ストリートファイト-夏講日記(その7)

毎日夕刻以降、合宿スタイルで授業しています。

白いワイシャツにスラックス、クールビズといっても、せいぜいノーネクタイ…が、夏の授業スタイル・フォーマル版です。

合宿スタイルは、言うならばスーパークールビズ、Tシャツにデニムか半ズボンですね。

暑い暑い明日香村のお盆に適応し、涼しいばかりか動きやすく、汗でぬれたら着替えやすい、そんなスタイルです。

冷房も抑えめ設定で、地球にやさしいですし、関節が痛くなるエアコン病を回避できます。

洗濯ものが多少増えますが、この季節、大量に干しておいても、すぐに乾きますね。

授業がストリートファイトになったみたいです。

何かといいことだらけですと、勉強もはかどります。

学園前教室は、入り口側の廊下窓越しに教室内を覗けますから、夕刻以降、一度ご覧になってみてください。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

夏講日記、書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

夏講日記、書いています。

第一週からいきなり、梅雨明け直前の空の重みに数倍する重々しい語り口かもしれません(笑)。

以下のリンクから、たどってみてください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

夏講第一週の記事です。

なまもの-夏講日記(その1)
巻きもの-夏講日記(その2)
はなばな-夏講日記(その3)
フッタ-夏講日記(その4)
仁義-夏講日記(その5)
決起-夏講日記(その6)

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学園前教室長・杉浦

決起-夏講日記(その6)

何度でも立ち上がる男でした。不死鳥とも、不沈艦とも。

男自身は自分自身を「銅鐸」と呼んでいました。銅鐸は五穀豊穣のシンボルとして、春先に掘り出され、田畑の祀りに使われました。収穫が終わると、田畑を見下ろす山の斜面に、きれいに並べて埋められました。葬られたわけです。

銅鐸は「死と再生」のシンボルでした。男も「何度死んでも、何度でも生まれ変わって、志を貫徹したい」と願っていました。

男が尊崇する吉田松陰先生は、政治結社「松下村塾」を率いた革命家であったと、男に評されました。

時は幕末、ペリー艦隊、いわゆる黒船が襲来した際、「攘夷」と叫ぶことしかできない攘夷派を尻目に、なんと黒船に乗せてもらい、敵の懐に飛び込む戦術を採った者こそ、松陰先生でした。

鎖国の国禁を侵す、大胆な行動です。

ペリーはこれを許さず、松陰先生が自首、連行、投獄される途中に詠んだのが、あの有名な、そして今回のモティーフたる歌です。

かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂

こうすりゃ、ああなると、わかっちゃいるが、どうにもならねぇ、大和魂…口語で歌うと、こんなものです(笑)。

もうそろそろ、やめときゃいいのに立ち上がる、男の人生そのものではないですか。何とも憎めないですね。

男の名前は「杉浦」と申します。この夏も学園前教室に、闘いの狼煙を上げました。

同志諸君!最後の、最後まで、戦い抜こうではありませんか!

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学園前教室・杉浦

がんばれ!高校生

連日、高校野球の地方大会の結果をニュースで目にする事が多くなりました。
大阪では、この夏限りで休部する伝統あるPL学園が敗れ、
いったん輝かしい歴史に幕を閉じるとのこと。
また、西東京では、昨夏話題をさらった早稲田実業の
清宮幸太郎選手が活躍中であるとのこと。
様々な話題がありますが、この夏も興味の尽きない所ですね。

 

かく言う私も、学生の頃は一時期、野球をかじっていて、
甲子園を目指そう!と思っていた節があるのですが、
わが母校(高校)には硬式野球部が無いことに気づき、がっかりしたものです。(笑)
当教室にも、甲子園を目指す高校球児が勉強を習いに通ってくれていますし、
今までにも何人か来てくれていました。
クラブと勉強の両立は時間的な制約もあり、大変なことだとは思いますが、
一度きりしか無い人生、非常に貴重な経験が出来てうらやましい限りです。
まして、甲子園で野球が出来ることが目標だなんて、何て素晴らしいことなんでしょう!
ともかく、全ての高校生に、悔い無き夏を過ごして欲しいものです。

仁義-夏講日記(その5)

ふだん忘却の彼方にあるのに、いったん思い出すと気になってしかたないこと、誰にでもあると思います。

「安田講堂」と書いた昨日から、処々昔日の記憶にとらわれています。自書しておきながら、縛られて、自縄自縛とは、このことでしょうか。

「封鎖」の「ふ」の字も無くリニューアルされてしまった現況と、下階から順番に封鎖解除されていったフロアの火の海が、果たして同じ空間なのだろうかと思われて、昔日のほとばしる思いが、昨日のことのように、思い出されはしませんか。

屋上でインターを合唱した仲間が囚われ、最後まで振られていた「社学同」の赤旗が降ろされた時、攻めた側も守った側も、互いの陣営に、図らずも出てしまった重傷者を思いやったといいます。

逮捕された学生の後事を慮る機動隊員と、幾度となく炎上しながらも果敢に攻め続け、ついに本丸を陥落させた機動隊員を、敵ながらあっぱれと称える学生たち。

帝大解体などと、およそ虚妄なスローガンからは見えてこない、互いの緊張関係によってのみ切りあえる仁義が、そこにはあったと言えないでしょうか。

すばらしいですね。

男が「大好き」といってやまない、歴史のピンポイントであります。

安田講堂は「解放講堂」と呼ばれ、そこには「解放放送」が流されていたと言います。最後の解放放送は、こう結ばれたそうです。

「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、一時この放送を中止します。」

男は寡聞にして、時計台放送が再開されたことを、聞いたことがないそうです。

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学園前教室・杉浦

フッタ-夏講日記(その4)

男のメールフッタは、不評でした。長かったのです。

何が書いてあったのかと言いますと、実在をほぼ疑われない大王初代・崇神を暗殺しようとする企みが、山背の武埴安彦によって練られました。諸国鎮撫に向かった四道将軍の一人・大彦が、和邇坂を越えようとしたとき、企てを暴露する歌を詠う不思議な少女に出会いました。大彦は取って返し、崇神の指示を仰ぎ、武埴安彦を討滅したのでした。

この少女が詠った歌、「ミマキイリヒコはや。ミマキイリヒコはや。…」、この歌の美しさにグラッときまして、フッタに使わせてもらったのですが、本文よりも長いことがあると、苦笑やら、お叱りやら、ずいぶん物議をかもしたわけです。

そんなわけで、男はフッタを代えました。

「連帯を求めて 孤立を恐れず 力及ばずして 倒れることを辞さないが 力尽くさずして 挫けることを拒否する」。

安田講堂に大書されていたスローガンですね。

闘えぃ!負けるんは、しゃあないが、闘わんと、逃げるな!たった一人でも、闘えぃ!…と。

少しは短くなりましたでしょうか。あまり変わってないのかもしれません(笑)。

それはそうと、安田講堂から、もうすぐ半世紀ですか。攻防戦の前日、大講堂のグランドピアノが、きれいな「インターナショナル」を奏でていたと聞いたことがあります。投石を運ぶ学生たちも、盾の壁を徐々に詰める機動隊員たちも、思わず聞き惚れたとか。

あの日が遠くなったようで、男は苦いコーヒーを、一気に流し込みました。

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はなばな-夏講日記(その3)

花を愛でる男でした。男伊達に華でもあれば…と、そんなに都合よくなかったようですが(笑)。

6月下旬の誕生日前後、毎年、紫陽花に目がありませんでした。

今年は那羅山プロジェクトさんのBC付近と、明日香村柏森に、みごとな赤紫を見つけ、ご満悦のご様子でした。

毎日でも会いに行きたいらしく、雨が降ろうが、風が吹こうが、猛暑であろうが、テクテクと。

那羅山といえば、どんぐり広場。みごとな白梅の奥に、今が満開の合歓木を見つけました。これまたみごとなものです。なかなかお目にかかれません。

お目にかかれないといいますと、120年に一度ともいわれる竹の開花、見たことがなかったので「なんだろう?」と時が過ぎ、竹の花だと、めったに咲かないのだと、咲いたら竹やぶが全滅するのだと、知るにつけ驚きこのうえありませんでした。

総延長距離15kmも、山中をさまよっていますと、どこで見たのか、記憶もあいまいで、幻ならば夢で逢いたいものだと、いつのまにか闘う青年も、魅惑の中年になり果てたのかもしれません。

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巻きもの-夏講日記(その2)

しばしば「巻きもの」について語った男でした。宮澤賢治の「雨ニモマケズ」、薄汚れた茶色い紙に、書き殴ったような鉛筆跡です。

男は「真筆だ!」と言います。箱書きが証拠になるようでもありませんし、今一つ根拠薄弱なのですが。

男の義理のおじいさんの遺品だったそうです。義理のおじいさんは、満鉄の社員だった、すなわち大日本帝国のスパイだったと。

関東軍の参謀であった石原莞爾が、賢治と法華経のつながりで、借金王であった賢治が無心の質に差し出したと。

石原は満州事変を起こしたのち、巻きものを満鉄に預けて帰国したと。

なんともかんとも、よどみない説明過ぎて、なんとも眉唾な話であります。

「ロマンも込みで、骨董だ!」と。

男の口先には、何か憎めないモノを感じてしまいます。

なお、巻きものは学園前教室に飾られております(^_^)。

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なまもの-夏講日記(その1)

男は怒っておりました。半世紀に渡って、怒り続けておりました。

「砦」が陥落して、はや半世紀。砦が無くとも、持ちこたえたことを誇りに思う反面、日々確実に狭まってくる包囲網に、焦燥を隠しきれなかったのでしょう。

一億挙げてファシズムの時代、男が理想とした寄るべは、小さな小さな経済誌でした。『東洋経済新報』といいました。

国際紛争を軍事力で解決することが「あたりまえ」だったあの時代、のちに戦後我が国の首班を務める主筆が「貿易立国」を提唱しました。

「拙速はイカン。知恵を絞らねばイカン。平和は尊い。どれほど豊かな未来を約束しようが、平和に対する挑戦を許さん!」

主筆の口癖が、いつのまにか、男に乗り移っていました。

男にとって現世を呪うことは、「やむにやまれぬ」至誠に根ざすものだったにちがいありません。

男はまだまだ生腐っております。

一敗地にまみれ、しばらく冷蔵庫で頭を冷やし、もう幾たびかの復活を果たすまで、雌伏することでしょう。

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【高の原教室】夏期講習情報

連日、蒸し暑い日が続いていますが、体調など崩されていませんか?
さて、いよいよ約1週間後、夏期講習がスタートします。
連日多数の当塾へのお問い合わせ、お申し込みありがとうございます。

まだまだ申し込み受け付けておりますので、是非ともご参加下さい。
もちろん期間の途中からでも申し込み可能です。
また、時間帯は夜の部よりも午前の部、午後の部が空いていてオススメです。

私にとって、日々の鍛錬は、この長い過酷な夏期講習を乗り切るためと
言っても過言ではありません。頑張って参ります。
生徒の皆さんも頑張ってください。