最終日になると、何かやり残したことがあるように思えて仕方ありません。
「もっと早くに、やっておけばよかった」。…あとの祭りと申します。
平家物語・壇ノ浦、平知盛から引いて始まった冬講日記。「見るべき程の事をば見つ」はずだったのでありますが…。
「人は不満足だから勉強する。」
「人はできないからできようとする。」
「人は苦しいから楽になろうとする。」
いろいろな勉強の局面で、私が生徒に投げかける言葉です。
これらが真理であるならば、「やり残し感」なるものは、いわば宿命に違いありません。
山辺道・長岳寺のご住職が、大きな「地獄図」を前におっしゃいます。
「準備万端遺漏なく、きっぱりこの世におさらばして、あの世に向けて歩きはじめる…なんて人は、実は一人もいらっしゃいません。」
「皆さん、何でおいらは死んじまったんだい?…から始まるのです。」
勉強は、人生の縮図そのものに違いありません。