春講日記(その10)-久方の光のどけき

自分から「やる勉強」と、誰かに「やらされる勉強」。勉強には二種類あります。

「やる」ほうが「やらされる」よりも、絶対的に素晴らしい…とは思いませんが、あれこれ勉強現場に居るにつけ、「やる」ほうが気分が良い…とは思います。

「やらされる」皆さんは、常にレールを引いてもらわないと歩めません。歩んでいても、その歩みがきわめて他力本願ゆえ、つらくて苦しいだけで、達成感がありません。ため息ばかり吐いて、絶望の深淵へと、まっさかさまに落ちていきます。

いっぽう「やる」方々は、レールがあろうがなかろうが、決めた道を進みます。自助努力…当然、受益者負担…当然、たぶん羽交い絞めにして止めても、敵を一本背負いに投げ飛ばして進みます。多少の失敗、回り道などなんのその、不利益さえも「修行」と喜び、プラス指向150%に、ランランと生きていきます。

「やらされる」のは、見るに忍びないです。見ざるを得ないとなると、苦痛です。「やる」のは清々しいです。吸い込まれるような初春の青空を見る思いです。

好対照な二種類ですね。極めて残念なことながら、最近「やらされる」勉強が増えてきていると思うのは、はたして小生だけでしょうか。

どのみち歩まされるし、歩みたいわけでもないし、獣道は歩きたくないし、たとえ馬車馬でも舗装道路の方がいいし、なによりも急かされた方が、自己管理させられるよりも楽だし、堕落する理由は幾百万あることでしょう。

子供時代だけでなく、青年になっても、壮年になっても、老年になっても、誰かが導いてくれるなら、「やらされる」のも悪くないでしょう。現に目の前に、そんな人、いますか?

どうせ「やる」んなら、「やらされる」んと違って、自分から「やる」ねんで。できへんのやったら、「やらされる」ん待つ前に、何もかも止めえ。幸か不幸か世界第二位の経済大国に生まれたんや。止めても野垂れ死ぬことはないやろ。浮いた時間使うて、好きなことやったらエエ。どうせ一度の人生やろ。

…と、小生に諭されている隙に、どうか悟ってください。鉄槌が下る前に、生き直してください。

どうせ一度の人生だからこそ、200%の自己実現であってほしいと思っていますから。自分から「やる」人になりましょう!

石川数学塾大阪
学園前教室・杉浦