楽-冬講日記(13)

日曜日も男は、あいかわらず早朝に起き出します。ほとんど水と食料だけ入ったリュックを担いで、ほとんど誰も乗っていない休日早朝のJRで、意気揚々と出かけます。

桜井か三輪で降りると、テクテク歩きはじめます。こんもりした起伏を見ると、必ず立ちどまります。

「立入禁止 宮内庁」の立札が無ければ、丘に登ります。古墳ですと墳丘頂です。茅原大墓の後円部頂から、はるか葛城・金剛を見渡すのが好きだそうです。

男はブツブツ言いながら、何か拾い続けています。「壺」とか、「甕」とか、「埴輪」とか、「口縁」とか、「突帯」とか。

素人でもわかる言葉から、複雑怪奇な呪文まで混在しています。

「弥生Ⅴ」とか、「庄内」とか、「布留Ⅰ」とか。土器編年の名称なのですが、ここらあたりになると誰もついていけなくなって、同伴者がいても(妻であることがほとんどですが)、放っておかれます。

「ヤマト土着」とか、「尾張」とか、「吉備」とか、「近江・越」とか。外来系土器の由来ですが、もうこの頃には、半径50メートル以内にほとんど誰もいなくなり、遠く二上山に夕日が沈みかけています。

男は楽しくてしかたのない勉強をしているのです。テーマは「邪馬台国と初期ヤマト王権」ですね。

何を隠そう、男は私です。私は理想的な勉強を堪能できる、根っからの幸せ者なのですね。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

冬期講習が始まります。

早いもので今年もあと2週間と少し。

石川数学塾大阪でも、12/15(金)より冬期講習がスタートします。

 

受験間近に最後の追い込みをかける人、確実に得点するための最終確認をする人、2学期の遅れを取り戻そうと頑張っている人、将来の栄冠を目指してコツコツ積み上げている人など石川数学塾大阪では様々な人が頑張っています。

例えば、2学期の復習や新学期の予習、学校の課題や自分の目標に向けた学習など、冬休みは夏休みに比べますと確かに短いですが、日頃できていないことにチャレンジするにはもってこいの時期だと思います。

是非、お早目のお申込をお願いいたします。

みなさんのご参加をお待ちしています。

石川数学塾大阪の冬期講習は通常授業と同じく、生徒一人ひとりの習熟度やスケジュールに合わせて、カリキュラムの内容や受講の日時・回数が決められるので何かと忙しい君にもピッタリです。

上本町本部教室 中土井

冬期講習のご案内

冬期講習が始まります。

早いもので今年もあと2週間と少し。

石川数学塾大阪でも、12/15(金)より冬期講習がスタートします。

 

受験間近に最後の追い込みをかける人、確実に得点するための最終確認をする人、2学期の遅れを取り戻そうと頑張っている人、将来の栄冠を目指してコツコツ積み上げている人など石川数学塾大阪では様々な人が頑張っています。

例えば、2学期の復習や新学期の予習、学校の課題や自分の目標に向けた学習など、冬休みは夏休みに比べますと確かに短いですが、日頃できていないことにチャレンジするにはもってこいの時期だと思います。

是非、お早目のお申込をお願いいたします。

みなさんのご参加をお待ちしています。

石川数学塾大阪の冬期講習は通常授業と同じく、生徒一人ひとりの習熟度やスケジュールに合わせて、カリキュラムの内容や受講の日時・回数が決められるので何かと忙しい君にもピッタリです。

上本町本部教室 中土井

冬期講習のご案内

想-冬講日記(12)

大和田原(やまとたわら)と聞いて、「ああ、あのあたりね」と、すぐにうなずけるかたは、かなり少数派かもしれません。

宇治茶の産地「宇治田原」に比べ、いかにも影が薄いです。

車でしたら高円山の横からグ~ンと登っていきます。それほど時間がかかるものでもありません。

この大和田原に、一ヶ月に一度、二時間に一本しかない奈良交通のバスに乗って、通いつめた研究者がいました。

大正期から昭和初期にかけて、比較的裕福な農村で盛んに行われた青年団運動を調べるためです。

あたりまえのことですが、人は学校だけで教育されるわけではありません。むしろ学校通いは、長い人生の中で、特殊なほんの一時期の出来事かもしれません。

昔の豊かな農村では、まさにそのごとくに、義務教育期以降の社会教育が充実していました。青年団運動は、その典型でした。

研究者は「田原村の字○○の○○爺さんの話」とか、「同じく田原村の字○○の○○ばあさんの話」とか、たいへんマニアックな史料をたくさん集め、一風変わった論文を書いておりました。

変わってはいましたが、私は研究者の論文が大好きでした。こんな理由からです。

爺さんやばあさんが若者だったころ、学齢期が終わっても学びたいと思いました。お百姓さんや木こりさんになるためだけでなく、よりよく住みやすい村を造るには学ぶべきだと考えたようです。

青年団は入会地の管理を手伝ったり、祭りの準備をしたりもしましたが、酒を飲んでクダを巻くばかりでなく、いやそんなことはほとんどせず、あれこれと集まって一生懸命勉強していた、その実態が研究者の論文から知られました。

農村の若い人たちには、より良き明日への「想い」が満ちていたのです。「想い」が自ら学ぶ人々を造り出していたといってもいいかもしれません。

勉強が嫌がられたり、捨てられたりする現代社会や都会のありようと比べて、なんと真逆であることでしょうか。

本来勉強は、こうしたものであったのだと思います。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

想-冬講日記(12)

大和田原(やまとたわら)と聞いて、「ああ、あのあたりね」と、すぐにうなずけるかたは、かなり少数派かもしれません。

宇治茶の産地「宇治田原」に比べ、いかにも影が薄いです。

車でしたら高円山の横からグ~ンと登っていきます。それほど時間がかかるものでもありません。

この大和田原に、一ヶ月に一度、二時間に一本しかない奈良交通のバスに乗って、通いつめた研究者がいました。

大正期から昭和初期にかけて、比較的裕福な農村で盛んに行われた青年団運動を調べるためです。

あたりまえのことですが、人は学校だけで教育されるわけではありません。むしろ学校通いは、長い人生の中で、特殊なほんの一時期の出来事かもしれません。

昔の豊かな農村では、まさにそのごとくに、義務教育期以降の社会教育が充実していました。青年団運動は、その典型でした。

研究者は「田原村の字○○の○○爺さんの話」とか、「同じく田原村の字○○の○○ばあさんの話」とか、たいへんマニアックな史料をたくさん集め、一風変わった論文を書いておりました。

変わってはいましたが、私は研究者の論文が大好きでした。こんな理由からです。

爺さんやばあさんが若者だったころ、学齢期が終わっても学びたいと思いました。お百姓さんや木こりさんになるためだけでなく、よりよく住みやすい村を造るには学ぶべきだと考えたようです。

青年団は入会地の管理を手伝ったり、祭りの準備をしたりもしましたが、酒を飲んでクダを巻くばかりでなく、いやそんなことはほとんどせず、あれこれと集まって一生懸命勉強していた、その実態が研究者の論文から知られました。

農村の若い人たちには、より良き明日への「想い」が満ちていたのです。「想い」が自ら学ぶ人々を造り出していたといってもいいかもしれません。

勉強が嫌がられたり、捨てられたりする現代社会や都会のありようと比べて、なんと真逆であることでしょうか。

本来勉強は、こうしたものであったのだと思います。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

惑-冬講日記(11)

勉強の天敵、三大思い込みってものがあります。

わかるはず。できるはず。わすれてないはず…の三つです。

全く勉強していませんと、思い込むことすらできません。思い込む人々は、いちおう「やっている」のです。

「やっている」ものの、然るべき成果が出ないのは、誰でもお分かりの通り「甘い」からです。

「甘い」ならば、追い込めばよい!という議論があります。目の前で監視したり、テスト漬けにしたり…ですね。

しかしながら、それほど時を経ずして、単なる方法論の問題じゃない!と、皆さん悟られます。ここまでは正しいです。

はい、ここからが重大です。「あかん、こいつ勉強に向いてない」。これが多くの皆さんの結論です。

はたして、本当にそうでしょうか。何か大事なことを忘れていませんか。

「甘い」のは、おそらく勉強にだけ甘いのではなく、生き方が甘いのですよね。勉強を追い込んだところで、生き方は変わりません。

さっさと諦められるかたのほとんどが、生き方の問題を、勉強の方法論に矮小化している、そのことが私には気になってしかたありません。

大切なことは、勉強の本質論を棚上げするような、看過せざるべき「甘え」の構造ではなく、逃避せず大胆にメスを入れ、切り込むことではないでしょうか。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

然-冬講日記(10)

「勉強は、やりたい人と、やらざるを得ない人がするものです。誰もかれもしなければいけないものではありません。

勉強をする人は黙々とします。アクティブ・ラーニングでしたっけ?右往左往しなければ寝てしまうようなら、初めからやめておきなさい。

勉強しても報われるとは限りません。絶対的方法論など、幻想です。幻想でなければ、詐術です。

勉強結果は、悲喜こもごもです。喜んでだけいたいのも、困ったものです。

勉強に打ちのめされることも、多々あります。そこから這い上がることも含めて、勉強です。」

ひと昔前から勉強業界にいます私など、これで至極あたりまえだと思っていますが、最近はそうでもなくなってきまして戸惑っています。

「まっとうな」勉強は、いつ、どこへ行ってしまったのでしょうか。誰が、何を変えたのでしょうか。

汲めども尽きせぬ謎が湧いてくること、これもまた「勉強」ゆえなのでしょうか(笑)。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

能-冬講日記(9)

「勉強なら何もかもできるようになりました」って人がいないかわりに、「何もできないままです」って人もいません。

できることもあれば、できないこともある、人生と同じです。

問題はその捉え方です。

「できへんことだらけやん」でも悪くないですが、できることまで含めて一切合切を否定されるようで、次なるモチベーションが湧きません。

「これだけできれば、十分ね」も良いですが、安心し倒してしまって、できないことは迷宮入りでしょう。

まさに「帯に短し襷に長し」。困ったもですね。

こんな時、「右でも左でもなく前へ」進むには、どうしたら良いのでしょうか。

ポイントは「是々非々」。良いことは良い、誉める、喜ぶ。悪いことは悪い、諭す、反省。

これがまさに「まっとうな」教育です。忘れかけては思い出す、その繰り返しです。

ブレない、曲げない人生でありたいものですね。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

能-冬講日記(9)

「勉強なら何もかもできるようになりました」って人がいないかわりに、「何もできないままです」って人もいません。

できることもあれば、できないこともある、人生と同じです。

問題はその捉え方です。

「できへんことだらけやん」でも悪くないですが、できることまで含めて一切合切を否定されるようで、次なるモチベーションが湧きません。

「これだけできれば、十分ね」も良いですが、安心し倒してしまって、できないことは迷宮入りでしょう。

まさに「帯に短し襷に長し」。困ったもですね。

こんな時、「右でも左でもなく前へ」進むには、どうしたら良いのでしょうか。

ポイントは「是々非々」。良いことは良い、誉める、喜ぶ。悪いことは悪い、諭す、反省。

これがまさに「まっとうな」教育です。忘れかけては思い出す、その繰り返しです。

ブレない、曲げない人生でありたいものですね。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦

【高の原教室】冬期講習のご案内

奈良・高の原教室の飯尾です。

さて本日は、今月より開催します当教室の冬期講習についてご案内させて頂きます。
当塾の「冬期講習」とは、目的に応じて自由に選択できる授業のことです。
指導形態は通常授業と同様、個別指導です。(教室長が中心となって指導に当たります)
●期間 
 12/15(金)~1/12(金)の中から任意選択(12/31~1/3は休みです)
●時間 
 午前の部    10:00~12:30
 午後の部    13:30~16:00
 夜の部     17:00~21:30のうち150分をご選択
●科目 
 算数、理科、数学、物理、化学、英語
●授業内容・料金 
 ア)「自由選択型個別授業」
      学校の宿題の補習、この1学期の復習、新学期の予習、志望校別受験特訓等、
    授業でやりたい内容、使用したいテキストを自由に選択できる個別授業。
  (特に指定が無い場合、当塾の講師が、ご本人の様子をみて判断させて頂きます。)
   1回からのご参加が可能です。
   
   料金(150分につき)
    小学生/¥3,450、中学生/¥3,650、高校生・一般/¥3,950

 イ)「シリーズパック型個別授業」
      分野別、レベル別、志望校別に、当塾で用意したテキスト、プリント
  (授業によっては、市販のテキストをご購入頂く場合もあります。)を使って、
   指定の回数を自分の都合のよいスケジュールで受けて頂く個別授業。
   日時は自由に選択できます。
  
   料金は「自由選択型個別授業」に準じますが、内容・回数が決まっている分、
   若干お得になっています。

その他、詳細は当塾HP季節講習のページをご覧ください。