クリスマスが終わって、投げ売りされているケーキが目立ちます。「祭」の終りです。
古来この国では、「祭」とはカミを「祀」ることでした。カミとは天上に住まう形而上的存在などではなく、祖先霊そのものでした。
族長はカミを「祀」ることにより、支配の正当性を主張し、「祭」を四方に及ぼすことにより、現世を支配したのです。
「祭」、「政」ともに「マツリゴト」たる所以ですね。
この「祭」り「祭」られる関係から、「学」び「学」ばれる関係も派生したのではないか、私は最近、そんなことを考えています。
「マツリゴト」の秩序無くして、「マナビゴト」も無かったのではないか。そんなことに気づき始めました。
もしもそうだとすれば、政治屋が教育屋の範ちゅうに首を突っ込んで、引っ掻き回すこと、教育予算ひとつ取っても、あたりまえの茶飯事になってしまった奇妙な蜜月、その源流が遥か古代にあったのかもしれないと思えて仕方ありません。
古くより、教育屋は政治屋を毛嫌いしてきました。今も、そうでしょう。
しかしながら、生理的嫌悪のみが事態を好転させるとは、およそ考えられない理由が、だんだん見えてきました。