夏講日記(その23)-留め置かまし 大和魂-

「忘れたくても、忘れられない瞬間」が、確かにあります。多くの場合、うれしい瞬間です。

夏講を始めてから、何度かその瞬間に出くわしました。

傍目(はため)に見ますと、何を喜んでいるのか理解不能かもしれません。奇妙な光景に見えるかもしれません。

ありていに言いまして、その瞬間に、小生は多くの「目」に射抜かれているような錯覚を覚えるのです。

どんな「目」かと言いますと、解かろうとすることに没入し、解こうとすることに耽溺(たんでき)し、まるで一点を射抜こうとするかのように、焦点が定められた「目」です。

少なくとも一日に一回、この「目」にさせることが、モノを教える人間の役割だと、小生考えています。

何かのはずみに、眼前の生徒たち全員に、この「目」が備わることがあります。その迫力たるや、みなさんの想像に余りあるものです。

「目」の群集を人工的に作り出せないものか?…と、考えたことがあります。気合を入れてみたり、恐い顔をして問題を解いてみたり、いろいろやってみましたが、伝染病のように感染させることも、ドミノ倒しのように次々出現させることも、結局できませんでした。

もっともっと微妙な、小さな小さな偶然が、見事に整合した時、一分一秒たりとも、誰一人として真剣このうえない「目」たちと相対し、小生教育者冥利に尽きる、無上の喜びを感じることができるのだと思います。

今日また会えたから、明日もきっと会えるだろう。がんばったら、きっと会えるにちがいない。

そう思って明くる日を迎え、若草山に昇る朝日を拝すとき、喜びと感謝に満ち溢れます。

本日がすばらしい一日でありますように!

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦