纒向をウロウロしております。ホケノ山古墳から渋谷向山古墳(景行陵)に、山辺道沿いを歩きます。何度歩いても、飽きません。
国道169号を大きく西に超えて、箸墓や纒向小学校付近の墳丘墓を回ることも多いですが、そのままスタコラ歩くことも多いです。
ターニングポイントは「日本一たいやき」かもしれません。169号沿いに、大きなたいやき看板ですね。「いかんいかん、太るからイカン!」と思っても、足が勝手にたいやきに向かってしまいます。小生、敢えて天然の摂理に抗うことをいたしません(笑)。
たいやき方面に迂回しなければ、箸中の小規模古墳群を通過します。おそらく3世紀代の小さな古墳たちです。
顔見知りのお百姓さんと、いつもの会話です。
「おじさ~ん!この古墳は、なんという名前ですか?」
「そ…そりゃあなぁ…、(しばらく沈黙)…、馬塚っちゅうじゃあ!」
「なんで馬塚なんですか?」
「馬が死んだら、捨てたじゃあ!」
「あの古墳は、なんていうんですか?」
「あ…ありゃあなぁ…、(しばらく沈黙)…、牛塚っちゅうじゃあ!」
「なんで牛塚ですか?…(だいたいわかるけど…)」
「牛が死んだら、捨てたじゃあ!」(←やっぱり(笑))
「南に5分ほどの、大きな古墳は何ですか?」
「(急に真面目になって…)、胞衣(えな)塚、呼んどる。産褥の塚や。感謝して清めい!」
たかが地元民の迷信と笑うことなかれ。いろんな塚に、いろんな物語して、大事に守ってきたのです。
古墳は堅かった。段築・版築・埴輪工法のおかげだ。…教科書的にまちがいではないでしょうが、守り伝える人々あってこその「古き良きもの」でしょう。
しばしば忘れがちな真実を呼び起こしてくださるお百姓さんに、感謝しています。