真木和泉のように爆死を選ばずとも、おそらくもう少しばかりは大人しく、いずれ何人たりとも現世に別れを告げるものであります。
まさにその時にあたって、悔いなく辞去できるものであろうかと、心配性な小生などは、あれこれ考えてしまいます。
多少逆説的ではありますが、考えることなど何もないとばかり、きれいさっぱり潔く去ることが、なかなかできないがゆえに、貴重なのだと思います。
思いのままに生きてきたからといっても、あるいは権力の絶頂にあったからといっても、必ずしもこの世の全てを捨てきれず、後ろ髪、何千回と引かれまくっている諸兄あり、とりあえず苦笑しながらも、果たして己の身に無関係であろうか…、やはり心配の種は尽きません。
たとえ肉体が滅びようとも、魂魄と成り果てようとも、見果てぬ夢が、崇高な理想があると。
この精神レベルたるや、おそらく潔・不潔を軽く置き去った高みにあるといえましょう。この意味で、実に潔いではありませんか。
潔く生きる者は、潔く去る者でもありたいと、そう思う小生であります。