがんじがらめにされようとも、心まで売り払う必要はない。

白洲の叫びが、多少くたびれたオジサンたちの背中に、今日も喝!を入れてくれる気がします。

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紳-春講日記(16)

「カントリー・ジェントルマン」といっても、「何のことですか?」と聞き返されます。

「白洲次郎のことですか?」でしたら、まだ良いほうでして、ドラマやムックの話で盛り上がれます。

「田舎の紳士ですか、鄙(ひな)の都人(みやこびと)?」ですと、いろんな知識が混ぜ混ぜグチャグチャでして、少し重傷です。

平時は人里から離れ住み、狩猟犬と暮らし、有事にあたっては、人々のために立ち上がり、存分に働く、紳士の国・英国の理想であります。

誰でもできることはしない、己にしかできないことを、ここぞとばかりにやる、この思想と生き方を支えるものは、紳士たるものの矜持であります。

オジサンどもの理想が、若い世代には、単なる世捨て人に見えるのだとか。

たしかに遁世するに違いなく、一見区別もつきがたいでしょう。

しかしながら、腹蔵するものが違います。秘めたる情熱が違います。

なるほど、内在する「価値」なるものは、凝視できないでしょう。

それでも、だからといって「透視」さえ諦められそうな風潮に、オジサンたちは危機感を抱いているのであります。

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殉-春講日記(15)

信じたことに殉じたいと思うことが、カッコワルイ時代になって久しいです。

古い世代にとって、「思想に殉死する」というと、なにはともあれカッコイイことだったと思います。

恐るべき不利益とか、後ろ指とか、そんなもんくらい、いくらでもウェルカムだった猛者が、たくさんいたものです。

それでも家族を路頭に迷わせるにつけ、ほんの数秒ほど「申し訳ない」と思うのですが、ほんの十秒後には、どこ吹く風、二度三度の好き勝手となります。

国士気取りならまだしも、単なるチンピラだったりすると、始末におえません。

若い世代は、こんなおじさんたちを、不思議なまなざしで見つめます。

そんなことして、何の利益があるの?…と。

後ろ髪引かれる思いでも、兎にも角にも突き進むことと、進まないどころか、意味不明であると断ずることは、かつて東西冷戦の象徴と言われた、ベルリンの壁より高く隔てられているのでしょう。

おじさんたちは、若年の不信心を嘆きます。若者たちは、おっさん!胡散臭いぜ!…と断じます。

水と油は混じりあわないものだと、今日も神話が屹立しているのです。

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