いつのまにか時が経ってしまうことがあります。「あたりまえ」の毎日が心地良いと、無意識に時が経ちます。
ふと「毎日」が終わろうとするとき、人は来し方、行く末に思いを馳せるものなのでしょうか。
為政者として、ソツなくやってきました。にもかかわらず、兵馬の道に類まれなる偉丈夫でした。一族郎党そろって討死の壇ノ浦、実質的な総大将、平知盛は何を想ったのでしょうか。
一門の栄耀栄華を見ました。媚びへつらう者たちを見ました。反動勢力との戦いを見ました。そして決定的な裏切りを見ました。
「見尽くした。もうええわ。」
きっとそんな気持ちだったのかもしれません。
入水に碇を懐いたとも、鎧を二枚重ねに着たともいいます。二度と浮上できませんね。ほんまに「もうええわ」だったのでしょう(笑)。
「見るべき程の事をば見つ、今はただ自害せん」(『平家物語』)
ずいぶん素敵な終わりかたもあるものだと、心洗われる思いがします。