穀-夏講日記(その18)

とうもろこしを差し入れていただきました。さっそく塩茹でして食べました。

マイ中華鍋を持っているくらいですから、塩茹でもそつなくこなします。

「ゴッツイ顔つきからは、推し量れない」そうで、何やら複雑な心境です。

今回は「とうもろこしの塩茹で三ヶ条」をお届けします。普段小生が気をつけていることです。

まず、したごしらえ。<<皮を一枚残すこと>>。

ゆでている最中、粒の表面を保護できます。茹であがってから、ヒゲを取りやすくなります。皮の風味がほんのりと粒に乗り移って、何とも芳しくなります。

ちなみに皮は、熱いうちにちぎってください。熱いほうがちぎりやすいです。

次に、茹でている途中。塩加減は多少きつめで、<<落としぶたを忘れずに>>。とうもろこしに水がかぶりきっていなくても、まんべんなく熱が行き渡ります。

水が沸騰してからとうもろこしを入れて、弱火で15分、火を止めてから最後のポイントです。とうもろこしを<<いきなり出さずに、10分間ほど放っておきます>>。塩味が浸みわたって、とてもおいしく仕上がりますよ。

皆さんも一度、試してみてください。

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夜-夏講日記(その17)

やはりさびしがり屋なのでしょうか、夜のとばりが嫌いであります。

しんしんと静かな夜更けなど、できればご遠慮申し上げたいし、許されるものなら、ずっと白夜であってほしいと思います。

ブラックホールでもなかろうに、漆黒の闇が全てを飲み込んでしまうような気がしてなりません。

そういえば、もう十年ほど前になりましょうか、夜中に動悸が収まらなくなる奇病を患いまして、しばしば入院していました。病名が決まって「不安神経症」だったことを憶えています。

歳を取って、だいぶ落ち着いてきましたが、基本的な精神状態が往時と変わらないようで、今だに真っ暗闇のただ一人では寝られません。

若い頃にはラジオの深夜放送が、私を癒してくれました。

「オールナイト・ニッポン」は必ず聴いていましたし、午前三時からは「歌うヘッドライト」というダンプの運ちゃん用のプログラムを聴きました。

故郷のローカル局が、25時から27時までニッポン放送、27時から29時までTBSをネットしていたのです。

齢50代半ばにさしかかりましたが、睡眠時間が少なくても大丈夫なのは、きっと深夜放送に鍛えられたからでしょう。

良かったのか、悪かったのか、なんだか複雑な思いです。

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昔-夏講日記(その16)

懐かしく思い出される頃があります。業界人になった頃です。

何かにつけて議論していました。わけもわからずパワフルでした。怪しげな会議の召集令状に、喜々として応召していたものです。令状には、こう書かれていました。

「26時、○○○古墳に結集せよ」

今ではおよそ不可能なこととなりましたが、○○○古墳の石室石に乗っかって、怒髪天を衝き、口角泡を飛ばし、やたらアルコール濃度の高い会議でした。

勢い余って、巨石の隙間から石室に落下する輩もいました。落ちたまま動く気配がないので、心配になって見に行きますと、けっこう出血しているにもかかわらず、スヤスヤと寝ておりました。

巷には満月の夜に、女狐が踊る古墳だといわれています。女狐のうち何匹かは、似ても似つかない我々だったに違いありません(笑)。

翌朝解散、そのまま甘樫丘に登る面々がいました。

御破裂山から朝日が昇り、はるか葛城・金剛を照らすスペクタクル、世界を我が物とする誤解が、ふつふつと醸成されたものです。

あれからウン十年、固くセコムされた○○○古墳や、マムシもセアカゴケグモも繁殖してしまった甘樫丘に、世の移ろいを感じざるをえません。

「時代が変わったんだ」と、無理にでも納得せざるを得ない己が、「人心だけは不変であってほしい」と、小さな願いをかけています。

まるで他人事のように、思わずほくそ笑んでしまうほど、とてつもなく滑稽であります。

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説-夏講日記(その15)

「分からない設問」や「できない設問」を、私たちは解説します。いつもどおり解説しながら、具体的には「解説ノート」にしたためながら、注意を払っていることがあります。どんなことでしょうか。

いわゆる「教師」の手引書には、こんなふうに書いてあります。

「生徒の理解度を、表情や視線から読み取りながら、テンポ良く解説しましょう。」

これは、至極あたりまえのハウツーです。できなければ「教える」資格がありません。学校でも塾でも、同じです。ご家庭でご父母に教わるときも同じです。

私がこの業界に入ったころ、先輩の先生に、こんなふうに教えられました。

「世界一の解説をしても、生徒が聞いてなければ無意味。だから、教えることとは、きっちり聞かせることだ!」

はい、そのとおりです。でも、それだけでしょうか?

「目の前で解いてあげます。隅から隅まで、私の解説を再現できるようになりなさい。」

「あなたが聞いて一番よく分かる説明が、他の誰にも一番よく分かるわけではありません。詰まるポイントは人それぞれ、それを突破して、初めて分かりますからね。」

「私はあなたの解説中、おそらく他の誰にも繰り返さない貴重な解説をします。全感覚を耳に集中して聞きなさい。」

私が近ごろ盛んに使う言葉たちです。

そういえば、「いつ、だれが説明しても高度にわかりやすい、ただ一つの解説を用意することが、塾の品質保証だ…」、そう言われた時代がありました。

もはやこの言葉、博物館の陳列棚に収納してしまいましょうか(笑)。

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談-夏講日記(その14)

頻繁に懇談させていただいております。特に入塾時や初回授業前には、必ずお話しさせていただきます。

「何故ですか?」と聞かれます。「何故だと思われますか?」と聞き返しますと、こんなふうに言われます。

「授業のやり方を説明されてるんですよね。個別指導になじみの薄いかたもいらっしゃるでしょうから。」

はい、全く説明しないわけではありませんが、それだけではありません。と言いますか、いくら言葉を尽くしてご説明いたしましても、体験授業を受けていただくことが、一番わかりやすい方法でありましょう。

「ヤンチャな子にクギを刺してるんですよね。」

これも少なからずあたっています。将来ゆめゆめ、初心忘れること無かれと。

「事務手続きですか?入塾届や誓約書?」

これはお持ち帰りいただいて、初回に回収させていただきますから、ほとんどありません。

種明かしです。大事なことを突き合わせているのです。

生徒の皆さんにとっては、勉強ができるようになりたい理由、私たちにとっては、勉強を教えたい理由。

多くの場合、「理由」なるものに、彼方の将来展望に基づくマッチングがあって初めて、大きな成果が生まれます。

皆さんの切実な希望と、私たちの大いなる共感、この土俵が時として抜き差しならない関係を育み、すばらしい共同作業を生み、そして大団円を迎えるのです。

初回面談は、その序章であります。

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福-夏講日記(その13)

七福神も、いよいよ最後のお一人です。後列中央、いかにも好々爺。福禄寿と申します。

いやはや長生きしてそうですね。それもそのはず、道教の長寿神だそうです。

なるほど道教たるもの、不老長寿の仙人となることが教理極まるところであります。福禄寿は仙人でございましょう。

「単なる長生きは無意味」とか、「健康寿命を延ばすべき」など、近ごろはやりの言説が、微塵も語られなかった古代から、人々は本当に単純に、長寿を謳歌していたのだと思います。

今日の長寿を鑑みるに、生物としての人間が寿命を延ばしてきたというよりは、科学的、社会的、その他さまざまな要請から、人間は寿命を延ばさざるをえなかったのではないでしょうか。

この状況は、果たして無条件に歓迎されたのでしょうか。甚だ疑問であります。

誤解しないでいただきたいのですが、「短命万歳!」などと言っているのではありません。むしろ長寿を言祝ぐことが、純粋な至情であった頃を懐かしみ、願いの生まれ出ずる源泉を至宝と考えているのです。

難しい話になってしまいましたね。福禄寿に〆ていただきましょう。

「合格最高! なりたい自分に なってみろ!」

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福-夏講日記(その13)

七福神も、いよいよ最後のお一人です。後列中央、いかにも好々爺。福禄寿と申します。

いやはや長生きしてそうですね。それもそのはず、道教の長寿神だそうです。

なるほど道教たるもの、不老長寿の仙人となることが教理極まるところであります。福禄寿は仙人でございましょう。

「単なる長生きは無意味」とか、「健康寿命を延ばすべき」など、近ごろはやりの言説が、微塵も語られなかった古代から、人々は本当に単純に、長寿を謳歌していたのだと思います。

今日の長寿を鑑みるに、生物としての人間が寿命を延ばしてきたというよりは、科学的、社会的、その他さまざまな要請から、人間は寿命を延ばさざるをえなかったのではないでしょうか。

この状況は、果たして無条件に歓迎されたのでしょうか。甚だ疑問であります。

誤解しないでいただきたいのですが、「短命万歳!」などと言っているのではありません。むしろ長寿を言祝ぐことが、純粋な至情であった頃を懐かしみ、願いの生まれ出ずる源泉を至宝と考えているのです。

難しい話になってしまいましたね。福禄寿に〆ていただきましょう。

「合格最高! なりたい自分に なってみろ!」

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布-夏講日記(その12)

七福神も残り少なくなってきました。

向かって右下に陣取っていますのが、大きな袋と立派な太鼓腹の布袋様です。

以前から感じていたことですが、布袋様というよりは、布袋山とか、布袋海とか、布袋里とか、布袋富士あたり、いわゆるしこ名の方が似合いそうです。

…と思いまして調べてみましたら、まず布袋山は、既に祇園祭の山鉾に名づけられ、布袋海は中国の漁場の名前になっておりました。伝統問題や外交問題になりそうなので、アウトでしょう。

同様に布袋里は台湾の宗教施設でした。布袋富士を検索しますと、フジカラーのお店の布袋店がヒットしてしまいます(笑)。

「名づけ直さねば…」と思ったところで、布袋様のお言葉です。

「負けるな!放るな! くじけるな! 努力に勝る天才なし!」

なんだか奇妙に濃いキャラクターばかりの七福神にあって、至極まっとうに聞こえてしまう布袋様でした。

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布-夏講日記(その12)

七福神も残り少なくなってきました。

向かって右下に陣取っていますのが、大きな袋と立派な太鼓腹の布袋様です。

以前から感じていたことですが、布袋様というよりは、布袋山とか、布袋海とか、布袋里とか、布袋富士あたり、いわゆるしこ名の方が似合いそうです。

…と思いまして調べてみましたら、まず布袋山は、既に祇園祭の山鉾に名づけられ、布袋海は中国の漁場の名前になっておりました。伝統問題や外交問題になりそうなので、アウトでしょう。

同様に布袋里は台湾の宗教施設でした。布袋富士を検索しますと、フジカラーのお店の布袋店がヒットしてしまいます(笑)。

「名づけ直さねば…」と思ったところで、布袋様のお言葉です。

「負けるな!放るな! くじけるな! 努力に勝る天才なし!」

なんだか奇妙に濃いキャラクターばかりの七福神にあって、至極まっとうに聞こえてしまう布袋様でした。

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寿-夏講日記(その11)

毘沙門天の手前、向かって右にいらっしゃいますのは、長い頭に薄い髪、濃い髭と深い笑み、寿老人と申します。

長寿の神として民間信仰を集められる方だそうです。

なるほど、毎日これほど喜色満面に暮らしておられましたら、永遠の生命も手に入れられようではありませんか。

「正直こそ至高!ウソは不要! わからないことがわかり できないことができるようになる それこそが勉強じゃ!」

これまた直截ながらマトを射抜いたお言葉。さすが、寿老人。単なる癒し系ではございません。

小生もこれほどサックリと真理を言い当てられましたら、きっと幸せになるであろうと思います。

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