古今和歌集の84番、紀友則です。この春講日記のタイトルにも使わせていただいております。
久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
たしかに花に「心」があるのなら、「しづ心な」きがゆえに、散っていくのでしょう。
しかしながら、実態は逆ではなかろうかと思います。
「しづ心」に満ちて、だらりんと暖かくなっていく春には、花が咲かないそうです。
たまにドカンと寒くなってこそ、種の防衛本能から花は咲くのだと。「ひと花、咲かせておこう」と。
咲いてすぐに、三寒四温が止むわけでもなく、花冷えが花を急かせます。「はやく世代をつむげ」と。
思えば「しづ心な」いのは、花にあらず、花を取り巻く「外界」のあれこれなのでしょう。
落ち着いて咲き、散ろうとして散ってほしい、友則の歌に深詠みし過ぎでしょうか。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ(細川ガラシャ・辞世)