古き良き-冬講日記(15)

「後漢、桓霊の頃」の話です。なんのこっちゃ?、時代設定が読めん…と、言われてしまいそうです。「後漢(ごかん)」は中国の王朝名、紀元25年から220年です。そのうちでも、桓帝(かんてい)・霊帝(れいてい)が玉座に座っていらっしゃった頃です。紀元146年から189年ですね。

この頃に「倭国大乱(わこくたいらん)」があったと伝えられています。「相攻伐(あいこうばつ)」してやまず、人々は平地の田園地帯に広げた弥生集落を捨て、攻防に適した高地性集落を撰ぶことしきりでした。

天候不順や洪水が人々の主食を奪い、残された食物を人々が奪い合った時代です。仁義なき戦いですね。

弥生の豊作をもたらした銅鐸(どうたく)を、もはや人々は祀りませんでした。人々の手には矛(ほこ)、剣(けん)、戈(か)といった武器が握られるようになっていたのです。

倭国内諸勢力が、もはやこれ以上闘い続けるならば、共倒れようとしたとき、畏くも偉大なる王たちが、全く新しい平和共存の枠組みを造り出しました。

王たちは長丁場の話し合いに備え、土器をはじめ生活用具一式をかかえ、倭国のど真ん中、ヤマトの纒向(まきむく)に集いました。そして地元の小さな女王国であった邪馬台国の女王・卑弥呼を「共立(きょうりつ)」し、連合勢力の象徴と仰ぎました。

卑弥呼は日夜、新たな祭具・鏡に向かって、豊作と安寧を祈り、人々の心は安んじられました。ほどなく天災も癒え、ここに戦乱の阿鼻叫喚を、りっぱに克服した体制が打ち立てられたのです。

祭祀王は人々のために祈り、人々は王たちを崇め、君民共治の理想郷が、他ならぬこのヤマトに現出したのでした。

見渡す限り誰もいないようなJR巻向駅付近に、踊り祈る卑弥呼にまみえ、連合勢力の行く末を案ずる王たちと出会うこと、諸国から集められた土器片を拾いながら、毎週の出来事を新たにします。

いがみあい、殺しあうことは、簡単なことです。話しあい、尊重しあうことは難しいことです。しかしながら、今を去る1800年以上昔にできていたことを、再びすることなら難しくもありません。

古代史を「まじめに」学び始めて、もうすぐ10年です。古代を学ぶことは、古き良き事績を学ぶことでもあります。

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦