大阪通信 Vol.118 配布開始しました。楽しみな夏期講習を迎えるにあたって(その3)です。
楽しみな夏講、略して「楽夏」、最終回です。
ちょっと立ち読みしてみましょう。
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Q.「とどのつまり、勉強って何ですか?」
A.「知らないことを知って、わからないことをわかって、解けない問題が解けるようになることです。修業を積めば、誰でもできるようになりますが、サボるとできなくなります。多くの皆さんにとって、最初は単なる苦痛です。痛みに耐えて頑張っていると、知ることができ、わかるようになり、解けるようになって、賞賛されます。苦しいのは嫌だから、少しでも楽にできないか!ですって?皆さん、少なくとも一生に一秒は、必ず思い及んだことですね。誰もが願い、誰もが実現できませんでした。まるで誰もが、長い一生に一度は解きたいと願ったにもかかわらず、誰も解けないまま終わっている難問のように。誰かきっと解いているはずだ、という妄想と、きっと楽な道程があるはずだ、という希望的観測(絶望的観測?)が、見事な一対をなしているのです。あきらめてください。近道などありません。しかしすべからく艱難辛苦の道であっても、良き先達がいましたら、少しは楽に感じられるものかもしれません。それでもやはり、解けなくて苦しむのも自分、解けるようになってうれしいのも自分、誰かが代ってくれそうだと、勘違いしないでください。」
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おおっと、本質論ですね。先生、常々こんなことをおっしゃっておいでです。
勉強論ってのは、大雑把に分けて本質論と方法論に分かれますね。本質論は哲学論的深みが感じられる反面、甲論乙駁、バトルロワイヤルになりがちです。特に勉強論というか教育論は、誰もが自己経験として発言権を持つ内容ですし、喉元過ぎて熱さを忘れても、息子さん、娘さんの受験が待っていますからね(笑)。いきおい、本来本質論を語るべき本職たち、学校の先生であったり、塾の先生であったり、彼らの腰が引けて万事方法論に矮小化しようとする浅はかな企みには、義憤を通り越して哀れみを感じることが多くなってきました。このさい、ここはひとつ、覚悟を決めて蛮勇を奮って、勉強の何たるかを語ってこそ、「本職」なのではないでしょうか!
大阪通信 Vol.118、石川数学塾大阪・学園前教室にて好評配布中です。ご自由にお持ちください。
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みなさん、ぜひ一度、ご覧になって、議論の輪に加わってみてください。
石川数学塾大阪
学園前教室長・杉浦