いきなりですが、我が心の師・吉田松陰先生が怒っておられます。
「其(そ)の分れる所は、僕は忠義(ちゅうぎ)をする積(つも)り、諸友(しょゆう・松陰先生が弟子に呼びかける言葉)は功業(こうぎょう)をなす積り。さりながら人々各々(おのおの)長ずる所あり、諸友を不可とするには非ず。尤(もっと)も功業をなす積りの人は、天下皆(みな)是(こ)れ。忠義をなす積りは、唯(た)だ吾(わ)が同志数人のみ。」
時は幕末、尊皇・攘夷・倒幕運動、最前線基地の観を呈した松下村塾で、先頭切って走っておられたのは、師匠であった松陰先生でした。
「我が忠義に殉じる者が、同志数人とは情けない。憂き世に媚びへつらい、多数派に付和雷同するとは何事か!恥を知れ!」
…と、弟子たちに激怒されているのです。
松陰先生にとって、今こそ時節到来と。しかしながら、高杉(晋作)や久坂(玄瑞)、桂(小五郎)にとっては、単なる跳ね上がり、冒険主義にしか見えませんでした。
小生観ずるに、松陰先生の偉いところは、単なる糾弾闘争を弟子たちに仕掛けたわけでなく、皮肉交じりではありますが、「諸友を不可とするには非ず」と、生き直す道を示唆したところでしょうか。
松陰先生のお言葉は、このように常に激烈です。激烈ではありますが、どこか慈愛に満ちた優しい語りかけを内包しています。
これを自戒の言葉とし、本日から夏講を開始します。