急に寂しくなって、悲しくなって、さめざめと泣けてくることがあります。一年に一度、必ずあります。
夏合宿最終日、正午ごろに研修会館さんを出発し、初日の集合場所、橿原神宮駅東口まで歩きます。
水分補給したり、木かげで休んだり、ゲリラ雷雨と戦ったりしながら、意気揚々と引き揚げます。
改札口に引き込まれる生徒を見送り、お迎えの車に乗り込む生徒に檄を飛ばし、ご父母と親しくお話し申し上げ、いよいよ誰もいなくなったとき、さまざまなことが頭をよぎります。
毎年真っ先に思いを致すのは、遅くとも合宿最終日の早朝までに感じた秋の風です。
合宿の熱気にほだされているうちは、「夏が終わるはずがない」、「秋になるはずがない」と、固く信じています。
誰もいなくなって、いよいよ冷静に風を感じざるをえなくなったとき、秋がそこまで来ていることに驚きを禁じえません。
何とも言えない違和感に、思わずボ~っとしていると、合宿の一場面一場面が、スクリーンショットのように、浮かんでは消えていきます。
切り出されたどの映像にも、真剣そのものな生徒たちの顔が焼きついています。
最後に大映しになりますところ、コーナーポストに置かれた椅子に、ヘタレ込むように座っている「矢吹ジョー」…にあらず、「ジョー」のように、真っ白な灰になってしまったかのような、小生自身であります。
「立て!立つんだ!オレ~!」
丹下段平に気合いを入れてもらうしかないと、思うか思わないかの刹那、スローモーションのように歩き出す小生がいます。
なんだかわからないですが、つい先ほどまで教室で演じていた閻魔大王の雄々しさなど微塵もなくなり、あふれる涙をぬぐっております。
ここ数年は、卒業生スタッフが小生を心配して、道中つきそってくれるようになりました。
時の流れが小生を、ずいぶん優しい男にしてしまったのかもしれません。
いかに優しくなろうとも、夏合宿という、あの灼熱のるつぼに、わが身を預けたいという、燃える想いに変わりはありません。
小生、早くも来合宿を期して、体力作りを再開します。
いかに苦しくても、どれだけ悲しくても、他に代えがたい頂点を、もう一度制圧するために。