大阪通信80に書きました「Sさん小話」が好評だったそうです。
少し遺漏を拾ってみましょう。舞台はレイの「B」ですね。「ビー」じゃなくて「ベー」のほうです。
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Sさん、学者始めたのも、偶然でしたっけ?
「そうだな。反社会的生活やめて(笑)、お天道様に顔向けし始めたころ。」
たしかお師匠さんのゼミに出かけて、「おい、新入り!急ぎでないんなら、ちょっと聞いてけや」って。新喜劇みたいなもんですか?
「そうだな。大先輩のNさんが、紀要論文、発表する日やったわ。」
「ワシントン体制と教育って。何かのまちがいやろ、さあ帰ろ!って思ったね。」
よく踏みとどまりましたね。帰る元気もなかったんですか?
「こら、失礼なこと、ぬかすな!」
「元気ハツラツやったわ。…ワシントン条約のこと、思い出しとってん。日本史の教科書に書いたった。第一次大戦後、ヴァイマール体制、ガラス細工の平和、軍事力=海軍力=大鑑巨砲主義、戦勝主要国の主力艦保有数制限=平和の枠組み…なる虚妄…。」
「革命の危機、ドイツ社会民主党左派、カール・リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルク…云々、云々。」
なんだか、とてつもなく偏った知識ですね。
「うん、でも、思い出し始めたら、動けんようになった。やっぱり、ワシントン体制が、教育と関係してるとは思えんかった。」
ところが…。
「最後の転・結で、大どんでん返しがあってな、密接に関係するどころか、十五年戦争の起点といっても良かった。」
「驚いた。陸軍軍縮のことを知らなかった。軍部の意図を浅読みしていた。浅学を思い知った。初めて、研究したい!と思ったな。」
Sさん、受験勉強しといて、よかったですね。ワシントン条約って知らなかったら、すぐに席を立っていたでしょ。イラチなあなたのことですし(笑)。
「そうだな。若いもんにも、言いたいな。勉強、鍛えられとけと。きっといつか、役に立つと。」
Sさん、今回も、行き当たりばったりな人生でしたね。運がいいんだか、悪いんだか(笑)。
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あくまでもフィクションです。おまちがい無きよう。