采-春講日記(17)

“Although we were defeated in war, we didn’t become slaves.”

「我々は戦争に負けただけだ、奴隷になったわけではない」

有名な発言ですね。GHQが「最も食えない日本人」と煙たがった白洲次郎の言葉です。

吉田茂の側近中の側近でした。占領軍相手に、よくぞブチまかしたものだと思います。

融通無碍が至高とされる昨今、あくまで国家に、民族に、プリンシプルにこだわった白洲は、隔世の偉人に思えてしまいます。

たとえがんじがらめにされようとも、心まで売り払う必要はない。

白洲の叫びが、多少くたびれたオジサンたちの背中に、今日も喝!を入れてくれる気がします。

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学園前教室・杉浦

紳-春講日記(16)

「カントリー・ジェントルマン」といっても、「何のことですか?」と聞き返されます。

「白洲次郎のことですか?」でしたら、まだ良いほうでして、ドラマやムックの話で盛り上がれます。

「田舎の紳士ですか、鄙(ひな)の都人(みやこびと)?」ですと、いろんな知識が混ぜ混ぜグチャグチャでして、少し重傷です。

平時は人里から離れ住み、狩猟犬と暮らし、有事にあたっては、人々のために立ち上がり、存分に働く、紳士の国・英国の理想であります。

誰でもできることはしない、己にしかできないことを、ここぞとばかりにやる、この思想と生き方を支えるものは、紳士たるものの矜持であります。

オジサンどもの理想が、若い世代には、単なる世捨て人に見えるのだとか。

たしかに遁世するに違いなく、一見区別もつきがたいでしょう。

しかしながら、腹蔵するものが違います。秘めたる情熱が違います。

なるほど、内在する「価値」なるものは、凝視できないでしょう。

それでも、だからといって「透視」さえ諦められそうな風潮に、オジサンたちは危機感を抱いているのであります。

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殉-春講日記(15)

信じたことに殉じたいと思うことが、カッコワルイ時代になって久しいです。

古い世代にとって、「思想に殉死する」というと、なにはともあれカッコイイことだったと思います。

恐るべき不利益とか、後ろ指とか、そんなもんくらい、いくらでもウェルカムだった猛者が、たくさんいたものです。

それでも家族を路頭に迷わせるにつけ、ほんの数秒ほど「申し訳ない」と思うのですが、ほんの十秒後には、どこ吹く風、二度三度の好き勝手となります。

国士気取りならまだしも、単なるチンピラだったりすると、始末におえません。

若い世代は、こんなおじさんたちを、不思議なまなざしで見つめます。

そんなことして、何の利益があるの?…と。

後ろ髪引かれる思いでも、兎にも角にも突き進むことと、進まないどころか、意味不明であると断ずることは、かつて東西冷戦の象徴と言われた、ベルリンの壁より高く隔てられているのでしょう。

おじさんたちは、若年の不信心を嘆きます。若者たちは、おっさん!胡散臭いぜ!…と断じます。

水と油は混じりあわないものだと、今日も神話が屹立しているのです。

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春休みにやっておきたいこと。

前回のブログで「春期講習で新学期の準備をしっかりしておきたいですね」ということを書いたのですが、早速塾生さんから「春期講習では復習をやろうと思っていたのですが、予習をした方が良いですか?」とお問い合わせがありましたので、今回も春休みにやっておきたいことについてお話しましょう。

みなさん一人ひとり習熟度や目標も違うでしょうから、予習が良い、復習が良いとは一概には言えません。自身の「強み」「弱み」をしっかり把握した上で次のような観点で進められてはいかがでしょうか?

ⅰ)この1年間の振り返りをしましょう。

  一貫校や公立の学校で学年が一つ進まれた方は、学校からの課題で3学期に学習した内容の振り返りが出ていることでしょうが、出来れば1年を振り返り弱点の教科や単元の焼き直しをしてください。

ⅱ)新しい年度に備えましょう。

  勉強するカテゴリーが進まれる方(小→中、中→高)は、「備えあれば憂いなし」という言葉もあるように、しっかり次の学習内容に対する準備しておくことが大切です。

とは言え、何をどうすればいいのか判らないとおっしゃる皆さんもおられるのでしょうね。

いかがですか?石川数学塾大阪の春期講習に参加されてみては。

石川数学塾大阪の春期講習は通常授業と同じく、生徒一人ひとりの習熟度やスケジュールに合わせて、カリキュラムの内容や受講の日時・回数が決められますよ。

みなさんのご参加をお待ちしています。

春期講習のご案内

上本町本部教室 中土井

富-春講日記(14)

学歴は掃いて捨てるほどある…といった友人がたくさんいます。

高学歴に見合った仕事をなさっておいでです。一部上場企業の幹部クラスや、バリバリのキャリア公務員、起業した皆さまもガンガン儲けておられます。

小生のごときが、親しくお話しさせていただけるなど、おこがましい限りと思うことがあります。

皆さん、こんなことをおっしゃいます。

「仕事だけしてきた人生だった。家庭を顧みたことは無かった。」

「いつ引退してもいい。平均寿命の二倍生きても、おそらく経済的に困窮することはない。」

「忙しかった。自分の時間は、ほとんど無かった。」

「資産総額が、全国民の上位1%に入っている。」

子供たちは、こんなことを聞くと、目がギラギラに輝きます。輝きすぎて、小生には背筋の凍るような、最後の一言を聞き逃します。

「それでもなぁ、杉浦さん!俺はなぁ、仕事をやってて良かったと思ったことが一度もない。楽しいと思ったことすらない。」

衝撃的です。小生には絶対に耐えられません。

しかしながら、子供たちは、この一言を聞いても、それでも富める人生を選ぶかもしれません。

おじさんたちはほんの少し、現代という時代に、ため息をついてしまいます。

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貧-春講日記(13)

「撰」ぶと「撰」ばざるとに拘らず、「貧」はつらいものです。「貧」とは、ずばり「貧乏」です。

小生に限らずとも、おおよそ好き勝手に生きている人間は貧乏です。

貧乏は憐れみを誘いますが、当事者たる貧乏人は、全く意に介していないことが多いです。

「何も盗るものがないから、泥棒も来ない」てなわけです。

子供たちは、しばしばこんな誤解をしています。

「好きなことを好きなだけやって、裕福になりたいです。」

はい、これはまちがいです。ごく一部の例外を除いて、裕福は我慢の裏返しです。辛くてもがんばり、眠くても気合一発吹き飛ばすから、その対価を得られるのです。

子供たちは、反論します。

「先生の考え方は、古いです。」

はい、これもまちがいです。経済状況が変わり、政治システムが変わり、社会構造が変わって初めて、文化情勢が変わります。人々の考え方が変わるのは、最後の最後です。

現代なる時代は、ちょうど日露戦後あたりから始まったと、小生考えております。まだ百年しか経っていません。人々の意識が変わろうはずもありません。

さりながら若い世代が、小生どものような老人たちには、思いもよらなかったような発想をすることに、興味をそそられます。

今週は、「世代間イデオロギー闘争」に興じてみたいと思います。

おっと、「イデ闘」とか言い出しますと、立派に旧世代ですね(笑)。気をつけます(笑)。

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貧-春講日記(13)

「撰」ぶと「撰」ばざるとに拘らず、「貧」はつらいものです。「貧」とは、ずばり「貧乏」です。

小生に限らずとも、おおよそ好き勝手に生きている人間は貧乏です。

貧乏は憐れみを誘いますが、当事者たる貧乏人は、全く意に介していないことが多いです。

「何も盗るものがないから、泥棒も来ない」てなわけです。

子供たちは、しばしばこんな誤解をしています。

「好きなことを好きなだけやって、裕福になりたいです。」

はい、これはまちがいです。ごく一部の例外を除いて、裕福は我慢の裏返しです。辛くてもがんばり、眠くても気合一発吹き飛ばすから、その対価を得られるのです。

子供たちは、反論します。

「先生の考え方は、古いです。」

はい、これもまちがいです。経済状況が変わり、政治システムが変わり、社会構造が変わって初めて、文化情勢が変わります。人々の考え方が変わるのは、最後の最後です。

現代なる時代は、ちょうど日露戦後あたりから始まったと、小生考えております。まだ百年しか経っていません。人々の意識が変わろうはずもありません。

さりながら若い世代が、小生どものような老人たちには、思いもよらなかったような発想をすることに、興味をそそられます。

今週は、「世代間イデオロギー闘争」に興じてみたいと思います。

おっと、「イデ闘」とか言い出しますと、立派に旧世代ですね(笑)。気をつけます(笑)。

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学園前教室・杉浦

ひき続き、春講日記書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

春講日記、ひき続き書いています。

今週は春講二週間目、「撰」をテーマのモロモロです。

撰-春講日記(7)
師-春講日記(8)
志-春講日記(9)
希-春講日記(10)
導-春講日記(11)
信-春講日記(12)

「撰」び「撰」ばれることの機微を、あれこれ論じてみました。

塾「撰」びの季節ですからね。

なお、ブログに直接飛ぶには、以下のリンクをお使いください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

それでは、みなさん、これからいよいよ講習繁忙期。元気を出して、がんばりましょう!

石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦

ひき続き、春講日記書いてます!

こんにちは。学園前教室の杉浦です。

春講日記、ひき続き書いています。

今週は春講二週間目、「撰」をテーマのモロモロです。

撰-春講日記(7)
師-春講日記(8)
志-春講日記(9)
希-春講日記(10)
導-春講日記(11)
信-春講日記(12)

「撰」び「撰」ばれることの機微を、あれこれ論じてみました。

塾「撰」びの季節ですからね。

なお、ブログに直接飛ぶには、以下のリンクをお使いください。

http://blog.livedoor.jp/ishikawasugakujuku/archives/cat_910297.html

それでは、みなさん、これからいよいよ講習繁忙期。元気を出して、がんばりましょう!

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信-春講日記(12)

春講日記も、ついに折り返し地点に参りました。刹那に美しい桜の花といっしょで、春の時間は矢の如く過ぎ去っていきます。

小生、「撰」ばれるべきものは信念である…との思いを、強く持ち続けております。

過去を総括することは、おそらく歴史屋の仕事です。今を生きる人の仕事ではありません。

人は今を生きている己に矜持を持ち続け、そのことを使命とするべきです。

「連帯を求めて、孤立を恐れず。

力及ばずして、倒れることを辞さないが、

力尽くさずして、挫けることを拒否する。」

若者が怒り、闘うことを当然と考えたあの時代に、安田講堂に大書されたこの文言が、端的に信念そのものではないでしょうか。

子供たちには、少し難しい話かもしれません。

分かりやすいほうで…てなわけでもありませんが、あの時代の第十九回駒場祭のキャッチで笑いを誘います。

「止めてくれるな おっかさん

背中のいちょうが 泣いている」

銀杏並木とキャラメルママ、封鎖・激突・排除・「解決?」、懐かしくも信念を持ち続けた当事者たちが、次々と鬼籍に入っていかれます。

あの時代を「撰」びたい、しんどかったけど…、そんな思い出されかたをしてみたい小生です。

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