何度でも立ち上がる男でした。不死鳥とも、不沈艦とも。
男自身は自分自身を「銅鐸」と呼んでいました。銅鐸は五穀豊穣のシンボルとして、春先に掘り出され、田畑の祀りに使われました。収穫が終わると、田畑を見下ろす山の斜面に、きれいに並べて埋められました。葬られたわけです。
銅鐸は「死と再生」のシンボルでした。男も「何度死んでも、何度でも生まれ変わって、志を貫徹したい」と願っていました。
男が尊崇する吉田松陰先生は、政治結社「松下村塾」を率いた革命家であったと、男に評されました。
時は幕末、ペリー艦隊、いわゆる黒船が襲来した際、「攘夷」と叫ぶことしかできない攘夷派を尻目に、なんと黒船に乗せてもらい、敵の懐に飛び込む戦術を採った者こそ、松陰先生でした。
鎖国の国禁を侵す、大胆な行動です。
ペリーはこれを許さず、松陰先生が自首、連行、投獄される途中に詠んだのが、あの有名な、そして今回のモティーフたる歌です。
かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂
こうすりゃ、ああなると、わかっちゃいるが、どうにもならねぇ、大和魂…口語で歌うと、こんなものです(笑)。
もうそろそろ、やめときゃいいのに立ち上がる、男の人生そのものではないですか。何とも憎めないですね。
男の名前は「杉浦」と申します。この夏も学園前教室に、闘いの狼煙を上げました。
同志諸君!最後の、最後まで、戦い抜こうではありませんか!