飛鳥といえば大和の飛鳥…だけであるわけではなく、大和から見て葛城・金剛の向こう側、すなわち大阪の河内にも飛鳥があります。河内の飛鳥は、古代難波の都から近かったので「近つ飛鳥」と呼ばれました。大和の飛鳥は、「遠つ飛鳥」ですね。
近つ飛鳥の博物館と、その裏山の風土記の丘へ、しばしば出向くものですから、だんだん慣れて参りましたが、初めのうちは、グァ~ンとフェアレディZで穴虫峠を越えても、歩いてテクテク竹内街道を進んでも、近鉄南大阪線で一気に上ノ太子駅に降り立っても、バス停から住所表示から、何から何まで「飛鳥」なもので、「ここはいったいどこだろう?葛城・金剛を東に拝むのだから、まちがいなく大阪府のはずなんだが…」と、大いに途方に暮れていました。
ついでに二上山が葛城・金剛の向かって左手というのも、大和の真逆ですし、雄山と雌山の並び順も逆です。こればかりは未だに慣れませんで、風土記の丘の展望台にて、古墳好きの同志を探しては、「逆だ!逆だ!」と迷惑な主張を繰り返します。同志曰く「順逆いかにあろうとも、一須賀古墳群も古市古墳群も、はるか遠く百舌鳥古墳群も、何も変わろうことなし。」、要するに大したことではない!と一蹴されます。
前振りはここらあたりで。
河内に飛鳥にも流れる「飛鳥川」。「あすか川 もみじ葉ながる 葛城の 山の秋風 吹きぞしぬらし」と、新古今に詠まれているといいます。葛城山から紅葉した紅葉葉が流れてくる「飛鳥川」となると、まさに河内の飛鳥川でしょう。明日香村を貫流して、大和川に合流したあと、葛城山に流れゆく大和の明日香川では、ちと具合が悪かろうと思います。
ところが、ところが…。この歌はどうやら柿本人麻呂の作と言われているらしく、本歌は万葉集、巻10-2210ではなかろうかとも言われるのです。
明日香川 黄葉(もみちば)流る 葛城の 山の木(こ)の葉は 今し散るらし
こちらはどうやら、明日香川を流れる紅葉の葉が、紅葉の名所・葛城山中の落葉を想起させるだけですから、大和の明日香川でよろしいでしょう。
はてさて、どうしたものか?景観に悩み、歌に悩み、悩み尽きせぬ中年となってしまいました(笑)。
では種明かしをば、進ぜましょう。
「アスカ」なる地名は古代朝鮮語に始源し、「アンスク」=安宿=渡来人にとって憩いの故郷と名づけられたものだそうです。
「安宿」あふれる倭国の、なんと素晴らしかったことか!。飛鳥の悩みも氷解しました。