去-夏講日記(その4)

真木和泉のように爆死を選ばずとも、おそらくもう少しばかりは大人しく、いずれ何人たりとも現世に別れを告げるものであります。

まさにその時にあたって、悔いなく辞去できるものであろうかと、心配性な小生などは、あれこれ考えてしまいます。

多少逆説的ではありますが、考えることなど何もないとばかり、きれいさっぱり潔く去ることが、なかなかできないがゆえに、貴重なのだと思います。

思いのままに生きてきたからといっても、あるいは権力の絶頂にあったからといっても、必ずしもこの世の全てを捨てきれず、後ろ髪、何千回と引かれまくっている諸兄あり、とりあえず苦笑しながらも、果たして己の身に無関係であろうか…、やはり心配の種は尽きません。

たとえ肉体が滅びようとも、魂魄と成り果てようとも、見果てぬ夢が、崇高な理想があると。

この精神レベルたるや、おそらく潔・不潔を軽く置き去った高みにあるといえましょう。この意味で、実に潔いではありませんか。

潔く生きる者は、潔く去る者でもありたいと、そう思う小生であります。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦