誠-冬講日記(19)

正直に言えない人たちが増えてきています。

「わからない」けれど、モジモジしているだけだったり、「できない」けれど、やはりモジモジしているだけだったり。

たしかに「わからない」とか「できない」は、言い出しにくいことですよね。「なんでやねん?」と、いぶかられたり、「気のせいちゃう?」と、スルーされたり。

はい、こんなリアクションする人たちには、相談しないでおきましょう。おそらく時間の無駄です。

人は「わからない」から、「わかろう」とするし、「できない」から、「できよう」とするものです。

「わかろう」とか、「できよう」とする皆さんを、歓迎する人にこそ教える資格があるのです。

「生まれたときから、できる人はいないよね」と、サラリと言い放つ人こそが、まっとうな指導者です。

しかしながら、「わからない」ことを一緒に喜んでいるだけだったり、「できない」ことに一緒に流されるだけでは、何かと考えものです。

疑問の入り口では共感しながらも、出口までは先導し、あたかも自力で脱出できたかのごとく、大いなる達成感を与えられれば…。

教える者のハシクレとして、私が抱き続ける理想であります。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦