真夏の夜に見る夢には、本当にはかない夢なのか、実は一丁前に現(うつつ)なのか、何とも判じがたい不思議な色がついています。
幼いころによく見た夢です。気持ち良く大空を滑空していると、突然のエンジントラブルに見舞われ、まっさかさまに急降下。顔面が風を切る抵抗感に、リアルな感覚があります。地面にたたきつけられる直前、短い一生が走馬灯のように走り抜けていったとき、叫び声とともに目が覚めるのです。悪夢は決まって紫色でした。
これも幼いころから、初老の今まで見続けています。うっそうとした深い山、中腹あたりにつながる獣道、ずんずんと進んでいくと集落、集落の中心に古井戸、なぜか生活臭の全くしない村民と、掘立小屋のような実家と。にぎわいと笑顔あふれる日中、し~んと静まり返った真夜中。オオカミの遠吠え、西の空に満月。翌日再び朝日が昇るとは思えないほどに、凍りついた情景。不気味な記憶は、決まってセピア色でした。
なんだかスカッとしない夢が多かったのですが、40台に突入してから見始めた夢は、ひたすら陽気でした。南京玉すだれのテーマソングに乗って登場した小生、歌って踊ってエンターテイメント、疲れたら眠り、美食の限りを尽くし、幸せ生活100%貫徹します。これは真っ青な夢です。いや正確には、真っ青な背景に浮ぶ千切れ雲に、小生が同化してしまっているのです。
何でこんな色なんでしょう。謎は深まりばかりです。
しかしながらいつぞや、阿部謹也『ハーメルンの笛吹』を読むにつけ、謎は謎のままであってこそ趣深いこともある…と。
敢えてこじつけることをせず、あるがままに謎を楽しもうと思っています。