通知表について(新中1、中2生必読!)

こんにちは、奈良・高の原教室の飯尾です。
本日は終業式の学校が多かったのではないでしょうか?
その際、通知表もいただいている事と思います。

この通知表ですが、その点数だけを見て、
前よりも上がった・・・(^^♪、下がった・・・(^^;)等々、
一喜一憂して終わっている人も多いかもしれません。
この通知表の数字が今後どのように扱われるか、ご存じでしょうか?
公立の高校入試では通知表の数字が調査書(内申書)として評価されます。

詳しい内容は、この場では割愛いたしますが、
奈良県は主に、学力検査(試験当日の点数):調査書成績=2:1程度
であることに対し、
京都府は主に、学力検査(試験当日の点数):調査書成績=1:1程度

また、調査書成績は
奈良県は中2と中3での成績が1:2で、
京都府は中1の成績から、評価されることにご注意下さい。

この様に、通知表は、その学年・学期ごとの単なる評価ではなく、
入試に繋がる大事なものなのです。

この春、新学年になられる方(特に奈良県の新中2生、京都府の新中1生)は、
この1学期からの成績が入試に直結する事を忘れないで下さいね。

導-春講日記(11)

教える側にも、こんな人がいます。

「きみは一生懸命生きてきたかい?一生懸命生きることは、大事なことだよね。」

「きみは将来、何をしたいんだね?人生目標を持つことは、大事なことだよね。」

「きみは自信を持って生きているかい?なにはともあれ、自信を持とうじゃないか。」

まちがった指導ではないと思います。が、正しくもないです。

「こんな人」は、正しく生きることを教えています。ですから、まちがっていません。

しかしながら、己を語っていません。語っていないどころか、絶対安全地帯に避難したまま、対岸の火事を傍観しているといわれても仕方ありません。ですから、正しくないです。

小生はこんなことを語るときに、小生自身が何を一生懸命やり、残された人生の目標を何に設定し、なぜ自信を持って語っているのか、そのことを話すことにしています。

あまりに突拍子もないらしくて、皆さん大笑いされますが、一向に意に介しません。

どう生きるべきか語る人が、実際如何に生きているのか、その姿を「撰」びました…そう言っていただけることが、うれしいです。

余談です。仕事をしっかりやっているのは、あたりまえであって、自慢にはなりません。では、何を…?

興味、関心、お持ちの方は、講習期間を除いて毎週発行しています「大阪通信」をご覧あれ。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

導-春講日記(11)

教える側にも、こんな人がいます。

「きみは一生懸命生きてきたかい?一生懸命生きることは、大事なことだよね。」

「きみは将来、何をしたいんだね?人生目標を持つことは、大事なことだよね。」

「きみは自信を持って生きているかい?なにはともあれ、自信を持とうじゃないか。」

まちがった指導ではないと思います。が、正しくもないです。

「こんな人」は、正しく生きることを教えています。ですから、まちがっていません。

しかしながら、己を語っていません。語っていないどころか、絶対安全地帯に避難したまま、対岸の火事を傍観しているといわれても仕方ありません。ですから、正しくないです。

小生はこんなことを語るときに、小生自身が何を一生懸命やり、残された人生の目標を何に設定し、なぜ自信を持って語っているのか、そのことを話すことにしています。

あまりに突拍子もないらしくて、皆さん大笑いされますが、一向に意に介しません。

どう生きるべきか語る人が、実際如何に生きているのか、その姿を「撰」びました…そう言っていただけることが、うれしいです。

余談です。仕事をしっかりやっているのは、あたりまえであって、自慢にはなりません。では、何を…?

興味、関心、お持ちの方は、講習期間を除いて毎週発行しています「大阪通信」をご覧あれ。

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希-春講日記(10)

このようにおっしゃるご父母がいらっしゃいます。

「私の息子ですから、しょせん、この程度でしょう。」

「長年やってきてもダメでした。多くを期待しません。」

「何度言っても変わりません。言うだけ無駄だと思います。」

もしかすると、照れ隠しされているのかもしれませんが、期待することをやめ、語ることをやめられて、果たして子供は成長するのだろうか?…と、心配になってしまいます。

杞憂に終わらないところが恐ろしいところでして、自堕落に安穏とした子供が、手に負えなくなってから、ご父母が初めて騒ぎ出す…と、何度も繰り返されてきた構図かもしれません。

けがの程度に例えますと、親が子供をネグレクトし始めたところで軽傷から重傷へ、他人の手を借りざるをえなくなったところで、重傷から重体でしょうか。

多くのご父母が、子供にとって「理解」のある、あるいは「民主的」な、そんな時代風潮になってきました。

しかしながら、なんでもかんでも時代に迎合すればよいといったことでもありますまい。とくに教育をめぐる諸事は、時代遅れぐらいがちょうどいいと、長年の経験からハッキリ申せます。

「私たちが子供の頃って、こんなにゆるくなかったですよね。」

そんな当たり前のことに気づかれたご父母が、子供さんを連れて、弊塾にたくさんいらっしゃいます。

みごとに気づかれた皆さんに、弊塾を「撰」んで欲しいものだと、小生たちも思っています。

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学園前教室・杉浦

希-春講日記(10)

このようにおっしゃるご父母がいらっしゃいます。

「私の息子ですから、しょせん、この程度でしょう。」

「長年やってきてもダメでした。多くを期待しません。」

「何度言っても変わりません。言うだけ無駄だと思います。」

もしかすると、照れ隠しされているのかもしれませんが、期待することをやめ、語ることをやめられて、果たして子供は成長するのだろうか?…と、心配になってしまいます。

杞憂に終わらないところが恐ろしいところでして、自堕落に安穏とした子供が、手に負えなくなってから、ご父母が初めて騒ぎ出す…と、何度も繰り返されてきた構図かもしれません。

けがの程度に例えますと、親が子供をネグレクトし始めたところで軽傷から重傷へ、他人の手を借りざるをえなくなったところで、重傷から重体でしょうか。

多くのご父母が、子供にとって「理解」のある、あるいは「民主的」な、そんな時代風潮になってきました。

しかしながら、なんでもかんでも時代に迎合すればよいといったことでもありますまい。とくに教育をめぐる諸事は、時代遅れぐらいがちょうどいいと、長年の経験からハッキリ申せます。

「私たちが子供の頃って、こんなにゆるくなかったですよね。」

そんな当たり前のことに気づかれたご父母が、子供さんを連れて、弊塾にたくさんいらっしゃいます。

みごとに気づかれた皆さんに、弊塾を「撰」んで欲しいものだと、小生たちも思っています。

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志-春講日記(9)

中島みゆきさんの初期のヒット曲に「時代」があります。

「こんなに悲しく」て「涙も枯れ果て」た「今」が、「きっと笑っ」て「いつか話せる」から、「くよくよしない」で「今日の風に吹かれましょう」と唄うものです。

小生が大好きなこの歌には、勉強を志す者にとって、たいへん大事な契機が含まれています。

たとえ今はできなくても、いつかできるようになることを信じること、よしんば無謀な確信であろうとも、まず信じたがゆえにできるようになること、おそらくこのことは、勉強の始まりであって、終りでもあるのではないでしょうか。

学ぶ者たちは、その言説に根拠を求めます。「なぜですか?」と聞きます。

小生は、こんなふうに答えることにしています。

きみは今日まで、生まれてから何年生きてきた?私は君の4倍以上生きてきた。4倍以上の長きにわたって、諸物を見、諸人と交わってきた。だから私を信じなさい。

断っておきますが、道端を歩いていて、見知らぬおじさんに、急にこんなことを言われたら、走って逃げてください(笑)。

小生は、こんな信頼関係を築けることを無上とし、さまざまな人間関係の中から「撰」びだしたいと思っています。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

春期講習で新学期の準備をしっかりしておきたいですね。

先週に大阪公立高校の合格発表があり、石川数学塾大阪にも喜びの声が多数届いています。

みなさん本当に最後まで良く頑張りましたね。

石川数学塾大阪の春期講習では、新高校1年生にピッタリの「高校内容準備セミナーパック」をご用意してします。

「備えあえば憂いなし」と言います。高校数学はその範囲や難易度が一気に広く・深くなります。この春休みにしっかりと準備しておかれることをお勧めいたします。ぜひ、石川数学塾大阪の春期講習においでください。

石川数学塾大阪の春期講習は通常授業と同じく、生徒一人ひとりの習熟度やスケジュールに合わせて、カリキュラムの内容や受講の日時・回数が決められます。

みなさんのご参加をお待ちしています。

春期講習のご案内

上本町本部教室 中土井

師-春講日記(8)

小生は弊塾の「授業を受けてみたい」と申し出ていただいた皆さんと、まずしっかり話し合わせていただきます。

弊塾を知られた経緯、現段階の成績、将来とってみたい成績、などなど現世のモロモロをお聞かせいただきながら、ひときわ大きな声で問いかけることがあります。

「あなたは、なぜ勉強するのですか?」

誤解いただかないよう、必ず言葉を添えます。

「勉強しなくていいですとか、やめてしまいましょうと言っているのではないです。四十年以上、この仕事をやってきて、細かなハウツーでしたら、いくらでも示せます。しかしながら、私の心の師・吉田松陰先生は、志を立てて以て万事の源と為す…とおっしゃいます。大師をいだくことの大切さに比べて、細かなあれこれが、なんと矮小なことでありましょうか。」

ご父母にしばしば、感謝されます。

「本来でしたら、親がしっかり教えるべきことでした。ありがとうございます。」

何のための勉学か?…それを忘れていない塾を「撰」びました。小生は、みなさんのその一言をお待ち申し上げています。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

撰-春講日記(7)

春は塾選びの季節。塾選びといえば、ひと昔前まで、まさにシステム選びだったと思います。

かつてシステムといいますと、テキスト、テスト、カリキュラム…これらが、すばらしく設えてあって、初めて「良い塾」だったのではないでしょうか。

これらを検証することが、そのまま塾を吟味することであり、このことは永遠に変わらないメソッドと考えられてきました。

しかしながら、マーケットを席巻するようなシステムも、これを制圧したことなく、逆にシステムの多様性は、どんどん拡大していきました。

個別指導が集団指導と十分に張り合うものと認識されたり、無学年多段階制、言うならば寺子屋方式が市民権を得たり、そのほかにも、多様性の枚挙に暇なしと思います。

至高のシステムという物語が、過重な期待と空虚な結果に自己崩壊したのち、コンシューマーの認識は、塾選びは人選び…に収れんしつつあります。

即ち、単なる相性問題を超えたところまで含めて、教授を任すに足る人物を、教師に選ぼうとするものです。

小生はこの傾向に、塾選びの質的転換を予見し、敬意をこめて塾「撰」び…と、敢えて申し上げたいわけです。

さてさて小生は、いったい何を「撰」ぶ人々に、いったい何を「撰」んでほしいのか、今週はこのことを書き連ねてみたいと思います。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

春講日記、書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

春講日記、書いています。

まずは初めの一週間、万葉歌と共に過ごしました。

春-春講日記(1)
雨-春講日記(2)
雪-春講日記(3)
返-春講日記(4)
桜-春講日記(5)
霞-春講日記(6)

初日の万葉歌が、この春の日記のテーマです。

今行きて 聞くものにもが 明日香川 春雨降りて たぎつ瀬の音(と)を

春雨はシトシト雨ですが、積もれば濁流となるのでしょうか。明日香川の「瀬の音」が、コダマするようです。

たいへん恐縮ではございますが、しばし、おつきあいくださいませ。

なお、ブログに直接飛ぶには、以下のリンクをお使いください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

それでは、みなさん、ごきげんよう。

石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦