新-冬講日記(26)

もういくつ寝ると、新年でしょうか。新しい年が、すぐそこまで迫っております。

昨年も、一昨年も、この時期にこのようなことを書いていた記憶があります。あまり変わりがありません。

変わったことといいますと、「新」の字を見ると、特別な思いが湧きおこってくるようになったことでしょうか。

古代中国に「新」なる王朝があったことは、意外と知られておりません。小生も倭国の古代史を勉強して、ついでに思い出すまで、きれいさっぱり忘れておりました(笑)。

「夏・殷・周・春秋・戦国・秦・前漢・後漢・魏呉蜀・五胡十六国…」と、順ぐりにお経を唱えますと、前漢と後漢の間に、ほんの少し存在した王朝です。

王莽という王様が、いちおう前漢から禅譲されて始めたのですが、国内改革が拙速で、諸蕃に失礼なあまり反撃を誘い、赤眉・緑林の乱によって滅亡した、一代限りの王朝でした。

なになに、先生、中国の古代史まで始めはったのですか?と、いぶかられてしまいそうですが、さにあらず、この王朝がいびつな国内改革の一環として鋳造した「貨泉」という硬貨に興味があるのです。

青銅貨ですから、錆びついて出土することが多いのですが、これ、わが国の弥生遺跡から、けっこう出土するそうです。

この貨幣を鋳造していた「新」が、ほんとに短い期間しか存在しませんでしたので、流通、伝世など、あまり細かく勘案しなくても、遺跡や古墳の時代特定ができる、そんな便利な遺物なんですね。

新年の「新」の字を見ると、こんなことばかり頭をよぎるようになってきました。

新しい年が、すばらしい年でありますように。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦