現に目の前に無いものを信じません。
「たら・れば」は論外。幻覚・妄想も、悪意無くても、アウトです。
神仏に恨みはありませんが、カール・マルクス曰く「アヘンである」と。
現実の諸関係を、信仰の彼方に追いやると。
「願えばかなう」と、かなり強く感じています。しかしながら、突飛な「願い」は、ありえません。
願わねばならない環境に置かれ、願わざるを得ないとしても、させられて願うことと、主体的に願うことは、天と地に離れるものだと思います。
克ち取る前提は願い、願いそのもの、いや、願わざるを得ない己。
何かを克ち取る人は、こうして生まれるのだと思います。