作者別: 石川数学塾大阪
謹賀新年
難-冬講日記(29)
難儀と直面すること、生きている限り不可避です。
注意深く避けようとするのですが、こちらが避けていても、向こうからぶつかりにいらっしゃるものです。
勉強も同じです。苦労することなくできるようになりたいと、誰もが願うものですが、想いのままになるかたは稀です。
難儀に立ち向う者、難儀と闘う者、難儀とつきあう者…、対応も人それぞれです。
はからずも降って湧いてくるものならば、うまくつき合いたいと思うのも、きっと私だけではありますまい。
いささか逆説的ですが、難儀無き道行きはいかにもノッペラボウで、張り合いに欠けるように感じられます。
適度にハードルがあって、少しずつ乗り越えられるならば、その生きざまは喜びに満ちるものとなるでしょう。
ぱっくりと口を開けた渓谷に真っ逆さま、そんな大難が降りかからないことを祈っています。
難-冬講日記(29)
難儀と直面すること、生きている限り不可避です。
注意深く避けようとするのですが、こちらが避けていても、向こうからぶつかりにいらっしゃるものです。
勉強も同じです。苦労することなくできるようになりたいと、誰もが願うものですが、想いのままになるかたは稀です。
難儀に立ち向う者、難儀と闘う者、難儀とつきあう者…、対応も人それぞれです。
はからずも降って湧いてくるものならば、うまくつき合いたいと思うのも、きっと私だけではありますまい。
いささか逆説的ですが、難儀無き道行きはいかにもノッペラボウで、張り合いに欠けるように感じられます。
適度にハードルがあって、少しずつ乗り越えられるならば、その生きざまは喜びに満ちるものとなるでしょう。
ぱっくりと口を開けた渓谷に真っ逆さま、そんな大難が降りかからないことを祈っています。
人-冬講日記(28)
「「人」という字は、二人が支えあって立っているんですね。どちらがいなくても、倒れてしまう」。
昨年の総選挙の折、東京の小選挙区から出馬された候補者が、街頭演説で語っておられました。
聞き覚えのある言葉ではありましたが、今さらながら、良い言葉だと思いました。
何でも一人でできていた若い頃には、思いもよらないことでした。歳をとると、身にしみてきます。
勉強も然り。己が幸せになるためにするものですが、立身出世の暁には、お互いさまに支えあう、その礎にしたいものです。
あたりまえのように新年を迎え、あたりまえに見過ごしそうなことなのかもしれません。
今年は少しだけ、こだわってみました。
人-冬講日記(28)
「「人」という字は、二人が支えあって立っているんですね。どちらがいなくても、倒れてしまう」。
昨年の総選挙の折、東京の小選挙区から出馬された候補者が、街頭演説で語っておられました。
聞き覚えのある言葉ではありましたが、今さらながら、良い言葉だと思いました。
何でも一人でできていた若い頃には、思いもよらないことでした。歳をとると、身にしみてきます。
勉強も然り。己が幸せになるためにするものですが、立身出世の暁には、お互いさまに支えあう、その礎にしたいものです。
あたりまえのように新年を迎え、あたりまえに見過ごしそうなことなのかもしれません。
今年は少しだけ、こだわってみました。
謝-冬講日記(27)
今年も一年が終ろうとしております。皆様のおかげです。ありがとうございます。
あたりまえのように、目前にあるものに対して、敢えて感謝することがない私たちですが、ある日突然、目の前がまっさらになってしまったら、きっととてつもない喪失感に苛まれそうな気がします。
そんなあれこれを掘り起こして、感謝する年末にしたいです。
日々少しずつ「まっとう」であることが難しい世の中になっていきます。奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)が、何故だか幅を利かせてきます。
奇妙に奇妙で応酬していては子供の喧嘩です。非生産性の最たるものです。
あたりまえに「まっとう」であることは、そのままズバリ、「まっとう」な人間関係に他なりません。
「まっとう」な教育は、こうして準備されるのでしょう。
もうすぐ始まる新しい年が、「まっとう」にあふれるものでありますように。
謝-冬講日記(27)
今年も一年が終ろうとしております。皆様のおかげです。ありがとうございます。
あたりまえのように、目前にあるものに対して、敢えて感謝することがない私たちですが、ある日突然、目の前がまっさらになってしまったら、きっととてつもない喪失感に苛まれそうな気がします。
そんなあれこれを掘り起こして、感謝する年末にしたいです。
日々少しずつ「まっとう」であることが難しい世の中になっていきます。奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)が、何故だか幅を利かせてきます。
奇妙に奇妙で応酬していては子供の喧嘩です。非生産性の最たるものです。
あたりまえに「まっとう」であることは、そのままズバリ、「まっとう」な人間関係に他なりません。
「まっとう」な教育は、こうして準備されるのでしょう。
もうすぐ始まる新しい年が、「まっとう」にあふれるものでありますように。
諭-冬講日記(26)
「試験結果、あまり良くありませんでした」と、成績表を持ってくる生徒がいます。ああだ、こうだ、ああすれば良かった、こうすれば良かったと、山ほど言い訳します。
私は最後まで聞くことにしています。聞き終わったら、最後にこう言います。
「まだまだ勉強!と、分かって良かったね。さあ、直そうか。」
生徒は、ハッと我に返ったように、再び勉強し始めます。
「子供と、どう接していいのかわからない」という親御さんが増えています。そんな親御さんに、私がお話しするエピソードです。
親御さんはきっとご家庭内で、愛情あふれる叱咤激励を、不断に継続なさっているのでしょう。ありがたいことです。
しかしながら、勉強結果に対してだけガンガンおっしゃるとなると、逆効果かもしれません。
子供さんが試験結果を、オドオドと持ってくるようになってしまいます。
勉強に限らずとも、結果が出てからあれこれ言ったところで、何も始まりません。時計の針は、逆には廻らないからです。
それよりも大切なことは、「結果ではなく、意欲を誉めること」です。
結果をはじき出すものは、何よりも意欲ですし、意欲あればこその結果でありましょう。
ダメであることは、うまくいくための無限の可能性を内包していること、その可能性を意欲に転化することが、最も素晴らしい激励なのです。
そのためには、焦りは禁物です。短期決戦は、絵に描いた餅です。
持久戦を厭わず、長期決戦を覚悟したものだけが、栄光を掴み取ることができるのです。
諭-冬講日記(26)
「試験結果、あまり良くありませんでした」と、成績表を持ってくる生徒がいます。ああだ、こうだ、ああすれば良かった、こうすれば良かったと、山ほど言い訳します。
私は最後まで聞くことにしています。聞き終わったら、最後にこう言います。
「まだまだ勉強!と、分かって良かったね。さあ、直そうか。」
生徒は、ハッと我に返ったように、再び勉強し始めます。
「子供と、どう接していいのかわからない」という親御さんが増えています。そんな親御さんに、私がお話しするエピソードです。
親御さんはきっとご家庭内で、愛情あふれる叱咤激励を、不断に継続なさっているのでしょう。ありがたいことです。
しかしながら、勉強結果に対してだけガンガンおっしゃるとなると、逆効果かもしれません。
子供さんが試験結果を、オドオドと持ってくるようになってしまいます。
勉強に限らずとも、結果が出てからあれこれ言ったところで、何も始まりません。時計の針は、逆には廻らないからです。
それよりも大切なことは、「結果ではなく、意欲を誉めること」です。
結果をはじき出すものは、何よりも意欲ですし、意欲あればこその結果でありましょう。
ダメであることは、うまくいくための無限の可能性を内包していること、その可能性を意欲に転化することが、最も素晴らしい激励なのです。
そのためには、焦りは禁物です。短期決戦は、絵に描いた餅です。
持久戦を厭わず、長期決戦を覚悟したものだけが、栄光を掴み取ることができるのです。