神-夏講日記(その34)

十年ほど前のことでしょうか、愛車に不思議な偶然が続きました。

出張帰りが遅くなった早朝の国道24号、ウワナベ古墳付近を南進中、ドカン!という大きな音と、対向車線から中央分離帯を乗り越えて目前に転がるパッカー車、全身血だらけの男が這い出してきました。

どうやら中央分離帯の切れ目からUターンしようとしていた収集車に、トラックが追突したようでした。平和な月曜の朝が、一瞬にして地獄絵図になった瞬間です。

この十日後くらい、残業明け午前4時頃の阪奈道路を東進中、秋篠川を越えたあたり、ハザードをつけて斜めに停まった車と、その横に無造作に転がった物体。

「何事?」と車を停めて見に行きますと、呆然と立ち尽くす若者(かなりアルコール臭あり)、ピクリとも動かない初老の男性、フロントガラスがメチャメチャの車、なるほど交通事故現場でした。おそらく飲酒+死亡事故です。

若者と話しても意味不明でしたので、警察と救急を呼んで現場を後にしましたが、まるで絵にかいたような酷い状況でした。

このほかにも、高円山から飛び出してきた鹿に、正面から突進されたり、まちがって獣道に迷い込んで泣きそうになったりと、携帯電話の発信履歴が、警察と消防とJAFだらけになっていき、なんぼ鈍感な私でも、「こりゃ、だめだ!」と気づいた次第です。

それから今日に至るまで、運転席に護符をぶら下げるようにしました。なんとも霊験あらたかなお札のようで、なるほど住民票やら車検証やら、ありったけコピーして持って行き、二時間余りも祈祷していただくだけのことはあると感じます。

私は「怪力乱神を語らず」、およそ神仏を信じるものではありませんが、人智を超えた存在を、あたまから否定するものでもありません。それはきっと、「神」と呼んで差支えないものなのでしょうから。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

神-夏講日記(その34)

十年ほど前のことでしょうか、愛車に不思議な偶然が続きました。

出張帰りが遅くなった早朝の国道24号、ウワナベ古墳付近を南進中、ドカン!という大きな音と、対向車線から中央分離帯を乗り越えて目前に転がるパッカー車、全身血だらけの男が這い出してきました。

どうやら中央分離帯の切れ目からUターンしようとしていた収集車に、トラックが追突したようでした。平和な月曜の朝が、一瞬にして地獄絵図になった瞬間です。

この十日後くらい、残業明け午前4時頃の阪奈道路を東進中、秋篠川を越えたあたり、ハザードをつけて斜めに停まった車と、その横に無造作に転がった物体。

「何事?」と車を停めて見に行きますと、呆然と立ち尽くす若者(かなりアルコール臭あり)、ピクリとも動かない初老の男性、フロントガラスがメチャメチャの車、なるほど交通事故現場でした。おそらく飲酒+死亡事故です。

若者と話しても意味不明でしたので、警察と救急を呼んで現場を後にしましたが、まるで絵にかいたような酷い状況でした。

このほかにも、高円山から飛び出してきた鹿に、正面から突進されたり、まちがって獣道に迷い込んで泣きそうになったりと、携帯電話の発信履歴が、警察と消防とJAFだらけになっていき、なんぼ鈍感な私でも、「こりゃ、だめだ!」と気づいた次第です。

それから今日に至るまで、運転席に護符をぶら下げるようにしました。なんとも霊験あらたかなお札のようで、なるほど住民票やら車検証やら、ありったけコピーして持って行き、二時間余りも祈祷していただくだけのことはあると感じます。

私は「怪力乱神を語らず」、およそ神仏を信じるものではありませんが、人智を超えた存在を、あたまから否定するものでもありません。それはきっと、「神」と呼んで差支えないものなのでしょうから。

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学園前教室・杉浦

童-夏講日記(その33)

これも前職のこと。某寺大住職の娘さんを教えていました。

この娘さん、娘さん以外の誰にも見えない子供の姿が「見える」のだそうで、下階の一番端の大教室で授業をしていますと、必ず「誰か」と話していました。

私にはどうしても、独り言にしか聞こえませんでしたので、授業が終わってからこっそりと、「何だったの?」と聞いてみたものです。

すると、今日は他愛もない話だったとか、昨日は「その子」の身の上話が聞けたなどと、私に教えてくれました。

まんざら作り話とも思えないリアリティに、私もずいぶん驚いたものです。

中学入試も終わり、進学先も決まり、娘さんが旅立つ日が来ました。ささやかな祝勝会を催したのですが、娘さんが何やら浮かぬ顔。「最近、会えなくなってきた」のだそうです。

「静かだから悪くない」けれど、「なんだか寂しい」とも。

時は移ろい数年後、某寺を訪れた私は、娘さんと再会しました。娘さんは六年一貫校の四年生(高校一年生相当)になっていました。

あの頃のことを聞いてみますと、「見えなくなってから、なんだか思い出せなくなった」と。

不思議なことだったねと、談笑したものです。

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童-夏講日記(その33)

これも前職のこと。某寺大住職の娘さんを教えていました。

この娘さん、娘さん以外の誰にも見えない子供の姿が「見える」のだそうで、下階の一番端の大教室で授業をしていますと、必ず「誰か」と話していました。

私にはどうしても、独り言にしか聞こえませんでしたので、授業が終わってからこっそりと、「何だったの?」と聞いてみたものです。

すると、今日は他愛もない話だったとか、昨日は「その子」の身の上話が聞けたなどと、私に教えてくれました。

まんざら作り話とも思えないリアリティに、私もずいぶん驚いたものです。

中学入試も終わり、進学先も決まり、娘さんが旅立つ日が来ました。ささやかな祝勝会を催したのですが、娘さんが何やら浮かぬ顔。「最近、会えなくなってきた」のだそうです。

「静かだから悪くない」けれど、「なんだか寂しい」とも。

時は移ろい数年後、某寺を訪れた私は、娘さんと再会しました。娘さんは六年一貫校の四年生(高校一年生相当)になっていました。

あの頃のことを聞いてみますと、「見えなくなってから、なんだか思い出せなくなった」と。

不思議なことだったねと、談笑したものです。

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謎-夏講日記(その32)

不思議な経験を、たくさんしてきました。この業界内、前職でのことです。

昔もやはり、最後まで授業していることが多かったものですから、私が教室の施錠係でした。今とは比べ物にならないくらい、大きな塾の大きな教室でしたので、開錠・施錠だけでも大仕事でした。

上階の見回り、施錠、階段封鎖、エレベーターブロックでひとセット、同じことを下階でも行って完了…のハズでした。

ひととおり見回ってエレベーターに戻ると、あら不思議、ブロックしたはずの上階にエレベーターが止まっております。

「きっと、さらに下階のカラオケスナックの酔客が、エレベーターブロックを解除したに違いない。困ったものだ。」

急いで上階へ、念のため、フロアまるごと再施錠のつもりでした。

ところが、上階に着いたエレベーターの扉が開いた途端、目を疑いました。そこには、旧帝国陸軍の制服姿の男が、敬礼していたのです。

本来でしたら、明らかな不審者、緊急逮捕して警察に突き出すべきなのでしょうが、悲しいかな、生粋の業界人たる私は、典型的な職業病でして、不審物に対して大声で叫んでおりました。

「お疲れ様で~すぅ!。」

男はほんの少しだけ、はにかんだ笑いを浮かべ、ほんの数秒でドロロンパでした。

この一回コッキリでしたら、悪質ないたずらで済んだでしょうが(それでもけっこう迷惑ですが…)、何度もありますと、さすがに鈍感な私でも「何か変!」と思ってしまいます。

案の定、このあと本件は、およそ不特定多数の皆さんがお読みいただいているこのブログには、書きこめないような推移をたどりました。

「どうなったのだ?気になる!」という皆さん、教室では、細大漏らさず後日談を語っておりますから、ぜひお越しになってみてください。

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謎-夏講日記(その32)

不思議な経験を、たくさんしてきました。この業界内、前職でのことです。

昔もやはり、最後まで授業していることが多かったものですから、私が教室の施錠係でした。今とは比べ物にならないくらい、大きな塾の大きな教室でしたので、開錠・施錠だけでも大仕事でした。

上階の見回り、施錠、階段封鎖、エレベーターブロックでひとセット、同じことを下階でも行って完了…のハズでした。

ひととおり見回ってエレベーターに戻ると、あら不思議、ブロックしたはずの上階にエレベーターが止まっております。

「きっと、さらに下階のカラオケスナックの酔客が、エレベーターブロックを解除したに違いない。困ったものだ。」

急いで上階へ、念のため、フロアまるごと再施錠のつもりでした。

ところが、上階に着いたエレベーターの扉が開いた途端、目を疑いました。そこには、旧帝国陸軍の制服姿の男が、敬礼していたのです。

本来でしたら、明らかな不審者、緊急逮捕して警察に突き出すべきなのでしょうが、悲しいかな、生粋の業界人たる私は、典型的な職業病でして、不審物に対して大声で叫んでおりました。

「お疲れ様で~すぅ!。」

男はほんの少しだけ、はにかんだ笑いを浮かべ、ほんの数秒でドロロンパでした。

この一回コッキリでしたら、悪質ないたずらで済んだでしょうが(それでもけっこう迷惑ですが…)、何度もありますと、さすがに鈍感な私でも「何か変!」と思ってしまいます。

案の定、このあと本件は、およそ不特定多数の皆さんがお読みいただいているこのブログには、書きこめないような推移をたどりました。

「どうなったのだ?気になる!」という皆さん、教室では、細大漏らさず後日談を語っておりますから、ぜひお越しになってみてください。

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朋-夏講日記(その31)

スタッフに恵まれた合宿でした。常駐が私を含めて5名、ピンポイントが常にいてくれました。

スタッフの皆さんに、仕事をたくさん振りました。仕事の専門性に応じて振りましたが、必ずしもその基準だけでなく、将来性に期待して、多くの仕事を振りました。

例えば将来、薬剤師さんになる卒業生が、スタッフとして助けに来てくれました。彼はいずれ、病気快癒の願いをお薬に期待して薬局を訪れる、多くの人々と向かい合うことになります。

「俺様の出す薬じゃあ!文句言わんと、飲んどけえ!」…などと言うような仕事は、決してやらない彼ですが、そんなムチャクチャは無いにしても、期待しうる限り多くの会話をなし、コンセンサスを形成して、薬を売ってほしいものです。

ですから彼には、できるだけ多くの生徒に接し、その縁の下を支える仕事をしてもらいました。

「夜中の見回りに遅刻しないよう、ソファーで仮眠していました。」

三日目の夜、疲労困ぱい、一刻も早く布団にもぐりこみたいであろう瞬間に、彼が冷静に考えた結論です。

この瞬間、私は彼のすばらしさに脱帽し、かつて彼を教えてきたことに誇りを感じました。

ほんとうに嬉しかったです。

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鍬-夏講日記(その30)

おそらく、ほとんどあらゆる企画が出尽くした感のある合宿ですが、十年目にして新企画です。

名づけてクワガタプロジェクト。午前五時に起きて、クワガタを探しに行こう!というものです。

二日目と三日目の朝、のべ四人の若者が参集しました。

合宿所の中庭と、隣の神社と、向かいの古墳で、クワガタを探すこと小一時間、残念、今年は空振りでした。

しかしながら、明日香村の朝の新鮮な空気の、おいしいこと、おいしいこと。

クワガタはいなくても、代えがたい幸せを満喫しました。

まだ未見のクワガタくんに、感謝します。ありがとうございました。

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魔-夏講日記(その29)

今回の合宿にも、冥界の裁判官・閻魔大王がご来臨なさいました。何と今回は代替わり、「新閻魔」のご登場です。

トレードマークのコカコーラTシャツに低い声、あいかわらずの閻魔スタイルで合宿参加者を裁きました。

皆さん今回も大いに誉められ、数年前のUくんのように「明日香村から帰らんでエエ!」と叱られ、飛鳥駅のベンチで夕方まで勉強したなどという不謹慎な輩はいなかったそうです。

私も一安心でした。

「合宿で勉強するって、冥府魔道を行くようなもの」と、他愛もない戯言を言い放ったのが何回か前の合宿の夕食時でした。「ならば、閻魔大王がいてもおかしくない」と。「さっそく閻魔に電話してみよう」と(笑)。

おもしろそうなことはすぐに実行。よろしいことは、いつまでも続け、時を見て少しずつメインテナンス。

悠久の都・飛鳥京にふさわしい、新閻魔の登場でした。

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念-夏講日記(その27)

「入試に通ってほしいんですよね。親御さんとして、あたりまえの感情ですよね。」

「あたりまえどころか、日増しに強くなってまいりますでしょう。皆さん、そうおっしゃいます。」

「入試に向かって、わき目もふらず、まっすぐに、まっしぐらに…。お気持ち、痛いほどわかります。」

「はい、私には確かに、息子も娘もおりません。しかしながら、だからといって、子育てがわからないとおっしゃいますのは拙速です。」

「私に子育て経験がないように、失礼ながら、たいへん失礼ながら、親御さんにも、十万人もの生徒を指導してきた経験は、絶対にございますまい。」

「私に言わせていただけば、絵に描いた餅のようにまっしぐらな子供、現実には皆無です。」

「そんな幻想、たちの悪い都市伝説に思えます。」

「問題は、こういうことではないでしょうか。現実が理想からブレることが問題なのではなく、ブレたときに、ただ慌てふためき、有効に対処できないことこそが問題だと。」

「要諦は焦らないことです。少し立ち止まって、人間としてあるべき姿を語りかけてあげてください。決して、勉強に矮小化してはいけません。」

「どれほど時間がかかっても、これこそが万能薬です。」

入試は現世利益でしょうか、それとも普遍的な人間形成でしょうか。深くお悩みのご父母と、交わさせていただく会話です。

避けて通れない深刻な問題ですが、一朝一夕には解決しそうにありません。

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