春は塾選びの季節。塾選びといえば、ひと昔前まで、まさにシステム選びだったと思います。
かつてシステムといいますと、テキスト、テスト、カリキュラム…これらが、すばらしく設えてあって、初めて「良い塾」だったのではないでしょうか。
これらを検証することが、そのまま塾を吟味することであり、このことは永遠に変わらないメソッドと考えられてきました。
しかしながら、マーケットを席巻するようなシステムも、これを制圧したことなく、逆にシステムの多様性は、どんどん拡大していきました。
個別指導が集団指導と十分に張り合うものと認識されたり、無学年多段階制、言うならば寺子屋方式が市民権を得たり、そのほかにも、多様性の枚挙に暇なしと思います。
至高のシステムという物語が、過重な期待と空虚な結果に自己崩壊したのち、コンシューマーの認識は、塾選びは人選び…に収れんしつつあります。
即ち、単なる相性問題を超えたところまで含めて、教授を任すに足る人物を、教師に選ぼうとするものです。
小生はこの傾向に、塾選びの質的転換を予見し、敬意をこめて塾「撰」び…と、敢えて申し上げたいわけです。
さてさて小生は、いったい何を「撰」ぶ人々に、いったい何を「撰」んでほしいのか、今週はこのことを書き連ねてみたいと思います。