春講日記(その12)-久方の光のどけき-

ふだんは各教室に散って仕事していますが、石川数学塾大阪の先生方は、皆仲良しです。

せっかくの機会ですから、ご紹介いたしましょうか。

まずは学園前教室と同じ奈良県内に、高の原教室があります。教室長・飯尾先生です。

どんな時も冷静に、驕(おご)らず、焦(あせ)らず、昂(たかぶ)らず。立居振る舞いが根っからダンディなナイスミドルです。

中学入試から大学入試まで、オールラウンドにこなされるスーパーマンでもあります。

次に生駒山を越えて、大阪に飛びましょう。上本町教室の中土井先生です。

重戦車の形容が似合う、ヘビー級です。人呼んで「ダンプ・中土井」。

きっと人当たりもゴリゴリかまされそうな…ご心配には及びません。実は他人の気持ちがよくわかる人情家なのです。

繊細(せんさい)にして親身な語りかけには、たいへん定評があります。胸襟(きょうきん)を開いて語り合える方です。

最後に京阪電車に乗って枚方教室へ。教室長・川添先生です。

回転の速い頭脳と、鋭い舌鋒(ぜっぽう)は、天下一品。

機関銃のような口調にも、しっかりとギャグをかませていただき、役に立つわ、楽しいわで、すぐに誰もがファンになってしまいます。

石川数学塾大阪を代表する、我らの偉大なボスでもあります。

さてさて慮(おもんばか)るに、まるで春の野に咲く百花繚乱(ひゃっかりょうらん)。互いに仲良しなだけではありません。相手のエクセレントを認め、尊敬することを厭(いと)いません。

面従腹背(めんじゅうふくはい)、蔑(さげす)みあうことばかりが多いご時世に、小生も末席お加えいただけるなら、誠に稀有(けう)なカルテット。

健全なるライバル意識と、尽きることのない連帯感を胸に、今日も一日がんばります!

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

春講日記(その11)-久方の光のどけき-

一年ぶりに e-mail のフッタを変えました。残念ながら、不評です(笑)。

ほんの少し、言い訳をさせてください。お願いします。

まずは不評なフッタから…。このようなものです。

「御真木入日子はや 御真木入日子はや 己が緒を 盗み殺せむと 後つ戸よ い行き違い 前つ戸よ い行き違い 窺はく 知らにと 御真木入日子はや」。

まず、意味不明と(笑)。こんな意味です。

「ミマキイリビコよ ミマキイリビコよ 暗殺者がお前を狙っている 正面玄関をウロウロ 勝手口をウロウロ 暗殺の機会をうかがっている おまえは気づいていないだろうと ミマキイリビコよ」。

次に、状況設定が不明と(笑)。こんな状況です。

『古事記』に曰く、大王家実質初代・崇神(すじん)大王(=ミマキイリビコ)が、大毘古(オオビコ)に命じて、北伐を開始しました。大毘古は山代(やましろ)国境の幣羅坂(ヘラザカ)にて、山代を統べる建波邇安王(タケハニヤスオウ)が崇神に謀反し、暗殺の機会を狙っているという歌を詠う不思議な少女に出会いました。大毘古は引き返し、崇神に報告ののち、建波邇安王を討滅したのでした。

小生のメールフッタは、少女が詠った歌です。

長すぎる!、メール本文よりも長いときがあるではないかと(笑)。

はい、申し訳ありません。しかしながらずっと、お気に入りの歌をフッタに据えてきましたので、小生のフッタにご立腹の皆様も、出会いがしら事故と思って諦めていただくしかありません。

最後に、まあ許してやろう、それでも何でこの歌が好きなのかと。

タケハニヤスオウは椿井大塚に葬られたといいます。JR奈良線に真っ二つにされている、巨大な前方後円墳です。卑弥呼の鏡といわれた三角縁神獣鏡が、初めて大量出土した古墳です。京都大学の小林行雄先生が、同笵鏡の流通センターと考えられたものでもあります。

おそらく実態以上に(いろいろな意味で)重く注目されてきた椿井大塚と、初期ヤマト王権を敵に回して堂々と渡り合ったであろうタケハニヤスオウ、千両役者のそろい踏みじゃありませんか。雄大なパノラマを感じますよね。

さて結局少女はナニモノだったのでしょうか。タケハニヤスオウの謀略露見が、極めて偶発的だったことを暗示しているのでしょうか。いやいや、そんなに堅苦しく考えなくても、重厚長大なドラマを軽く流すために登場した、ちょっとしたトリックスターだったのかもしれません。

『古事記』のこんな軽いフットワークが、小生大好きなのです。春の霞に思わず詠ってしまいます。「御真木入日子はや 御真木入日子はや…」。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

春講日記(その10)-久方の光のどけき

自分から「やる勉強」と、誰かに「やらされる勉強」。勉強には二種類あります。

「やる」ほうが「やらされる」よりも、絶対的に素晴らしい…とは思いませんが、あれこれ勉強現場に居るにつけ、「やる」ほうが気分が良い…とは思います。

「やらされる」皆さんは、常にレールを引いてもらわないと歩めません。歩んでいても、その歩みがきわめて他力本願ゆえ、つらくて苦しいだけで、達成感がありません。ため息ばかり吐いて、絶望の深淵へと、まっさかさまに落ちていきます。

いっぽう「やる」方々は、レールがあろうがなかろうが、決めた道を進みます。自助努力…当然、受益者負担…当然、たぶん羽交い絞めにして止めても、敵を一本背負いに投げ飛ばして進みます。多少の失敗、回り道などなんのその、不利益さえも「修行」と喜び、プラス指向150%に、ランランと生きていきます。

「やらされる」のは、見るに忍びないです。見ざるを得ないとなると、苦痛です。「やる」のは清々しいです。吸い込まれるような初春の青空を見る思いです。

好対照な二種類ですね。極めて残念なことながら、最近「やらされる」勉強が増えてきていると思うのは、はたして小生だけでしょうか。

どのみち歩まされるし、歩みたいわけでもないし、獣道は歩きたくないし、たとえ馬車馬でも舗装道路の方がいいし、なによりも急かされた方が、自己管理させられるよりも楽だし、堕落する理由は幾百万あることでしょう。

子供時代だけでなく、青年になっても、壮年になっても、老年になっても、誰かが導いてくれるなら、「やらされる」のも悪くないでしょう。現に目の前に、そんな人、いますか?

どうせ「やる」んなら、「やらされる」んと違って、自分から「やる」ねんで。できへんのやったら、「やらされる」ん待つ前に、何もかも止めえ。幸か不幸か世界第二位の経済大国に生まれたんや。止めても野垂れ死ぬことはないやろ。浮いた時間使うて、好きなことやったらエエ。どうせ一度の人生やろ。

…と、小生に諭されている隙に、どうか悟ってください。鉄槌が下る前に、生き直してください。

どうせ一度の人生だからこそ、200%の自己実現であってほしいと思っていますから。自分から「やる」人になりましょう!

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

春講日記(その9)-久方の光のどけき-

小生、関西の塾業界にデビューしたのは、某大手塾の春期講習会からでした。

一生懸命に授業した日々を、懐かしく思い出します。あれからもう、三十年です。

本社勤めから現場デビューしたての、若いボスが仕切っていた教室でした。同期の同僚も、二人いました。

「叱る」と「怒る」の区別ができずに、しっかり仕込まれました。宿題チェックした生徒のノートに、気の利いた一言が書けず、ずいぶん悩みました。

あの時に鍛えてもらった「ありがたさ」が、身にしみる歳になりました。

もがくほどに泥沼だった時期がありました。特に春は鬼門でした。

受験生送り出してすぐの春講こそ要注意。無意識のうちに、最高到達形に至った先輩受験生と、まだ半分逃げ腰の後輩受験生を比べてしまいます。

「なんや、こんなもんも、できんのか!」

冷静に考えましたら、一年前の先輩受験生も、やっぱりできなかったにちがいありません。

「人はできないから勉強する」と、毎年戒められる春でした。

たった一つで良いですから、何か願いがかなうのでしたら、まるで眠るようにすやすやと、心地よく勉強してみたいものだと、きっと誰もが思っている、そんなうららかな春の講習が、小生は大好きです。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

春期講習好評開催中です

随分と春めいて参りました。

勉学の上では、春休みは他人と差を付ける良い機会です。

特に、この春から受験生となる新高3生、新中3生で、
苦手分野を持つ人はぜひこの時期に解決しておきましょう。

夏休み、冬休みまで残しておくと、受験までの残り時間がだんだんと押し迫り、
時間的な余裕が無くなり、だんだん苦しくなって来ます。
他人よりも先んじて行動を起こすと良い結果が生まれます。

当塾の春期講習は苦手分野をピンポイントに学習することが出来、
日程・時間を自由に選ぶことや、また、お試しに1回からのご参加が可能です。

まだまだ空きがございますので、お申し込みは各教室まで。

高の原教室

学園前教室

上本町教室

枚方教室

春講日記(その8)-久方の光のどけき-

春期講習、体力つけて乗り切るには…、うまいものを食べるがいちばんです!

というわけで、おいしい洋食屋さんと、雰囲気のうまい「隠れ家」をご紹介します。

まずは、洋食屋さん。三条通の「ピノキオ」さんです。

小生いちおし、ハンバーグオムライス。デミグラスソースが食欲を誘う逸品です。

ツナと大根サラダもつけて、千円ちょっとで満腹です。

妻に聞いたところでは、パスタも「おいし~い」とか。

しっかり分煙してくれているのも嬉しいです。個人的には、完全禁煙だとなお良し(^_^)。

さて、隠れ家は、近鉄西ノ京駅すぐの「Cafe和三(わみ)」さん。

週末・祝日、日没までの営業ながら、土手にツクシを探しつつ、秋篠川沿いを散策し、唐招提寺で折り返すには、決して無視できるお店ではありません。

昭「和」の家、薬師寺 玄奘「三」蔵院の近く…、ゆえに「和三」と。

小生、まさに昭和の生き残りが、昭和のたたずまいにうごめく…、ハマりすぎていて、めまいがしてきます。

もちろん、おいしいランチを食べに行くわけでして、お勧め度、最高です。

皆さんも一度、いかがでしょうか。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

★春講日記★ -連載中-

こんにちは。石川数学塾大阪・学園前教室の杉浦です。

さっそくですが、春講日記を連載しております。冬講に引き続き、ほぼ毎日書いております。

何故このように、わざわざお伝えしているのかと申しますと、HPトップの小窓(カテゴリー・お知らせの題名のみピックしています)には表示されないように設定してあるからです。学園前教室の小窓にだけ表示されます。

カテゴリー・学園前教室をご覧になってみてください。

大阪通信休載中、書き綴っていくつもりです。お楽しみに!

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

★春講日記★ -連載中-

こんにちは。石川数学塾大阪・学園前教室の杉浦です。

さっそくですが、春講日記を連載しております。冬講に引き続き、ほぼ毎日書いております。

何故このように、わざわざお伝えしているのかと申しますと、HPトップの小窓(カテゴリー・お知らせの題名のみピックしています)には表示されないように設定してあるからです。学園前教室の小窓にだけ表示されます。

カテゴリー・学園前教室をご覧になってみてください。

大阪通信休載中、書き綴っていくつもりです。お楽しみに!

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

春講日記(その7)-久方の光のどけき-

古今和歌集の84番、紀友則です。この春講日記のタイトルにも使わせていただいております。

久方の  光のどけき  春の日に  しづ心なく  花の散るらむ

たしかに花に「心」があるのなら、「しづ心な」きがゆえに、散っていくのでしょう。

しかしながら、実態は逆ではなかろうかと思います。

「しづ心」に満ちて、だらりんと暖かくなっていく春には、花が咲かないそうです。

たまにドカンと寒くなってこそ、種の防衛本能から花は咲くのだと。「ひと花、咲かせておこう」と。

咲いてすぐに、三寒四温が止むわけでもなく、花冷えが花を急かせます。「はやく世代をつむげ」と。

思えば「しづ心な」いのは、花にあらず、花を取り巻く「外界」のあれこれなのでしょう。

落ち着いて咲き、散ろうとして散ってほしい、友則の歌に深詠みし過ぎでしょうか。

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ(細川ガラシャ・辞世)

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

春講日記(その7)-久方の光のどけき-

古今和歌集の84番、紀友則です。この春講日記のタイトルにも使わせていただいております。

久方の  光のどけき  春の日に  しづ心なく  花の散るらむ

たしかに花に「心」があるのなら、「しづ心な」きがゆえに、散っていくのでしょう。

しかしながら、実態は逆ではなかろうかと思います。

「しづ心」に満ちて、だらりんと暖かくなっていく春には、花が咲かないそうです。

たまにドカンと寒くなってこそ、種の防衛本能から花は咲くのだと。「ひと花、咲かせておこう」と。

咲いてすぐに、三寒四温が止むわけでもなく、花冷えが花を急かせます。「はやく世代をつむげ」と。

思えば「しづ心な」いのは、花にあらず、花を取り巻く「外界」のあれこれなのでしょう。

落ち着いて咲き、散ろうとして散ってほしい、友則の歌に深詠みし過ぎでしょうか。

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ(細川ガラシャ・辞世)

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