100年以上も前の話です。この国が大日本帝国だったころ、臣民(国民)が憲法(大日本帝国憲法)を賜りました。
憲法発布式典、まさに当日の朝、出立を急ぐ刹那、初代文部大臣・森有礼(もりありのり・語呂合わせにて「もり(森)のゆうれい(幽霊)」)が刺殺されました。思想信条を誤解されてのことだったそうです。
薩摩の尊攘(尊皇攘夷)ボーイだった有礼が、開明派ぞろいの明六社でも群を抜いた開明派となり、約二十年にわたって最先頭を走ってきた…そんなふうに記憶しております。
有礼の高名な訓示に、教師の資質を説いたものがあります。
その一。教師は「順良」(じゅんりょう)たれ。上司にしっかり従え、ということです。
その二。教師は「信愛」(しんあい)をもて。同僚どうし仲良くしろ、ということです。
その三。教師は「威重」(いちょう)をもて。生徒に軽く見られるな、ということです。
ひとそろえ「順良、信愛、威重」と申します。
大正生まれとか、昭和戦前派、闇市世代の皆さんは、明治は遠くなりにけり…、はい、懐かしいそうです。
こんな先生、あんまりいなくなっちまったよな…と。
小生なんぞ、戦後軽口世代だったものですから、教師もしょせん木端官僚、上にへつらい、仲間と群れ、下にはとっても居丈高…と皮肉ったものです。
不思議な魔力を持った言葉です。どの世代からもひとこと刺されるのは、不完全だからでしょう。
しかしながら、どの世代も気になるから、ついついいじってしまいます。
そのことは、とりもなおさず、この言葉の普遍性なり、高邁な真理であることなり、その本質を示唆するものでもありましょう。