闘争-冬講日記(9)

フォークグループ「マイ・ペース」に、名曲「東京」があります。

東京へはもう何度も 行きましたね
君の住む 美し都

東京へはもう何度も 行きましたね
君が咲く 花の都

サビを聞いて10分間くらい沈黙してから、「あああぁ~、あれか!」と、思い当たる方もいらっしゃるでしょう。

「東京」が「闘争」に、替え歌が流行った時代がありました。

押しくらまんじゅうよりも温かい…と、意味不明な理由でデモに出撃していた仲間がいました。「機動隊も使いよう」だと(笑)。

我々は 闘うぞ 最後の 最後まで 闘うぞ
我々は 勝利するぞ 闘うぞ 闘うぞ 勝利するぞ 闘うぞ

これだけ言い残して、デモるのが仁義でした。流れるように叫ぶのも、歳をとると難しいです。

何をするのか?→「闘う」…
誰がするのか?→「我々」が…
いつまでするのか?→「最後まで」…
どうなるのか?→「勝利する」…

なるほどコンパクトにまとまっていますね。しかし致命的な欠落が…。

何のために「闘う」のか、わかりません。敢えて書かれてないのなら、「闘う」ことが目的なのでしょう。

永遠に闘い続けるなんて、すばらしい…と思ったのは、きっと若かりし頃の幻だったにちがいありません。

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学園前教室・杉浦

教師の資質-冬講日記(8)

100年以上も前の話です。この国が大日本帝国だったころ、臣民(国民)が憲法(大日本帝国憲法)を賜りました。

憲法発布式典、まさに当日の朝、出立を急ぐ刹那、初代文部大臣・森有礼(もりありのり・語呂合わせにて「もり(森)のゆうれい(幽霊)」)が刺殺されました。思想信条を誤解されてのことだったそうです。

薩摩の尊攘(尊皇攘夷)ボーイだった有礼が、開明派ぞろいの明六社でも群を抜いた開明派となり、約二十年にわたって最先頭を走ってきた…そんなふうに記憶しております。

有礼の高名な訓示に、教師の資質を説いたものがあります。

その一。教師は「順良」(じゅんりょう)たれ。上司にしっかり従え、ということです。

その二。教師は「信愛」(しんあい)をもて。同僚どうし仲良くしろ、ということです。

その三。教師は「威重」(いちょう)をもて。生徒に軽く見られるな、ということです。

ひとそろえ「順良、信愛、威重」と申します。

大正生まれとか、昭和戦前派、闇市世代の皆さんは、明治は遠くなりにけり…、はい、懐かしいそうです。

こんな先生、あんまりいなくなっちまったよな…と。

小生なんぞ、戦後軽口世代だったものですから、教師もしょせん木端官僚、上にへつらい、仲間と群れ、下にはとっても居丈高…と皮肉ったものです。

不思議な魔力を持った言葉です。どの世代からもひとこと刺されるのは、不完全だからでしょう。

しかしながら、どの世代も気になるから、ついついいじってしまいます。

そのことは、とりもなおさず、この言葉の普遍性なり、高邁な真理であることなり、その本質を示唆するものでもありましょう。

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ごんじゅごんじゅ-冬講日記(7)

寒くなってきました。ボタッと重ね着してしまいます。

エリが曲がっていたり、すそがビロビロ出ていたり、右と左の靴下が違っていたり…と、この程度は、生来意に介さない性分でしたので、しばしばおふくろに叱られました。

「そんな格好してると、ごんじゅごんじゅになるよ!」

生まれて五十年以上たった今でも、この言葉に深い謎を感じます。

おふくろに何度となく聞いてみたら、あらかたこんなことがわかりました。

「ごんじゅごんじゅ」という生き物は、おふくろが生まれ育った奥三河の実家付近、ごくごく狭いコミュニティでのみ認識を共有されていたもので、恐ろしくみすぼらしいものだったそうです。

毎日の生活にメリハリが効いていないと、人は容易に「ごんじゅごんじゅ」に堕ち、努力如何によっては、再び「ごんじゅごんじゅ」を脱することができるのだそうです。

なによりもこの生態を知る人々が、高齢化著しく、もはやまともに伝承されているとは考えづらく、ほとんどおふくろの空想生物になり果てつつあるようです。

ですから、おさなごころにも「ごんじゅごんじゅ」を恐れて、市井を丹念に見渡し、もしや今すれ違った人が、実は「ごんじゅごんじゅ」ではあるまいか?…などと、猜疑心無限大に居住まいを正していた幼い頃が懐かしいです。

大人になってみてわかったこと。

「ごんじゅごんじゅ」は自堕落の別称でした。誰の心にも住んでいて、ある日突然出現しますから、死ぬまで注意怠りなく生きていこうと思います。

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冬講日記、いかがですか?

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

今年も冬講日記、書いています。

昨年に比べると、静かな出足ですね…と、ご感想をいただきました。

そうですね。ノラリクラリと、ボクトツな…、燃え盛って「熱い冬」ではないけれど、心の底から温まる「熱い冬」を目指します。

ご覧になってみてください。

冬講第一週の記事です。

天空の食卓-冬講日記(1)
ヤマトを歩く-冬講日記(2)
こむらがえり-冬講日記(3)
アフリカの猿-冬講日記(4)
大人思考-冬講日記(5)
実況中継-冬講日記(6)

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学園前教室長・杉浦

実況中継-冬講日記(6)

「どんな授業、してはるんですか?」という疑問に、お答えします。

「これ、何ですか?」と、生徒が指示した写真の中央に「円筒埴輪」がありました。

円柱形の埴輪だね。円柱は算数の立体図形で勉強するね。埴輪は古墳時代の焼き物だな。真ん中がスコーンと抜けているから、注意しておいてね。

(ツボと器台を描きながら…)

器台はツボの安定台だね。ツボにはお酒がナミナミと入っていたのかな。おいしそうだね。ツボと器台のセットなら、生活空間どこにでもあったんだ。

(特殊ツボと特殊器台を描きながら…)

口の部分に大きな縁取りの特殊ツボ、それを置いておくために、背丈が伸びた特殊器台、このセットはもっぱら発生期の古墳に置かれた。驚いたことに、ツボの底にはわざわざ穴があけられている。こうなるとお酒サーバーにはならないね。生きているヒトにとってはね。

置かれたところが古墳だったね。古墳は古代のお墓だ。死者を祀り、神を祀るところだ。特殊ツボには、死者や神の飲み物が入っていたのかもしれないね。

(特殊器台型埴輪を描きながら…)

どうせ底に穴を開けるなら、特殊ツボの底は不必要だ。底が無くなって、ツボと器台が一体化したものを特殊器台型埴輪というんだ。外見、もうほとんど、円筒埴輪と大差ないだろう。

奈良県桜井市のメスリ山古墳には、高さ6mの円筒埴輪が立てられていた。これほどじゃないにしても、円筒埴輪は太くて大きなことが多い。古墳は盛り土だから、崩れてくるかもしれない。埴輪を立てて、崩落防止してたのかもしれないね。

特殊壺・特殊器台

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大人思考-冬講日記(5)

聞屋(ぶんや・新聞屋のことです・いちおう記事を書くほうです)だった親父が、常日頃よくつぶやいておりました。

「世の中、難しいことだらけ。難しいことを、そのまま難しく言うのが、お子様。難しいことをかみ砕いて、簡単に言うのが大人。」

かみ砕かなぁ、あかんのか?大人は難しいことしよる…と思っていましたのが、まだ「お子様」だった小生です。

時が過ぎ、大人のハシクレくらいには到達したかもしれない自身を省みるに、あまりの単純明快思考に気づき、正直茫然とすることがあります。

「勉強は言われてするモンと違う。経済大国・ニッポン、勉強せんでも餓死することはない。勉強せなデキン仕事が、デキンだけだ。諦められるなら、それでよし」。

あわてて勉強し始める生徒、多いです。

「己を律せられるのは、己のみ。言われてするのは、恥ずかしい。万が一、恥ずべき行いをしたのなら、潔く腹を切れ」。

あわてて居住まいを正す生徒、多いです。

親父は、こんなことも言っていました。なるほど…と思える歳になったのかも知れません。

「最も単純なことが、最も正しいことだ。」

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アフリカの猿-冬講日記(4)

一ヶ月ほど前です。目が異常に充血していましたから、駅前の「め」医者さんに診てもらいました。

「はいはい、角膜ヘルペスでしょうね。充血止めと軟膏と…、5日経ったら、また来てね。」

証拠のポラロイドをいただいて、お薬どっさりいただいて、眼帯までいただいて帰ってきました。

「め」医者さんが、味なことをおっしゃいました。

「人類って、アフリカのお猿さんだったんですよね。スクッと立ち上がって進化しちゃったけれど、もともと暑いところにいた動物ですもんね。寒くなってくると、寒いだけでストレスですよね。」

なるほど、ご慧眼。人類の発生を、こんなふうに解釈したことはありませんでした。寒くなり始めた晩秋、元猿が感じるストレスたるや、いかばかりか。季節の変わりめに、疲れていると発生するヘルペス、なんだか思い当たることがずいぶんでした。

さて「め」のことですが、何のこっちゃ?と思われましたら、大宮通り(阪奈道路)を東進、左折したら新大宮駅ってあたりで、右手の看板群をご覧ください。ご納得いただけると思います。

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こむらがえり-冬講日記(3)

歩くようになってから、腰痛解消、絶好調な小生ですが、唯一難点があります。こむらがえりが、激しくなりました。

ほんわかと眠っている時分に起きます。深い眠りに落ちていると、起きません。浅すぎても起きません。原因は悪霊でしょうか(笑)。

どうやら筋肉がつっているだけらしいです。それにしても、痛いですよね。

いろいろ試してみたのですが、「一週間に一度だけ、むちゃくちゃ運動するのがいけない」と言われてみたところで、仕事を引退しない限り、矯正するのは無理です。次善の策として、偶然発見しましたのが、「痛くなり始めたら、スックと立ち上がって、痛い方の足で立つ」というものです。「毒を以て毒を制す」ですか(笑)。

効果てきめん。この文章を書いている五時間前にも発症しましたが、何事もなく治りました。

ひたすら痛みに耐えている皆さん、いちどお試しあれ。

…と、書こうと思っているんだけど…、妻に相談しましたら、「コブラがえりでしょ、コブラが鎌首を持ち上げるように、筋肉がねじれて痛いよね」…だそうで、なんだか肩の荷がおりました(笑)。

「さっきまで寝てたのに、急に立ち上がれるなんて、神技(かみわざ)特効薬!」だそうです。

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ヤマトを歩く-冬講日記(2)

橿原考古学研究所附属博物館の発掘速報に「大和を掘る」があります。毎年楽しみに、小生も観に行きます。

「掘る」のもたいへん興味深いですが、小生歩いております。けっこう熱心に歩いております。自分で言うのも、妙なものですが…、熱心です。

歩いたら腰痛が治ったからです。これはまちがいありません。

歩くといろいろな人に出会えるからです。これもまちがいありません。

桜井市の寺川沿いに歩いて行ったとき…、もう三年くらい前でしょうか。倉橋池のほとり、赤坂天王山古墳を見に行きました。崇峻大王の真陵でしょう。多くの考古学者に同意です。

閉塞石が外れて、頭一つ入る穴が開いています。頭が入れば、全身入るにちがいありません。頭を入れてみたところ…、顔が大きなバッタが、小生の顔にアタックしてきました。カマドウマというそうです。

気を取り直してもう一度。こんどは何やら天井からぶら下がって、小生を睨むモノがいました。眼光鋭く、こちらを…、ヘビでした。驚かせて退散していただき…、今度こそと思いきや。

顔が出てきました。人間の顔です。どうやら先客がいらっしゃったようです。

羨道の奥には玄室があり、無惨にも盗掘口を開けられた家形石棺が安置されているはずです。「貢物のイノシシのように、蘇我馬子の首を切り落としたいものだ」とつぶやいて、馬子に聞きとがめられ、刺殺されてしまった大王が、永久の眠りについていらっしゃいます。

「静かに眠らせといてくれ」。崇峻大王に、たしなめられた気がしました。

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師走

いよいよ今日から12月に入り、今年も残すところ後1ヶ月となりました。

ついこの間、新年を迎え、暑い夏が過ぎたと思えば、
もう今年も過ぎ去ろうとしています。

年々時の流れが速くなっていくのを身にしみて感じます。^_^;

それはさておき、このところ、冬期講習のご案内をさせていただいておりますが、
早々のお問い合わせ、お申し込みを頂戴しており、誠にありがたく存じます。

各教室とも、お受け入れ態勢を整えてお待ちしておりますので、是非とも宜しくご検討下さい。

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