早咲きの桜というものがありまして、開花前線に先駆けて、きれいに咲いてまいります。小生の住まう佐保川沿い、川路桜の堰堤にも、けっこうな盛り上がりでして、本番のソメイヨシノを、春講忙しさのあまり、じっくり見られない小生などは、思わず見惚れてしまいます。
この歌に詠みこまれている桜が、早咲きであるか否か、全く定かではありますまいが、小生には早咲きに思えて仕方ありません。万葉集の巻八・一四二一番であります。
春山の 咲きのををりに 春菜(わかな)つむ 妹が白紐(しらひも) 見らくしよしも
最愛の人が、満開の桜の下で、春の七草を摘んでいるのでしょうか。詠み人・尾張連(おわりのむらじ)、なかなかのロマンチストと拝見しました。
遅咲きの桜さえ、散りかけた四月の中旬、春講を終え、山辺を歩き、いや「歩く」などと、言ってしまって良いものやら、古墳をウロウロ、土器探しに余念のない小生も、同じく古墳周辺をウロウロしている妻と、声を掛け合ったりしております。
小生が「庄内式、布留式…」「三世紀、四世紀、五世紀…」などと、悦に入ること暫し、妻もまた「つくし、わらび、ぜんまい…」と、山菜採りに余念なし。
万葉も現代も、変わらぬ悠久を感じる瞬間であります。