すべからく今世に生きる者、義あらずして立たず。真木和泉の所論です。
「士の重んずることは節義なり。節義はたとへていはば人の体に骨ある如し。骨なければ首も正しく上に在ること得ず。手も物を取ることを得ず。足も立つことを得ず。されば人は才能ありても学問ありても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば不骨不調法にても士たるだけのことには事かかぬなり。」
どれほど才能があろうとも、学問を究めようとも、節義なくして意味をなさずと。真木にとって節義とは、まさしく尊皇攘夷の大義でありました。
かつて血気にはやる若者たちは、既成学問の枠組みに対し公然と異を唱え、「ブルジョワジーのために学ぶのか、プロレタリアートのための学問か」と、しつこく食い下がったものでした。
真木和泉という男は、青年の志を忘れなかった革命家だったといえましょう。
老境一歩手前の小生など、まぶしくて仕方ありません。