造る喜び-春講日記(10)

日々、造っております。

全世界的規模で、破壊活動かまびすしい昨今、時流に反しております。

小さなものから、大きなものまで、差別も区別もなく、造っております。

ところで、必要なものが目の前に無いとき、人はどうするのでしょうか。

1)自分で造る

2)誰かに造らせる、あるいは誰かが造ったものを持ってくる

3)あきらめる

つべこべ言わんと、自分で造るんが速い…、小生、そう思う類です。

教材が無ければ、自分で造ります。

カリキュラムが無くても、造出します。

解説ノートも自分で造ります。

理想の勉強生活も、自分で造り出します。

お仕事だけではありません。

てくてくコースを微妙に変えて、気になる古墳も微妙に変わって、不変でないからおもしろいです。

そういえば4世紀末以降、前方後円墳にも「造出」(つくりだし)が備わります。

墳墓としての後円部と、祭祀エリアとしての前方部が、機能区画を分けて成立した前方後円墳。

いつしか前方部にも埋葬施設を備えはじめ、祭祀はくびれ部にはみ出した造出で行うようになりました。

盾列古墳群のウワナベ古墳(陵墓参考地)は、5世紀半ばの巨大前方後円墳ですが、周濠水位が低下した時に、まるで白砂を敷きつめような造出が見えてきます。

葺石を葺かれた墳丘とは、まるで違う空間です。

古代、古墳造営を担った土師たちも、造る喜びを、きっと満身に感じていたことでしょう。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

禁断の問い-春講日記(9)

安易に口に出すことを憚るべき問い…が、あります。

「憚るべき」であるにもかかわらず、憚られてないばかりか、そんなことは一顧だにされていないのが、現状かもしれません。

どんな問いでしょうか。

「どうすれば、できるようになりますか?」

これです。

一見奇異に感じられるかもしれません。日常的に発問しています、と。

勘違いなさらないでください。あくまでも「安易」な発問を戒めています。

炎のような熱意と、尽きることのない努力、しかるに万策尽きて、先達に問うのは、大いに結構。勉強とは、そうありたいものです。

しかしながら、この前提が無いままに、いたずらに煩を避け、それこそ安易に陥ろうとするなら、単に無益でありましょう。

まして、本質論をないがしろにし、方法論に矮小化しようなど、怠惰以外の何物でもないでしょう。

あらゆる問いに、問うている主体が見え隠れします。

愚直なまでにまっすぐな主体にこそ、問うべき権利があるのです。

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禁断の問い-春講日記(9)

安易に口に出すことを憚るべき問い…が、あります。

「憚るべき」であるにもかかわらず、憚られてないばかりか、そんなことは一顧だにされていないのが、現状かもしれません。

どんな問いでしょうか。

「どうすれば、できるようになりますか?」

これです。

一見奇異に感じられるかもしれません。日常的に発問しています、と。

勘違いなさらないでください。あくまでも「安易」な発問を戒めています。

炎のような熱意と、尽きることのない努力、しかるに万策尽きて、先達に問うのは、大いに結構。勉強とは、そうありたいものです。

しかしながら、この前提が無いままに、いたずらに煩を避け、それこそ安易に陥ろうとするなら、単に無益でありましょう。

まして、本質論をないがしろにし、方法論に矮小化しようなど、怠惰以外の何物でもないでしょう。

あらゆる問いに、問うている主体が見え隠れします。

愚直なまでにまっすぐな主体にこそ、問うべき権利があるのです。

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泰然自若-春講日記(8)

小生、受験結果に動じません。

良い結果に狂喜乱舞することもなければ、悪い結果に意気消沈することもありません。

泰然自若としております。

どうでもいいことだから…ではありません。内心、ハラハラドキドキしています。

しかしながら、しょせん一喜一憂と、達観もしています。

なんとならば、人間は一生懸命がんばることしかできないからです。

それで十分?いえいえ、合否の瞬間こそが神の配剤、まさしく勝利の女神の気まぐれなのです。

人間たるもの、なんぼなんぼ頑張っても、神の領域を侵すことはできません。

だからこそ人間として、できうる限りのがんばりを評価したいと思います。

怪力乱神まで思い通りにする、そんな必要は無いと考えるのです。

それゆえ結果に動じません。…が、努力を至宝と評価します。

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泰然自若-春講日記(8)

小生、受験結果に動じません。

良い結果に狂喜乱舞することもなければ、悪い結果に意気消沈することもありません。

泰然自若としております。

どうでもいいことだから…ではありません。内心、ハラハラドキドキしています。

しかしながら、しょせん一喜一憂と、達観もしています。

なんとならば、人間は一生懸命がんばることしかできないからです。

それで十分?いえいえ、合否の瞬間こそが神の配剤、まさしく勝利の女神の気まぐれなのです。

人間たるもの、なんぼなんぼ頑張っても、神の領域を侵すことはできません。

だからこそ人間として、できうる限りのがんばりを評価したいと思います。

怪力乱神まで思い通りにする、そんな必要は無いと考えるのです。

それゆえ結果に動じません。…が、努力を至宝と評価します。

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てくてく-春講日記(7)

久しぶりに高取山に登ってきました。高取城跡です。

奥飛鳥・栢森の雌綱横から、ずんずんと進んでいきます。

登りばかりで、下りがありません。比高差400mを、一気に登ります。

崩れた石垣が見えてきたら、もう既に城域です。…が、ここからが長いです(笑)。

さすが、西国監視の拠点、禁裏が武士団を扇動して東国を目指しても、この城をおいそれと通過できませんね。城から一気に下られて、殲滅されます。

かといって、攻めるにしても、登るだけで大変です。

徳川三百年を通して、譜代・植村一族が守りました。

大手道が大きく右カーブ→左カーブで本丸へ。どんな城でも、大手道が曲がるときは、必ずこんな具合です。

なんでかな?…と、ガイドさんを頼むと必ず聞かれます。

ヒントは、弓とか槍とか、およそ武士の武器たるもの、右手を利き腕に扱うことです。

そうですね。大手道を曲がると、攻める側が守備隊に対して、左正面になりますでしょ。これでは武器が使えません。

その間に守備隊が攻撃すると、…こんなわけですね。

ともあれ、明治20年ごろまで、破却もされずに建っていたという高取城、あまりの湿気に自然と朽ち果てたと言われています。

総歩数33000歩、総距離26km、運動不足解消な一日でした。

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学園前教室・杉浦

春講日記、書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

春講日記、書き始めました。

季節講習のたびに、気楽に読んでいただけるエッセーをお送りするつもりなのですが、いかんせん、四角四面の脳ミソなものですから、いつも堅苦しくなってしまうのかもしれません。

お叱り覚悟のうえですが、やはり書きたいことを思う存分書くことに如くは無く、ひとえにご寛恕賜りますよう、伏してお願い申し上げます。

…なんと、言い回しが、すでに堅苦しいと!申したハナから、失礼しました。下記にてお会いいたしましょう。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

春講第一週の記事です。

踏破-春講日記(1)
職人-春講日記(2)
天才-春講日記(3)
S拾遺物語-春講日記(4)
卑弥呼以死-春講日記(5)
続S拾遺物語-春講日記(6)

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学園前教室長・杉浦

続S拾遺物語-春講日記(6)

Sさんの放談会が、快調なようです。今回は銀幕談義だとか。

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Sさん、けっこうな頻度で、映画観てらっしゃるそうじゃないですか?

「そうだな。最近だと、中島みゆき・『橋の下のアルカディア』、広末涼子・『はなちゃんのみそ汁』、佐藤浩市・『起終点駅 ターミナル』あたりかな。」

昔からでしたっけ?

「いや、ゴジラ対メカゴジラから、何十年も観てなかった(笑)。」

邦画ばっかり?

「ちと、河瀬直美さんにハマってな。直近モン、樹木希林・『あん』は、よかったね。『殯(もがり)の森』?『朱花(はねづ)の月』?、ハマり始めたのが、あの頃。宿命とか、輪廻とか、何やら得体の知れんモンが、見え隠れするやろ。元哲学青年にピッタリやね(笑)。」

しばらく遠くの劇場で観てらしたとか。草津って、ほんとですか?

「はい。ほんとです。他意は無いんだが、ワシ、映画観てて、よく泣くんよ。涙と鼻水とヨダレが止まらんくなって、巨大な濁流と化す(笑)。現場見たら、驚くで。恥ずかしいから、まわりじゅう、誰も知り合いのおらんところで観てた。」

意外ですね。ナントカの目にも涙?

「その憎まれ口にも慣れたよ。純真な万年青年と呼んでくれ。」

でも、わかるような気がします。中島みゆきのアルカディアは、Sさんにとっても理想郷でしょ。みそ汁とターミナルは、人情モン、河瀬さんは哲学モン、そう考えると一徹ですね。

「あん」で、ちょっと変わってしまわれたのかな、河瀬さんは。

「そうかもしれん。メジャーベースに乗せて、大衆社会に問う映画やし。むべなるかな。」

歩いて、掘って、読んで、書いて、観て…、Sさん、おつかれさまです。

「好きなことしかしてへんけど(笑)。世の中、好きなことだらけで、最高に幸せやね。感謝!」

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くりかえしますが、あくまでもフィクションです。

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卑弥呼以死-春講日記(5)

「卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人」(三国志魏志東夷伝倭人条、いわゆる『魏志倭人伝』)

ずっと気になっていたフレーズであります。こんなふうに書き下します。

「卑弥呼、以って死す。大いなる冢(ちょう)を作る。径、百余歩。殉葬(じゅんそう)さるる者、奴婢(ぬひ)百余人。」

書き下しただけでは、わからないですね。こんな意味です。

「そうしたわけで、卑弥呼が死んだ。大きな古墳を造った。直径が百歩あまりの長さだ。奴隷、百人ほどが殉死させられた。」

謎の女王・卑弥呼が君臨する邪馬台国に、何か重大な事態が惹起して、女王が死んでしまった…と読めます。

重大な出来事とは、男王・卑弥弓呼(ひみくく)に率いられた狗奴国(くなこく)との戦争であったようです。

時は三世紀のほぼド真ん中、吉備(岡山県)をはじめとする瀬戸内勢力に支えられた邪馬台国連合が畿内を制圧し、越(こし・北陸)から伊勢湾岸に防衛線を引いた狗奴国と対峙しました。

邪馬台国に戦局利あらず、魏の皇帝に請うた援軍要請もむなしく、女王は戦死し、瀬戸内勢力は後退したのでしょう。

狗奴国は軍事的に勝利し、邪馬台国連合を牛耳るために、畿内に乗り込みました。政権勢力の交代があるかと思われました。

果たして交代があったのでしょうか、無かったのでしょうか、事実をして語らしめましょう。

三世紀後半、邪馬台国が二代目女王・壹與(いよ)を戴いた時代、狗奴国の墓制である前方後方墳や、伊勢湾岸地域に特徴的なS字口縁脚台付甕が、畿内に爆発的に増えていきます。軍事的に勝利した狗奴国の余勢を感じます。

しかしながら四世紀前半、初期ヤマト王権が採用した墓制は、冨と権力を象徴する巨大な前方後円墳でした。狗奴国の政治的敗北を、感じざるをえません。

もしかすると、政治と祭祀が全く未分化なこの時代にあって、狗奴国は宗教的権威を飾りたてることに、あまりに無頓着であったのかもしれません。

卑弥呼の死を語ることは、「もう一つの邪馬台国」を語ること、小生、そんなロマンに浸りたい今日この頃です。

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S拾遺物語-春講日記(4)

大阪通信80に書きました「Sさん小話」が好評だったそうです。

少し遺漏を拾ってみましょう。舞台はレイの「B」ですね。「ビー」じゃなくて「ベー」のほうです。

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Sさん、学者始めたのも、偶然でしたっけ?

「そうだな。反社会的生活やめて(笑)、お天道様に顔向けし始めたころ。」

たしかお師匠さんのゼミに出かけて、「おい、新入り!急ぎでないんなら、ちょっと聞いてけや」って。新喜劇みたいなもんですか?

「そうだな。大先輩のNさんが、紀要論文、発表する日やったわ。」

「ワシントン体制と教育って。何かのまちがいやろ、さあ帰ろ!って思ったね。」

よく踏みとどまりましたね。帰る元気もなかったんですか?

「こら、失礼なこと、ぬかすな!」

「元気ハツラツやったわ。…ワシントン条約のこと、思い出しとってん。日本史の教科書に書いたった。第一次大戦後、ヴァイマール体制、ガラス細工の平和、軍事力=海軍力=大鑑巨砲主義、戦勝主要国の主力艦保有数制限=平和の枠組み…なる虚妄…。」

「革命の危機、ドイツ社会民主党左派、カール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルク…云々、云々。」

なんだか、とてつもなく偏った知識ですね。

「うん、でも、思い出し始めたら、動けんようになった。やっぱり、ワシントン体制が、教育と関係してるとは思えんかった。」

ところが…。

「最後の転・結で、大どんでん返しがあってな、密接に関係するどころか、十五年戦争の起点といっても良かった。」

「驚いた。陸軍軍縮のことを知らなかった。軍部の意図を浅読みしていた。浅学を思い知った。初めて、研究したい!と思ったな。」

Sさん、受験勉強しといて、よかったですね。ワシントン条約って知らなかったら、すぐに席を立っていたでしょ。イラチなあなたのことですし(笑)。

「そうだな。若いもんにも、言いたいな。勉強、鍛えられとけと。きっといつか、役に立つと。」

Sさん、今回も、行き当たりばったりな人生でしたね。運がいいんだか、悪いんだか(笑)。

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あくまでもフィクションです。おまちがい無きよう。

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